お知らせ

メンターになる人との出会いと地域に合わせた生き方への転換(後編)

芳賀崇利さんのインタビューの後編です。

芳賀さんは埼玉県三郷市のご出身、2012年にIターンされ、現在ウェブ制作やDTPデザインなどのサービスを提供する会社を経営し「庄内コンシェルジュ」を運営しています。現在、奥様とお子さんの3人で暮らしています。

移住してきて困ったことは?

芳賀さん:就職じゃないですかね。企業側が移住してくる人に全然理解がなかったように感じました。僕の場合は何の下調べもしてこなかったという部分が大きな原因だと思うんですけどね。世の中で地方への移住が取り上げられてきたのはここ2,3年ですよね。その間にだいぶ企業側も変わったように思えますね。あとは初めて会う人会う人が「こっちの人じゃないでしょ?」「何でこっちに来たの?」言ってくるやりとりですかね(笑)。それがだんだん面倒くさくなってくるんですよ(笑)申し訳ないですけど、何人かには嘘をついてますから(笑)最初の2年間くらいは入っていけなかったです。違和感ばかりを感じていましたね。

(写真提供 芳賀さん 友人との出会い)

転機となったのはメンターとなる人との出会い

芳賀さん:色んな人と会ってみることじゃないですか。僕にとっての転機は、日本西海岸計画のメンバーと出会えたこと。そこから人脈も広がったし自分も変わったと思います。もし、自分がありのままでいれる場所に出会っていなかったら、ここで生活しているとは思いますけど、今ほどアクティブじゃなかったと思うんですよね。地域に合わせた生き方、自分も表現してもいいんだっていうことに転換できた、つまりスイッチを入れてくれたのが日本西海岸計画のメンバー達なのかなと思っています。

今の仕事を今後どうしていきたい?

芳賀さん:世の中に必要なものをアイディア化し、時代に合わせたサービスを展開していきたいです。庄内で最も働きたい会社っていわれるような面白い会社を作りたいなと思っています。具体的には、賃金であったり、やりがいであったり、仕事内容については、決めつけないで、そこにビジネスチャンスがあれば何でもやっていこうと思っています。

移住を考えている人へのアドバイスは?

芳賀さん:地方にくるのも上京するのも同じだと思うんですけど、やっぱりその土地によって文化や風習、人の気質って違うと思うんですよ。最初はそういうものにカルチャーショックを受けることも多いと思います。地元に慣れるまでの間にいち早く先住者と出会うべきだと思うんですよね。そういう人に出会えなかった人は、どこか馴染めずに戻っちゃうのかなと。とにかくいろんな人に会ってみるということに尽きると思います。

(写真 日本西海岸計画 )

外から地域にお金を落としてもらえる産業をつくりたい

芳賀さん:一昨日から入社してくれた彼女も兵庫県からのUターンなんです。UIターンする人を快く受け入れてくれる会社や魅力ある企業がこの庄内に増え、地方から都市部へ就職先を求めて上京するように、若者たちが地元で就職し、そして都市部で働いている人が移り住み、自然豊かで人情味溢れるこの地域で暮らすことの楽しさがもっともっと広まっていってくれるといいなと思っています。

芳賀さん:また部からお金を落としてもらえるような産業(仕事)がこの地に生まれて行かないと地域経済って大きくならないと思います。そのためにまず、僕ら地域の人たちが楽しく暮らすこと。そして、魅力ある企業であり続けること。だと思っています。

芳賀さん:10年くらい前の庄内なら「出る杭は打たれる」という言葉のとおり、何か始めようとしたり、目立とうとしたりすれば、叩かれることも多かったんじゃないですか?でも今の庄内は右を見ても、左を見ても何か新しいことを始めよう、自分たちの手で地域を変えたいって思ってらっしゃる方々がいっぱいいるんじゃないでしょうか?叩ききれないくらいに(笑)そういうものを面白くないっていうんじゃなくて、一緒になって関わったり、共感できたりする文化ができれば、もっともっと魅力ある地域になると思っています。

もしそのまま東京にいたとしたら起業されていたと思いますか?

芳賀さん:親父が会社経営していたので、いつかは自分も好きなことで起業したいなという気持ちはありました。でも東京にいたらまだ起業はしてなかったと思います。東京でサラリーマンとして働いていた方が経済的には恵まれていると思うんですよ。また今と比較しちゃってますけど(笑)

芳賀さん:お金を稼ぐことはすごく大切なことですけど、一番大切なのはそこじゃないと思っていて、僕は庄内にきてそう変化しました。難しいことは考えずに自分が思うがままに暮らしていけばいいんじゃないですか。ネガティブな理由で帰ってくると難しいと思います。あれこれ考えても進まないと思うので、まず1回やって見た方がいいですよね。だめだったら戻ればいいし。やってみなきゃわかんないことだらけだと思います。僕だって1年目から絶対うまくいくって思ってたんですよ。蓋を開けたら「あれ?」って。

