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No.36「鶴岡で和紙づくり」時代とおもに変化し、生きていく

 

今回のインタビューは、2017年に岐阜県からUターン、現在上郷地区で和紙工房を営んでいる長谷川聡さん(56歳)にお話しを伺いました。

(インタビューを受ける長谷川さん)

長谷川聡さん。鶴岡市出身。高校卒業後は金沢の大学へ進学。その後和紙づくりに興味を持ち、伝統的な美濃和紙工法を学ぶ。2017年にUターンし、上郷地区で「長谷川和紙工房」を営む。

―これからの働き方

Q.元々、鶴岡に戻る予定だったのでしょうか。

A.私が大学に在学していた頃は、日本経済が右肩上がりで、アメリカよりも日本の土地の価値の方が高くなっていた時代でした。しかしこんな状況はずっとは続かないだろうと若いなりに心配していました。そこで、企業の中で働くのではなく、自給自足の面の強い農業をやろうと考え、いずれ鶴岡に戻るつもりでいました。しかし、現実問題として農業だけではやっていけないと感じていたので、うまく組み合わせられるものはないかと見て回っていた時に、農閑期に組み合わせてやれる和紙づくりと出会いました。

 

写真提供:長谷川さん(左:川ざらしを終えた楮(こうぞ)を運ぶ 右:工房前の積雪を掃いて紙干しの準備)

Q.その当時、和紙づくりというのは全国的に盛んだったのでしょうか。

A.和紙づくりというのは、本当は大事な仕事だと思うのですが、その当時の社会的な評価は低く、担い手も少ない状況にありました。生産性も低かったので、バブル時代においては衰退産業のように思われながらも、何とか日本経済に引っ張られてきたように思います。全国的に見ても、高齢化と若い後継者の不足が続いている状況が進んでいました。 

(左:和紙の原料となる楮(こうぞ)とトロアオイ 右:柔らかく煮た楮(こうぞ))

 ―和紙づくりを続けていくために考えたこと、行動したこと

Q.和紙づくりはどこで学ばれたのですか。

A.大学在学中に各地の和紙産地を訪ね、和紙の現状を見て回りました。卒業後は、金沢にある和紙工房で、生計を維持するために始めた学習塾の講師と掛け持ちしながら和紙の勉強していきました。その後、1991年、26歳のときに、岐阜県にある本美濃紙保存会の会長である古田行三さんに伝統的な美濃紙工法を学ぶ機会を得て、岐阜に移り住みました。

(紙漉きの準備、原料を混ぜ合わせる)

Q.岐阜での和紙づくりは、金沢での生活と違っていましたか。

A.金沢の工房では農業と和紙づくりが同時に行われていたので、岐阜でも同じように行っているものと思っていました。ところが自分が岐阜で仕事を始めたころには、二足のわらじでできるような仕事ではないと感じました。紙を漉(す)くという作業は、一見すれば単純労働に見えますが、できればそのことだけに集中できた方がいい仕事です。また、和紙づくりは、様々な人が関わっていて、皆がその役割を果たさないとできないのです。だから、新しい担い手が増えていかないと、関連する仕事をする方々が仕事を継続できなくなるので、和紙づくりが回っていきません。正直いって、農業との兼業を考えている場合ではないなと。師事して3年目に古田さんが他界してしまい、早くも自分で独立して起業せざるをえない状況になったことも大きいのですが、和紙の仕事に関わる比重が高くなり、忙しくなってからは岐阜に来てからも続けていた学習塾の副業も辞めて和紙の仕事を専業にしていました。この頃は、もう鶴岡にUターンして農業と組み合わせて和紙づくりをするといった意識はなくなっていました。目の前のことだけで精一杯でしたので。

(紙漉きの作業)