  

唯一生き残る者は変化できる者である

芳賀さん:そこで自分の考え方を変えられるかどうかですよね。いつまでも「東京でバリバリやってきた営業マンなんだぞ」って考えたら今の僕はないですね。「帰れよ!」ってはなしじゃないですか。ダーウィンの「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるわけでもない。唯一生き残るものは変化できる者である」ってあるじゃないですか。僕の座右の銘なんです。

(インタビュー前編はこちらから)

メンターになる人との出会いと地域に合わせた生き方への転換(前編)

今回の移住者インタビューは2012年にIターンされた、埼玉県三郷市出身の芳賀崇利さん(38才)にお話しを伺いました。芳賀さんは現在、ウェブ制作やDTPデザインなどのサービスを提供する会社を経営し「庄内コンシェルジュ」を運営しています。現在、奥様とお子さんの3人で暮らしています。

(写真提供 芳賀さん)

最初に庄内に来たきっかけは?

芳賀さん:僕が小学生の頃に親父の会社が酒田にあったので、夏休みなどを利用して何度か一人で電車に乗って埼玉から酒田までに来たことがありました。酒田駅を降りるとちょっと訛った感じで「酒田~酒田~」っていうのが子供ながらに印象的でした。単身赴任だった親父は途中から酒田で会社を始め、僕が20歳くらいの時に会社が鶴岡に移りました。実は、22歳の頃に一度、親父の会社を継ぐつもりで入社し、鶴岡で暮らしているんです。でも1年で辞めて埼玉に戻っちゃったんですけどね。その後、もともと働いていた建築関係の職種に戻り、20代後半くらいまで働いていました。

芳賀さん:現場は東京都内が中心だったため、毎日作業着で電車通勤していたんですよ。満員電車には同世代の人たちがお洒落な細身のスーツを着て通勤していて、土日になるとあれだけギュギュギュウだった電車がガラガラになる。ある日、急にそういう人たちの働き方というか、「この人たちはどんな仕事をしてるんだろう」って、すごく興味を持ち始め、輝いて見え始めたんですよね。そして20代後半に「俺もそんな仕事がしたい!」「スーツを着た仕事がしたい!」って、本当に単純な理由で転職を考え始めたんです。

芳賀さん:そして神奈川県相模原市にあるプリント基板製造会社で念願の営業の仕事に就きました。ところが入社間もなく、過度な設備投資とリーマンショックの影響が重なり、会社は忽ち経営不振に陥り、民事再生法による会社再建も叶わず、投資ファンドに買収されてしまったんです。新会社設立による新体制。営業経験が浅かった私は新会社に残れたものの、営業部から開発事業部に異動するよう辞令があったんです。リストラだけで100名以上いた従業員が半分になったんじゃないですかね。それでも納得がいかず、社長と直談判し、「業績が良くなったら営業部へ戻してくれる」という約束を交わしたのですが、どうしても続けたかったので、会社を辞めることにしたんです。

鶴岡で暮らすようになったのは?

芳賀さん:神奈川の会社を退社してから取引先だった会社からお声がけをいただき、東京都台東区の御徒町にある商社に入社しました。その数年後、その会社を辞めようかと知り合いの商社の社長に相談していたところ、社長さんが辞めるならうち来いと声をかけてくれたんです。その間に1ヶ月ほど余暇があり、今までのこと、これからのことをぼんやり考えていると、ふと親父のこと思い出したんですよね。久しぶりに親父に電話したんです。

芳賀さん:そうしたら親父から「跡を継ぐ人もいないし、会社を辞めることにした」と聞かされ、自分の近況を話すうちに、「久しくあってなかったから会いに行ってみるか」と、観光でも行くような感覚で鞄ひとつ持って鶴岡に来たんです。声をかけていただいた社長さんに仕事をお断りし、そのまま鶴岡に残り、約5年がたちましたけどね(笑)実は、自分は東京でバリバリやってきたつもりでいたので、自分は喉から手が出る人材だって根拠のない自信があったんです(笑)。仕事なんかすぐ見つかるだろうって。だから最初の頃は仕事に関しては何も心配していなかったんです、とりあえず住んでみようかなって。

どんな仕事をしようと思ったのですか?

芳賀さん:とりあえず営業ならなんでもいいかなって思っていました。ハローワークに載っていた企業の4社くらい営業職で受けたのかな?でも全部だめだったんですよね。すごくショックでした。面接の冒頭で必ず「なぜこっちにきたのですか?」と聞かれるんです。生まれは埼玉ですが、親父がこっちにいてと言うと、「なんでお父様が心配で来たのに一緒に住まないのですか?」と言われ・・・。仕事の面接なのに、家庭の事情なんて別に関係ないじゃないですか。生意気なので面接の途中で、「一人暮らしすることってそんなに特別なことですか?」っていっちゃう訳ですよ。それだけが理由じゃないと思うんですけど、ことごとく全部落とされてしましました。(笑)商社でやってきた自信が「え。。。」ってなったというか。落ち込みましたね。

芳賀さん:ハローワークって一件ずつしか受けさせてくれないじゃないですか。そうすると一件応募すると書類選考で一週間、面接で一週間かかり、そこから合否に一週間かかるので、トータル3~4週間かかるんですよ。庄内に来て半年近くがたった頃、ようやく一社採用してくれた会社があったんです。本当にその会社には申し訳なかったのですが、3ヶ月で辞めてしまいました。まだ腹がくくれてなかったというか、向こうにいた頃と常に比較していたんですよね。給料の面とか、休みの面とか、こんな事をするためにここに来たのかなって。自分でしか出来ない、庄内らしい鶴岡らしいことをすれば向こうにいた時と比べることはできないじゃないですか。そこで「庄内コンシェルジュ」というものを立ち上げようと考え始めました。

芳賀さん:正直何度も帰ろうかなとも思いました。やっぱり面接で失敗すると、俺もうだめなんじゃないかって思う訳ですよ。営業というものを武器にこっちで就職することに対して。ある会社から、東京で営業の仕事をいくら頑張ってきてもこちらでは通用しないって、面接で言われたんです。今だからわかるのですが、こちらは、人脈というか人の繋がりが強いじゃないですか。営業の手法とかそういうものじゃなく、後になってそこがものすごく大事ってことに気づかされたんですよね。

 

庄内コンシェルジュはどのように立ち上げて行ったのですか?

芳賀さん:自分で何かできないかといろいろ、インターネットで探しました。そしたらある会社のホームページにたどりついたんです。そこではシステムを販売してるんですが、僕みたいにWebの知識がなくても運用できるシステムをライセンス契約できるんです。その時、「自分にもできるんじゃないか?」って思ったんです。まだ漠然と「こういうのがあったら面白いな」とか、「これだったら出来そうだな」とか。ウェブサイトについて本とか読みまくってメチャメチャ勉強しましたけどね。

芳賀さん:個人事業主として立ち上げたのは、鶴岡にきて2年目の冬です。最初はとにかく上手くいきませんでした。はじめは、あまり知り合いもいなくて、閉ざしてたというか、地元の人にあまり心がひらけなかったんです。矛盾してますよね(笑)。住むって決めているくせに、この頃ってまだ自分が就職できないことなど、地域のせいにしてたんですよ。「なんで俺を認めねえんだ」って。「分かってねえな」って。

芳賀さん:一番最初に営業に行ったお店が、親父が仲良くしてる人の店で、そこから色んな人を紹介してもらい、知り合いを広げていったんです。知り合いは増えていったのですが、『庄内コンシェルジュ』のサイト自体を、本当に誰も見てない訳ですよ。どうやってプロモーションしていったらいいかも分からないし。載せてくれる人もいないし。結局情報量が無さすぎて誰も見ない、見ないから載せないという負のスパイラルがあったんです。

芳賀さん:そこで、とにかく無料でもいいから載せてみようって思いました。最初にやったことは「お試しキャンペーン」です。まず媒体として情報量の多いものにしようと思い、そこにプラスして、載せてもらったお客様から紹介してもらうという風に広げていきました。少しずつ人脈も広がり、鶴岡青年会議所のメンバーとの出会いもありましたし、とにかく人が集まりそうなところがあればとりあえず行ってみましたし、今でもそれは続けるようにしています。

(写真提供 芳賀さん 赤川花火大会運営仲間と)

戻ろうと思ったのに踏ん張ったその理由はなんですか?

芳賀さん:意地ですよね。今でも思いますけど、帰った方が楽なのかな?って。給料水準も高いですし、なにより子供の頃から向こうで育ったわけですから。でも友達とかにも鶴岡に住むって宣言してきたのに帰るのは格好悪いじゃないですか。何もできずに帰って来たって言われたくなかったし、自分に「ここに何しに来たんだよ。」と自問自答でした。


芳賀さん:戻ろうかと迷ってた時期にある男との出会いがあるんですよ。日本西海岸計画の池田友喜が僕にアプローチしてくれたんです。どっかから僕の情報が流れてきたみたいで。俺を囲む飲み会をしてくれたんです。それまで移住してきた人との出会いが全くなかったので。まぁ自分が閉ざしてただけなんですけど、そこで彼と会って、こういう人もいるんだと思い始め、そこで自分も堂々と移住者だって言えるようになったんです。それまではよそから来たと言うと逆に入っていけなくなると勝手に思ってたところがあったんです。こんなにUIターンしている人がいるって知った時にすごい勇気をもらったんですよね。プライベートの部分でちょっと休めるとこが見つかったというか。本音を言えて励ましあえる人が見つかったので楽しくなっていきました。

(起業されてからのお話は後編で・・)

市広報9月号特集「地元で働くということを選ぶ」

広報「つるおか」9月号では特集では「地元で働くということを選ぶ」と題して

地元で働くことを選んだ人の声や地元就職を応援する取り組みが紹介されています。

是非ご覧ください。

 

 

印刷用PDFはこちらから・・

また広報つるおか9月号はこちらから

移住者交流会Vol.5 のご案内

初めての雪道!久しぶりの雪道!