Q.和紙業界の事務局もされていたと伺ったのですが。

A.はい、本当は自分の仕事だけをしていたかったのですが、そういった活動もしていかないと、結局は、和紙業界自体が小さくなってしまっていましたから。私が岐阜に行った頃は10年後の存続も危惧されていて、若い世代の担い手もいませんでした。岐阜の産地は危機的に見られていたんです。今とまるっきり反対ですけどね(笑)。そこに若者が集まって来るようになってきたのは、岐阜県美濃市が後継者養成のための助成金、奨学金の制度を作ったことが大きいと思います。制度ができたからこそ、外部からの研修生を引き受ける仕組みも整備されていき、それから少しずつではありますが、紙漉きをやりに来るとか、職人希望の人も出てきて、今では県外からの移住者も含めて、20代から40代位の十数人の研修生が学んでいる状況になっています。

 ―新たな挑戦。産地以外での和紙づくり

Q.Uターンを決めたきっかけを教えてください。

A.ちょうど和紙がユネスコの無形文化遺産に登録されて本美濃紙もその一つとして登録されました。それにより広く周知され、若い研修生への支援も補助金などで拡充できました。私は組合の副理事長を十数年も勤めていましたが、行政や若い組合員らとの間で、今後の事業の進め方などについて意見の異なることが少しずつ多くなりました。私が調整しながら進めるだけでは結果的に必ずしも良い効果を生まないのではと思うようにもなったのです。また、補助金などの支援を受けて伝統技術の保存伝承に注力するだけでいいのか、注目を集める産地とそうでない産地の格差ができることが、和紙業界全体でみたときにこれでいいのかと思ったのです。現在の東北は残念ながら生産者も減ってしまい和紙の後進地域で、山形県内には4か所しかなく、庄内ではここだけです。でも和紙職人のように地道なことをコツコツやることは、東北人に向いていると思うのです。和紙づくりの歴史的背景がない地域でも和紙はできる。今までの「伝統のある産地でなければできない和紙」とは違った捉え方でできる和紙づくりを自分でやってみようと思ったのがUターンを考えたきっかけです。

写真提供:長谷川さん(天日干し)

―自分のアイデンティティ

Q.Uターンしてからの生活はどうでしょうか?

A.岐阜との違いは雪が多いことですね。自分が生まれ育った土地ではあるのですが、高校生の頃と、社会人になってからでは見え方が違いますね。また、お盆と正月などには帰省していたのですが、30年以上も経っているので以前との違いにも驚いています。以前、海外でハーフの方と話す機会があったのですが、「自分の国籍がどちらなのか、自分がどちらの民族に属しているのか、時々わからなくなる」と言っていたのを思い出しました。まさにそんな感じですね。自分が山形県人なのか岐阜県人なのか。ふと戻ってきて、どこかよそ者っぽい感じはしますけど、だからといって不都合があるわけではないのですが(笑)。今は地域の方と草刈りとか様々な活動を一緒にしています。

写真提供:長谷川さん(紙の選別)

―どこでもできる和紙づくり

Q.今後やっていきたいことがあれば教えてください。

A.チャレンジという点では、4つあります。

1つ目は、和紙の原材料である楮(こうぞ)という木の皮について、茨城県大子町が主産地でいつもそこから取り寄せていたのですが、今後は地元でも栽培できないかと思っています。

2つ目は、場所を問わない和紙づくりです。伝統工芸の産地でやることは、伝統の産業だとか、地域の昔からの文化だからというスタンスになりますが、そうじゃなくてもいいと思っています。「どこでもできる和紙づくり」。田舎でも、都会のマンションの一室でも和紙づくり教室みたいなものがあれば、和紙ってもっと身近になると感じています。

3つ目は、和紙の世界では環境対策が遅れています。排水処理施設を導入するような考えは進んでいないので、環境面からの設備投資として、県のよろず相談に相談して補助金をもらいながら試作機を作りました。まだ完全に導入できていなくてコスト計算ができずにストップしていますが。何か今後の対策に役立てばと考えています。

4つ目は、和紙に限らず、人間は自然素材に触れる体験欲求みたいなものがあると思うのですが、そういった体験を多くの人に知ってもらいたいと思います。以前、アメリカで紙漉きのワークショップに参加した時は、40~50人の列ができ、最終的に200人ぐらいの人が紙漉きのはがきを喜んで持って帰りました。こういった体験があったからこそ、「寿司」が和食を通り越して「Sushi」という世界的な概念になっているように、海外の人が「Washi!」と言って喜んでくれる時代にしていきたいなと思います。

(現在の工房の裏に自生する楮(こうぞ))

―伝統文化を保存しつつも、新たなものも取り入れていく

Q.職人としてUIターンを検討しているかたへアドバイスをお願いします。

A.これからは、伝統文化を保存しつつも、同時に新たなものを取り入れていく時代だと思います。古いものだけではなく、新しいものが出来上がっていけば、鶴岡に縁のない人でもそのモノに関心を持って来てくれますし、人を呼び込むには様々な方法があるはずです。例えば鶴岡は、ユネスコ食文化創造都市のイメージが強いと思うのですが、食だけでなく食にまつわるいろんなことがあってもいいと思います。食とシルク産業やしな織などの工芸品を組み合わせてもいいと思います。和紙が必要ということであれば、私も協力したいと思います。自分たちの活動の成果を広げていくことがとても大事だと思います。鶴岡からの情報発信が十分でないと感じることも多いのですが、若い人で本気でやってみたい人がいれば、積極的に情報をキャッチして来てもらいたいですね。

(しな織りに使う繊維を漉き込んだ紙(試作品))

(インタビュー文:草島侑子)

 

No.35 ピラティスをこの地に広めていきたい!好きなことを続けながら叶えた鶴岡へのJターン移住

地方に移住を考えたときに、自分の希望する仕事が見つからないこともしばしば。今回は、ご自身の経験と資格を活かして、県内唯一のマンツーマンでピラティスができる施設でピラティストレーナーとして活動しているという安城さんにお話を伺いました。

安城久美さん。三人姉妹の次女として山形市に生まれ、高校卒業後は会社員として就職。その間に興味を持ったエアロビクスとピラティスの指導者として東京で活動を始める。2019年3月に鶴岡市へ移り住み、現在は、市内の医療法人にてピラティストレーナーとして、マンツーマンやグループレッスンを行う。

―ピラティスとの出会い

Q.いつからピラティスの指導者として活動されていたのですか?

A.高校卒業後は会社員として働いていましたが、その当時スポーツジムに通ったのをきっかけに、エアロビクスに興味を持ちました。仙台市でエアロビクス指導者の資格を取得。その後、東京にてフリーランス・エアロビクスインストラクターとして活動を始めました。そんな中、膝や腰にケガを負うことが多くなり、ケガの予防としてできる運動は何かないかと探して見つけたのがピラティスでした。

当時はヨガがブームで、ピラティスはまだ日本に上陸したばかりで、世間的には浸透していませんでした。ピラティスには、ヨガのような何かのポーズや、エアロビクスのように決まった順序の動きがあるわけでないのですが、その人の体のつくりに合わせたフォームで、一人一人の骨格の動きに合わせて体を動かしていくので、無理なく運動ができるのが特徴です。

(その人の骨格を見て、体の使われてない筋肉を動かしていくピラティス)

―働き方への違和感

Q.地方での暮らしを考えたきっかけは何でしょうか?

A.エアロビクスのインストラクターからピラティストレーナーになり、経験もたくさん積みましたが、その働き方に違和感を感じながら過ごしていた頃、お世話になっている方に東京以外での働き方を勧められ、首都圏ではなく地方で暮らすことを選択肢の一つとして考えるようになりました。

地方での仕事を探す中、以前から憧れていた「グランドアテンダント」の募集があるのを知り、その企業が参加する鶴岡市主催の地元就活応援セミナー(鶴岡市の友好都市である東京都江戸川区で開催)に行ったみることにしました。私は山形市出身だったのですが、鶴岡市の移住コーディネーターの俵谷さんが仕事・住まい・地域の情報など丁寧に教えてくれました。結果的にグランドアテンダントの仕事には就かなかったのですが、移住コーディネーターとの出会いをきっかけに、少しずつ鶴岡に興味を持つようになりました。