運転が怖いと思っていませんか?

 移住者交流会Vol.5では、雪が降る前に

 自動車教習所教習指導員による、

 冬道の安全運転の講習会を開催します。

 (映像を見たり、座学による講習を受けます。)

 

 そして昼食には、庄内の冬の伝統行事「大黒様のお歳夜」に

 ちなんだお食事をいただきます。

 お子様連れ大歓迎!!

 Hospital Heart Actの皆さんが楽しい体験教室を開きます。

 雪が降るのが待ち遠しくなるよう、皆さんで交流しながら

 鶴岡の冬の楽しい過ごし方を見つけましょう!

 【日 時】平成29年11月18日(土)10:00~14:00(受付9:30~)

 【対 象】鶴岡市へUIJターンされた方とそのご家族、鶴岡市への移住を希望されている方。

 【定 員】先着約30名

 【参加費】1,200 円(昼食代・保険料・雪道講習料金)

 【会 場】鶴岡アートフォーラム2階 大会議室

 (鶴岡市馬場町13−3)

 【締 切】平成29年11月15日(水)まで

 【申込先】住所、氏名、年齢、電話番号を電話又はFAX、e-mailで

 山形県鶴岡市地域振興課へ

 TEL:0235-25-2111 内線 585

 FAX:0235-25-2990

 e-mail:chiikishinko@tsuruoka-iju.jp

 

 

『フィールドワークで学ぶナリワイの考え方・作り方』講座のお知らせ

「楽しくおいしくナリワイづくりwith大網のみなさん」

鶴岡市大網地区は、大日坊、注連寺、田麦俣の多層民家が有名ですが、それ以外にも山菜、棚田、湧水、食文化、満点の星空など、豊かな資源がたくさんあります。

今回は、特別に地域住民の方と紅葉ののどかな里山を歩きながら、ディープな大網の魅力をあなたの視点で発見していただきます。

お昼は、大網の山の幸たっぷりのメニューです。午後は、発見した魅力や課題に「あなたの好き」をかけ合わせ、小さなビジネス『ナリワイ』を考えていきます。
わいわい楽しく、仲間と一緒にナリワイを作ってみましょう。

印刷用PDF はこちらから

■日 時 / 2017年10月22日(日)10:00 -15:30 雨天決行
■場 所 / 上村公民館(かみむら)
住 所:鶴岡市大網字大網149                                          ※チラシに記載の会場は、国政選挙の日程と重なった関係から、「(変更前)朝日東部コミュニティセンター」から「(変更後)上村公民館(大網)」に会場を変更して開催いたしますので、当日はお間違いのないようご来場ください。

【スケジュール( 予定)】
10:00 スタート お互いを知ろう
10:30 レクチャー1「今、大網ってこんなとこ」
10:45 フィールドワーク「大網を歩いてナリワイの種探し」
12:00 昼食
13:00 レクチャー2「ナリワイの考え方・作り方」
ワークショップ「ナリワイづくり」
15:30 終了

■参加者 / 15 名(先着順)
■対象者 / ナリワイの作り方・考え方を学びたい方
山のナリワイに興味がある方
移住者やU ターン者で、鶴岡でつながりを作りたい方
田舎に住みたい方
■参加費 / 800 円
■服 装 / 動きやすい服装、運動靴、帽子
雨天の場合 / 長靴、レインウエア

 

お申込みはこちら! Googlフォームからお申込みください。

 

■お問い合わせ先(事業受託者)/鶴岡ナリワイプロジェクト
電話 070-4319-6996 (平日9時~17時)
※できるだけ、Facebookメッセージでお問い合わせください。

 

鶴岡ナリワイプロジェクトについてはこちらからご覧ください。

 

 

■主催 / 鶴岡市(地域振興課)
■共催 / 朝日東部地区自治振興会
■企画運営 / 鶴岡ナリワイプロジェクト

No.22マイプロ部への参加し新しくできた繋がりが背中を押したUターン

 今回の移住者インタビューは2016年3月に東京都からUターンされた草島侑子さんにお話しを伺いました。草島さんは、鶴岡市のご出身。高校卒業後に音響の専門学校へ進学するために上京しました。

草島さん:実はやりたいものも特別になく、東京も怖いから行きたいとは思っていませんでした。なんとなくラジオが好きだったので、仙台辺りで音響関係の専門学校へ行こうと考えていました。でも先生に「音響なら東京へ」とすすめられ、それで東京に行くことにしたんです。生活もいきなり一人暮らしではなく、学校に通いながら新聞配達をする制度があったので、その寮で暮らしました。その後、ブライダルの音響やマネジメント等の仕事をしたのですが、土日がメインのお仕事なので、平日は飲食店との掛け持ちをして働きました。20歳過ぎくらいの時には、自然食品の化粧品部門で販売の仕事をしたり、この11年間いろいろな仕事をしてきました。

(写真提供 草島さん 東京の仲間と)

地元に帰ろうと思ったことはありませんでしたか?