(鶴岡地元就職応援セミナーで移住コーディネーターと)

-県内唯一、ピラティススタジオを運営するクリニックとの出会い

Q.移住を決めた理由はなんでしょうか。

A.江戸川区での地元就職応援セミナーの後、山形県内でピラティスができる場所はないかなと調べてみました。すると鶴岡市にあるクリニックで行われていることを知りました。さっそく移住コーディネーターに相談をしてみると、鶴岡市の仕事体感ツアーを勧められ、直接企業訪問することになったのです。クリニックでは、ちょうど新規事業としてピラティスをはじめる準備をしようとしていたことも幸運でした。

(クリニック屋上からの月山)

山形県出身とはいえ、大人になってからは鶴岡へ行ったことがなかったのですが、月山や鳥海山など山々の素晴らしい景色、昔ながらの瓦屋根の多い古民家などに感動を覚えました。そして仕事だけでなく、住居についてもすぐに話がまとまり、「こんなにポンポン話が進んでいくのはきっと何かの巡り合わせだ」と感じ、移住を決めました。

(引っ越ししてきた当初に自転車で見に行った鶴岡公園の満開の桜)

-まずは現地へ来てほしい

Q.移住を考えている人にアドバイスがあれば教えてください。

A.私もそうでしたが、行ったことのない場所だと、土地勘もなく地名を聞いてもそこまでたどりつけなかったり、ましてそこでの暮らしなんて想像もつきません。まずは、季節の良いときに行ってみることをお勧めします。それから、車はあった方が断然便利です。はじめは自転車だけでしたがやはり車が必要だと思い購入しました。また、移住して間もないときは知り合いも少ないため、周囲の方に話かけたり、地域のイベントに参加していくと良いと思います。私の場合、転入先に知り合いがいた訳でもなかったので、春と秋に鶴岡市主催の移住者交流会に参加してみました。春は日本遺産にも指定されている羽黒地域の歴史文化を学んだり、移住してきたばかりの人たちと情報交換をすることができました。

(移住者交流会でピラティスの紹介をする安城さん)

また秋の交流会では冬道運転講習会も含まれていたので、車を購入し間もなかった私にとっては、得るものが多かったです。

鶴岡は地域性なのか、なかなか自分をすぐに出さないシャイな方も多いので、自分から進んで話しかけたり情報をとりに行くなど積極的に動いてみると、きっと素敵なご縁を運んできてくれると思います。

-地域のおばあちゃんが日常会話で「ピラティス」という言葉が出てくる運動に

Q.これから何かしたいことがあれば聞かせてください。

Aヨガやエアロビクスのように頑張って体を動かさなくても、体はもっと自然に動くというのが「ピラティス」です。ケガで苦しむ方にもピラティスという運動があることを伝えたい。今はそう思って活動を続けています。県内でもまだまだピラティスの認知度は低いので、もっと老若男女問わず知ってもらうことで、ゆくゆくは農作業をしているようなおばあちゃんが「今日ピラティスやってきたんだ」と自然と会話に出てくるようなレベルまで浸透していったら良いなと思っています。

(今野俊幸医院長(中央)、今野陽介先生(左)と一緒に)

文:伊藤秀和

 

 

市役所本所市民課の窓口を休日開設・平日時間延長します。

3月下旬~4月上旬は住所変更等の手続きで市民課の窓口が大変混雑します。

次のとおり、一部業務について窓口を休日開設・平日時間延長します。

■ 休日開設(午前9時~午後4時)

3月28日(土)・29日(日)・4月4日(土)

■平日時間延長(午後7時まで)

3月23日(月)~27日(金)・30日(月)~4月3日(金)

■取扱い業務

住民異動届(転入届・転出届・転居届等)

印鑑登録

各種証明書の交付(住民票の写し・戸籍全部〈個人〉事項証明書・印鑑登録証明書・所得課税証明書等)

マイナンバーカードの申請

No.34 上京してあらためて知る羽黒の魅力に惹かれUターン!