草島さん:まったくありませんでした(笑)。28歳になるまで、お盆とお正月くらししか帰ってきませんでした。帰省したときには決まった友達としか会いませんでしたね。期間も3日間くらいで、羽黒山に行きお参りして帰るみたいな感じでした。

30歳を目前にしたときに、このままずっとフリーターでいいのかなと漠然と思うようになりました。東京にいてもずっと地元のことは気になっていて、テレビで山形県が取り上げられたら嬉しくて、Facebook等で地元の情報を見ていましたね。たまたま「山形」でインターネット検索をしたら、ヤマガタ未来ラボさんのHPにたどり着き、そこで告知していたイベントに参加してみたんです。それは、鶴岡にIターンして暮らしている人と話すという軽いノリの会でした。江戸川区にある鶴岡市の東京事務所にも行きました。その時、募集していた山形の郷土料理教室にも参加しました。

(写真提供 草島さん 東京にて仲間と)

草島さん:ちょうどそんな時期にヤマガタ未来ラボの田中さんにマイプロ部(※)のことを聞き、それに参加してみようと思ったんです。 マイプロ部に参加する前に、1日農業体験みたいなイベントもあり、それにも参加しました。そこで小野寺紀允さん(★)といろいろ話をしました。「考えているうちじゃダメだよ。とりあえず来てみたらいい。迷っていたら自分から動かなきゃだめだよ」と言われ、それもきっかけとなりました。鶴岡に帰ってきた時点で仕事が全く決まっていなかったのですが、小野寺さんのところで働かせていただき大変ありがたかったです。

(※)マイプロ部とは、「いまは都会に住んでいるけど、なんだか鶴岡が気になる。」そんな想いを持つ仲間たちと一緒に、自分と鶴岡との関係性を深めていくプログラム。鶴岡市をフィールドに現地でプロジェクトを実行している人を手伝うなど、2014年から毎年開催されている。詳しくはこちら

(★)小野寺紀允さんのインタビューはこちらから

(平成28年度のマイプロ部の様子)

実際にマイプロ部に参加してどうでしたか?

草島さん:はじめは「30歳になってから帰ろう」と漠然としか思っていませんでしたが、マイプロ部に参加して、すごく楽しかったし新しい繋がりもできて鶴岡のイメージが変わりました。マイプロ部に参加した年に丁度、家賃の更新もあったので、たまたまいろいろな条件が重なって鶴岡に帰ろうということになりました。

マイプロ部でお会いしたときは、帰ってきたら食と関わりたいと言ってましたね。

草島さん:そうですね。漠然とそう思っていました。食文化女性リポーターとかも楽しそうだし食文化を知るのは面白そうだなあと思ってました。帰省して2週間後くらいに、鶴岡ナリワイプロジェクトの繋がりで、羽黒で石鹸ワークショップに参加したところ、そこに今勤めているレストランのオーナーの山澤清さんがいらっしゃったんです。そのときは全然話せなくて、でも帰ろうとしたときに「何やってんなだ?」って声をかけていただき、「何もしてません、無職です」って言ったら、「何もしてないんだったら毎日ここに来なさい」って言っていただき、図々しく毎日通い、話を聞いたり、本を読んでたりしているうちに今に至っています。結果、食と関わった仕事をさせて頂いているのが不思議です。山澤さんはオーガニック化粧品を手掛けてきた方で、ちょうどこの頃、自分のハウスで栽培した在来野菜を使ったレストランの準備を始めていました。

実はご縁があった山澤さんとの出会い 

 草島さん:実は、帰ってくる前に、職を決めないといけないなと思っていた時期もあり、求人案内を見ていたら、今勤めている会社の求人が出てたんですよ。でも経理で募集していたので、私のやりたいこととはちょっと違うなと思い、対象外にしていたのですが、結局そこに入っちゃったみたいな(笑) 。でも本当はもっと以前に、先ほどお話しした自然食品店で働いていたときに、山澤さんのハーブ研究所の石鹸が置いてあったんです。裏を見て、庄内にこんな方がいるんだと思ったのを覚えています。

草島さん:山澤さんって、「何やりたいの?」って聞きだしてくれるんです。自分がそこまで思ってなくても、その場所を提供してくださるので、やらざるを得ないというか(笑)。この店をオープンするにあたり、音響のこともやらせていただいたんです。音響の操作はしたことがあったけど、機材の取り付けなんてやったことがなかったから、最初はプレッシャーでした。電気工事みたいなこと、素人にはできないよって周りからも言われてたんですが、それを山澤さんは私に「やりなさい」ってやらせてくれたんです。それが自信につながる。私だけではなく、皆さんにそういう場を提供してくださるんです。可能性を広げてくれる方だと思います。

(在来野菜のリスト)

見てきたこれから先の仕事のビジョン

草島さん:実際にはすぐに仕事が見えてきたわけでなかったので、知り合いを当たりアルバイトしたり、失業保険をもらいながらパソコンの勉強をしていました。それが、後々活きてきています。お店の中にある在来野菜のリスト、私が作ったんです。全くパソコンができなかったけど、ちゃんと活かされてるんですよね。

今の仕事がフル稼働し始めたのはいつ頃ですか?

草島さん:今年の3月です。3月からが正式雇用だったので。鶴岡に戻ってきてちょうど1年ですね。今までは、仕事とプライベートとはしっかり分けていたんですが、今のところはどっぷり仕事に浸っています。単純に面白いから苦じゃないというか、拘束されてる感覚がないですね。今後どうなるかわかんないですけどね(笑)。やはり、マイプロ部への参加が大きかったです。そこで、人と繋がっていなかったら、鶴岡にUターンしてどうやって人と関わっていったらいいかわからなかったと思います。

 

根底にあるものはつながっています

草島さん:東京にいた時も映画「よみがえりのレシピ」を観に行き、種をつないでいく”想い”にとても感動しました。この映画の影響も大きかったです。奥田さんの「庄内パラディーゾ」も読んで感動していました。もともとそういうのが根底にあって、全て繋がっている気がします。自分がもし飲食店で働くとしたら、近くに無農薬の畑があって、そこから野菜を採って提供できたら理想だなと思っていました。今は理想を超えるものがここにあってありがたい環境にいるなぁと思っています。

Uターンする人にこれだけはやっておいた方がいいことは?

草島さん:帰れるときに帰ってきて、気になるイベントがあったら参加したらいいと思います。帰省したときいつも会う友達と会っていても何も変わらない。いつもと同じ行動をしていても何も変わらないと思います。昨年末に開催された帰省者向けの忘年会イベントでは、その時は盛り上がったのですが、そのあとの飲み会等を設定しておけばもっと盛り上がったんじゃないかなって思います。イベントとリンクしたゆるい交流の場があるといいなと思います。

鶴岡を出た自分と今の帰ってきた自分の違いは?

 草島さん:若いときは外に刺激を求めていました。年を重ねるにつれて変わってきました。東京での10年間で自分のやりたいことをある意味で思いっきりやったのかもしれません。

草島さん:東京から鶴岡を見ている時は距離感が遠く感じていましたが、鶴岡に来てからは、東京が近いと感じます。自分の感覚の持ちようですけどね。地元のことを知らなかったから遠く感じたのかな。以前より直感を大事にして動くようにしています。今も東京が好きなので定期的に足を運んでいます。東京で出逢った人達が鶴岡に来てくれた時は本当に嬉しいですね。

これから先はどうしていきたいですか?

草島さん:今の段階では、「農家さんに伝承野菜を作ってもらいレストランで買い取る。そうすることで農家さんの安定した収入に繋がる。」というここのシステムを少しずつでも広めていきたいです。それが日本の農業の未来につながるんじゃないかなって思います。ここに沢山のお客さんを呼べるようにしたいと思っています。今年も鶴岡ナリワイプロジェクトのお仕事をさせて頂いているのですが、そういうのも組み合わせながら、1つの仕事だけじゃなくていろいろな仕事をやっていければなと思っています。今の職場では、そういうワークスタイルでいいと山澤さんが言って下さっているので、いい環境で働いています。

(平成29年5月11日 インタビュー)

〜鶴岡市での”しごと”と”暮らし”が体感できます〜鶴岡しごと体感ツアー

鶴岡が気になっているけれども、

       一歩踏み出せないアナタにオススメ!

鶴岡市での”しごと”と”暮らし”が体感できます

鶴岡しごと体感ツアー

        に参加してみませんか?

 

平成29年10月21日(土曜日)に開催される「つるおか大産業まつり」(※)の会場にて、地元企業の「ものづくりエリア見学」や気になる地元企業との相談会に参加できます。


出展企業一覧はこちらからご覧ください。⇒ こちら

(※)「つるおか大産業まつり」は、食と緑と技の祭典で、新鮮な農林水産物や加工品、姉妹都市北海道木古内町の特産品の販売ブースが並ぶほか、鶴岡の匠の技が生んだ工業製品の展示、県内の花き品評会も開催されます。ほかにも、木工クラフトやそば打ち体験、地元の子どもたちや高校生によるステージなど、さまざまな催しや振る舞いが目白押しの祭典です。

当日は、さまざまなお店の中からお気に入りをみつけて、昼食をいただきます。

大産業まつりに参加した後は、櫛引温泉「ゆ〜Town」にて月山を望みながらゆっくり温泉で疲れを癒していただきます。

 