小さいときは気づかなかった地元の魅力。大人になってから気づく方も少なくないはず。羽黒町手向(とうげ)地区に住む阿部奈津美さんもその1人です。東京の放送業界で社会人生活を4年過ごし、2019年にUターンした阿部さんにお話しを伺いました。


阿部奈津美さん。1992年鶴岡市羽黒町生まれ。高校までを市内で過ごし、大学進学にあたり上京。大学では、映像関係やジャーナリズムを専攻。卒業後は、大手放送局での番組制作に4年間従事した後、地元鶴岡市羽黒町へUターン。2019年8月より、株式会社荘内日報社の記者として勤務。


 

-憧れのマスコミ業界を目指して東京へ

Q.学生時代のことを教えてください。
A.小学生の頃はテレビの教育番組を見たり、学校で壁新聞を作っていました。中学高校時代は弁論大会に出場したり、深夜ラジオを聞いたりとメディア漬けの学生時代を過ごしました。東京のマスコミ業界で働くことを夢見て、大学ではメディア分野を専攻し、プロ野球球団、地元放送局、大手新聞社などでのインターンを通して生の現場を経験しました。卒業論文では、「地域活性化」について取り組みました。地元のことを調べ考えていくうちに、地域の文化を知り、人口減少の課題に問題意識を持ったことで、改めて地元羽黒に魅かれている自分に気づきました。

(大学の卒論発表後に学部コースが同じ仲間で記念撮影)

-地元か東京か、葛藤の就職活動

Q.最初から山形県内での就職を考えていたのですか?
A.就職活動は、東京のマスコミ業界だけでなく山形県内のテレビ局も受けました。毎週のように新幹線で東京と山形県内を往復する生活を過ごし、最終的に東京の映像制作会社にご縁を頂きました。仕事内容は番組制作を陰ながら支えるアシスタントディレクター(AD)です。ドキュメンタリー、バラエティー、オリンピックなど、多くの刺激的な経験をさせていただき、充実した社会人生活をスタートしました。

(新卒時代、東京にいる地元同級生と会って気分転換)

-東京にいてからも、持ち続けた山形県との繋がり

Q.都会での生活を続ける中、地元への想いは薄れていきましたか?
A.ADとしての仕事は、番組で使う備品や食事の買い出し、小物作り、カンペ出し、動画編集、企画など、想像以上に忙しい毎日でした。トイレで寝落ちたり、2、3日の徹夜は当たり前で、仕事以外のことを考えたりプライベートな時間はなかなかありませんでした。そのような日々でしたが、山形県の情報を知っておこうと、何気なく「東京 山形 Uターン」というキーワードで検索したところ、ヤマガタ未来Lab.主催の「ヤマガタユアターンサミット」という、東京で行われている山形県の方との交流イベントがあることを知りました。参加してみると、様々な職の方々がおり、Uターンした方の経験談を聞きくことで自分の答えを模索し、山形県への転職という選択肢が頭の中をかすめるようになってきました。

(ヤマガタユアターンサミットでの集合写真)

-山形新幹線から見えた景色

Q.地元へ戻ってくるきっかけは何でしたか?
A.2018年10月に、祖母の葬儀で親戚一堂が地元に集まりました。親戚と話をしていて、地元羽黒に帰りたい思いが沸々としてきました。帰りの電車で田んぼに照らされた夕陽が目に入ってきて、こんな素晴らしい景色がある地元に戻ることを決意しました。しかしその一方で、東京のテレビ局では、責任のあるディレクター職をそろそろ視野に入れていこうというお話もあり、自分の中で葛藤があったのも事実です。そんなときに、ヤマガタユアターンサミットでお会いした2人の方に連絡をとりました。鶴岡市移住コーディネーターの俵谷敦子さん、もう一人は当時、転職支援の人材会社で働いていた佐藤大輔さんです。俵谷さんには精神的な部分を、佐藤さんにはハローワークの場所から、登録の仕方、企業へ出すエントリーシートなどの書き方まで技術的な部分を支援していただきました。こうして相談をすることで徐々に自分の気持ちが整理され、Uターンの準備を進めることができました。