伝承500年、能の古来の姿をそのままに伝える国指定・重要無形民俗文化財 黒川能の里 王祇会館にて、簡単に黒川能の歴史に触れていただき、黒川地区の農家民宿の女将さんたちが作る地元の料理をいただきながら、先輩移住者との交流会を開催します。

 

宿泊は、普段味わうことのできない農家民宿で温かいおもてなし。

 

翌日は、空き家をリノベーションして自分たちの理想の暮らしを楽しんでいる先輩移住者のお宅を拝見します。
空き家選びのコツやリノベーションについていろいろなヒントを伺います。

鶴岡市のお試し住宅にお住まいの先輩移住者の暮らしぶりもちょっと覗いてみます。

昼食には、くだものの里、櫛引地域のぶどう園のぶどう棚の下にて新米のおにぎりと芋煮をいただきます。

鶴岡食文化市場、駅前にあるFOODVERの見学し、鶴岡にいながら世界へむけて起業した先輩移住者の事務所を拝見します。

庄内物産館でゆっくりお買い物をしてから庄内空港へ。

印刷用PDFはこちらから・・

お申し込みはこちらから・・

第1回東北U-Iターン大相談会に出展します!

東北で見つける!新しい生き方・働き方

第1回 東北U-Iターン大相談会が開催されます。

鶴岡市も出展いたします。

会場では、移住コーディネーターが、お仕事だけではなく

住まいや子育て等、移住に関わる様々なご相談を

お受けいたします。

入場無料、予約不要ですのでお気軽にお越しください。

日 時 : 2017年7月23日(日曜日)

     11:00 〜 17:00(最終入場16:30)

日 時 : 東京交通会館 12階 ダイヤモンドホール

入場無料!! 予約不要です!!

 

 

 

詳しくはこちらから・・・

No.21 子育てには最高の環境の鶴岡で、笑顔の花を咲かせたい。

今回の移住者インタビューは2011年に東京都板橋区から移住された佐藤健志さん、陽子さんにお話しを伺いました。

健志さんは川崎市出身。祖父母が鶴岡に住んでいたことから、子供の頃は、お盆やお正月の休みの度に鶴岡の祖父母宅を訪れ、夏は畑のトマトをもいで食べたり、海へ行ったり、冬は雪遊びをして楽しんでいました。

22歳の頃、楽曲制作やDJをしていた健志さんは、何度か渡米をするうちに世界各地をバックパック一つで回るようになりました。26歳のときアジア放浪中にインドを訪れ、マザーテレサの施設でボランティアをしていた陽子さんと滞在先の宿で出会います。健志さんは、この「マザーテレサの施設」でのボランティアを勧められ、それに参加した後、陽子さんと一緒に3か月かけてインド国内を旅しました。

(写真提供:佐藤健志さん)

一方陽子さんは、東京都板橋区で生まれ、ご両親に小さい頃から自然と親しみながら育てられました。そんな陽子さんは、大学生のときに世界一周をしようと思い、タイ、カンボジア、マレーシア、インドネシア、インド、ネパールとアジアを回り、その中でもインドに魅せられ、何度かインドを訪れるようになり、そこでヨガも始めました。

(写真提供:佐藤健志さん)

インドで出会ったお二人ですが、健志さんがインドから帰国した半年後に陽子さんも帰国し、お二人は2006年に結婚、その後は東京で暮らしていました。

(写真提供:佐藤陽子さん インドにいた頃の陽子さん)

鶴岡へ移住されたきっかけは何ですか?

健志さん:鶴岡に暮らしている祖父母が高齢となり、川崎に住む両親が跡を継ぐため鶴岡に住むという話になりました。ところが父が急に他界し、自分に跡取りの声がかかり祖父母の養子になり鶴岡へ移住することになったわけです。

移住されるという話を聞いてどう思いましたか?

 陽子さん:いつかは鶴岡に帰るとずっと言っていたので、全然びっくりしませんでした。

健志さん:自分でそんな気がしていました。自然が好きでゆくゆくは都会より自然が豊かなところで暮らしたいと思っていて、他の地域は全く考えていませんでした。

こちらへ移住する際に、知人が全くいないことは気にはならなかったですか?

健志さん:もともとバックパッカーで海外を歩いていたので、気になりませんでした。旅の延長みたいな感じでした。

陽子さん:都会より田舎にいた方がよいと思っていたので、気になりませんでした。また、仕事についてもなるようになると思っていました。
健志さんは、鶴岡へ来たばかりのときは、お祖父さんの畑仕事を手伝っていました。陽子さんは、移住したのをきっかけにヨガ教室を始めました。

(写真提供:佐藤陽子さん ヨガ教室の写真)

地域とのお付き合いはどうですか?抵抗はありませんでしたか?

健志さん:祖父が地域活動していましたが、90歳を過ぎたので僕がそれを引き継ぎ、神社講や長老会のような地域の集まりにまめに顔を出しています。そこには自分の父親よりちょっと上の世代の人が沢山います。また消防団やお祭りなど地域の行事にも参加しています。今住んでいる地域には、昔からの古い農家が多くお互いを屋号で呼んでおり、地域の行事が活発な所です。来たときは屋号がまずわかりませんでした。また、NPO法人ぼらんたすのメンバーとして地域自殺対策事業の「山形県庄内発!こころを元気にするプロジェクト」に実行委員で参加しています。

(写真提供:佐藤健志さん こころを元気にするプロジェクトの会議)

一方、陽子さんも地蔵講という若妻会があり参加しています。代々子供を守るためのお地蔵さんがいて、かつては順番にそのお地蔵さんを自宅で預かっていましたが、今は公民館の和室の押し入れにいるそうです。年に数回、このお地蔵様用にご馳走を持って公民館に集まるのがこの会です。

陽子さん:私は地域のことを全然わかっていなかったので、仲間にいれてもらえて嬉しかったです。

移住を考えている人へアドバイスがあれば教えてください。

陽子さん:子供が大きくなる前に移住するのがいいと思います。環境が変わるのは小さいうちの方がいいと思い、2番目の子が2歳のときに引っ越ししました。実際、子供はすぐに幼稚園に馴染むことができました。転勤族の方も多く、いろいろな地域の方が多かったので疎外感も感じませんでした。幼稚園のママ友達とランチ会があったり、ヨガに興味がある人が教室にきてくれるので生徒さんやお友達もできるし、地元のお母さんたちとも繋がりができました。

健志さん:鶴岡は子育てには最高の環境だと感じています。海も山も近く、こんなに間近に自然を楽しめるところはありません。週末のたびに自然の中で沢山遊ぶことがでるので、子供が小さいときには特にいいと思います。子供が大きくなると買い物に行きたがるようになりますから(笑)。

(写真提供:佐藤陽子さん 子供たちとの自然の中のヨガ)

陽子さん:食べ物も四季折々の美味しいものを食べられます。また山へよく清水を汲みに行きます。鶴岡だけではなく庄内一円楽しめる場所へでかけます。

困ったことはありましたか?

 陽子さん:ないですね~。庄内弁のヒアリングはできるようになりましたが、話せないので、話せたらいいなと思います。

鶴岡に暮らしてみて一番良かったことは何ですか?

 陽子さん:ありすぎて困ります。海も山も近いところです。自然を感じられる、四季もはっきりしていて、冬の厳しさもあるけど春の喜びを感じられるんですよね。食べ物も四季折々の美味しいものを食べられます。美味しい水を汲みに行くんです。水に困らないのがいいですね。

健志さん:鶴岡へ来る前は、実は体調が悪くよく寝込んでいました。こちらで暮らすようになり、朝は早起きして畑へ行き、夜も9時過ぎには子供と一緒に寝るようになりました。以前は今とは真逆な生活スタイルですごく元気になりました(笑)。

(3人目のお子さんが誕生したばかり)

これからどうしていきたいか、教えてくさい。

 陽子さん:どうしようというより、なるようになるとしか考えてないですね。ヨガの仕事は安定走行。ヨガは身体とココロにいいですからね。生徒さんは転勤族と地元の人と半々くらいです。ヨガの先生同士が繋がって、鶴岡でヨガをする人が増えたらいいなと思っています。

健志さん:今まで、たんぽぽの種が風に乗って移動するように流れに委ねて生きてきました。たどり着いた鶴岡で地域から色々な栄養をもらい成長し、笑顔の花をたくさん咲かせて、その笑顔の種がヨガを通して多くの人々に届いて、心身ともに健やかになっていただけたらいいなぁと思っています。

(平成29年3月8日インタビュー)

 

平成29年度『お試し住宅』の物件を追加しました。

鶴岡市では、民間賃貸住宅を活用した、県外からの移住者向けの『お試し住宅』入居者を募集しております。

 

山形県外から鶴岡市へUIターンを希望する移住者向けの住宅支援制度です。山形県宅地建物取引業協会鶴岡が取り扱う「お試し住宅(一戸建)」の中から、希望する物件を選んでいただき、最長で6箇月間の「定期借家契約」できる住宅となります。契約期間中に自己負担した家賃、契約時の仲介手数料、家賃保証保険料の一部を契約期間終了後に鶴岡市が補助します。


制度の詳細については、鶴岡市のホームページをご覧ください。 ⇒こちら

   お試し住宅物件 No.1

   成約済みとなりました。

   お試し住宅物件 No.2

       成約済みとなりました。

   お試し住宅物件 No.3

  成約済みとなりました。

   お試し住宅物件 No.4

                                     お試し住宅物件No.4 印刷用(PDF)

   お試し住宅物件 No.5

  成約済みとなりました。

   お試し住宅物件 No.6

  成約済みとなりました。
                                

   お試し住宅物件 No.7

       お試し住宅としてではなく、売り物件となりました。

           

 お試し住宅物件 No.8

 成約済みとなりました。

 お試し住宅物件No.9    

  成約済みとなりました。