Q.すぐに転職できましたか?
A.タイミングが良かったと思うのですが、1か月ほど就職活動を行い、すぐに地元のウエディング業界の内定を頂くことができました。友人の披露宴でサプライズ企画を考えたり、動画制作を行ったりする部分は、前職の経験も活かせ、この業界で働いてみようと思いましたが、マスコミ業界への気持ちを抑えられず、現在は地元新聞社で記者として働いています。今後は記者としての一つ一つの出来事に向き合いつつ、地域に根差した情報を発信していきたいと思っています。

(新聞記者として、庄内の現場を駆け回っています)

Q.仕事以外でも地域への関わりを持っていますか?
A.仕事とは別に「門前町手向地区地域活力創出ビジョンワークショップ」にも参加しています。地域外への流出による人口減少や、地域の方も年々高齢化してきており、祭りの存続危機も叫ばれています。手向を活性化できるきっかけを地域の方と一緒に作っていきたいと思っています。

-大切にしていきたい地元の文化とあたたかい地域の人たち

Q.改めて感じる地域の魅力を教えてください。
A.幼い頃は地域の方との距離感が近すぎて、人付き合いが面倒臭く感じてしまうこともありました。でも今では地元というと、幼い頃に関わってきた地域のおばあちゃんたちの顏を思い出します。出羽三山の折々の祭りは魅力的で、旧暦においての春は荘内郷土カルタ大会、夏は花まつり、秋は八朔祭り、冬は松例祭など、小学校の頃から地元の方と祭りで関わってきました。こうした祭りの中で、関わってきたおばあちゃんが元気に過ごしていることが嬉しくて、また会いたいと思い、地域に帰るきっかけにもなりました。東京に行ったばかりの頃は、忙しく過ごしておりそんなことを考えることもありませんでした。ふとしたときにお水やお米が東京のものとは全然違って美味しかったり、地元の友人の結婚話などを聞くと、地元も良いかもと思うようになりました。

(毎年年末に羽黒で行われている伝統的お祭り・松例祭)

(羽黒の五重塔)

(玄関をあけると地域の方のお裾分けで、この日はたけのこが置かれておりました)

-移住を考えている方たちへ

地元山形のことを教えてくれるような人が集う場所に行くことや、この人だったら話ができるという人と繋がりを持ち続けることが大事だと思います。実際、私も東京で生活しながら移住コーディネーターの俵谷さんや、転職支援を行う佐藤さんと連絡を取り合うことで、仕事や生活に支障なくスムーズな移住をすることができました。こうした方々から情報をもらいつつ、山形との繋がりを持てるイベントに継続的に顏を出していくことが大切だと思います。転職、結婚、子育て、介護、ライフステージの変化とともに、仕事や生活への価値観なども変化していきます。そんなときにすぐに連絡がとれるような信頼をおける人がそばにいるかいないかで、今後の選択肢は大きく違ってくると思うのです。地域に根差した文化・風習を守り、一緒に鶴岡を盛り上げていける仲間をお待ちしております。

(文:伊藤秀和)

No.33 鶴岡でUターン起業!地元食材を活かしたキッチンヵーで加茂を元気に!

年間50万人の観光客が集まる加茂水族館前に、地元食材を使ったキッチンカー「ハマヤキッチン」が大漁旗をなびかせ営業しています。1年前に奥さんとお子さんを連れて地元・鶴岡にUターンした佐藤勝彦さんです。ここでの常設営業許可は今まで下りなかったのですが、加茂を盛り上げていきたいという熱い思いが、地元や、加茂水族館、マルシェ事業者の皆さんに届き、2019年7月から営業をスタートさせました。

  (※写真1:インタビューを受ける佐藤勝彦さん)


佐藤勝彦さん、43歳。実家は旧藤島町の農家で、山形市にある理容美容の専門学校を卒業後は鶴岡市内を中心に理容師、美容師として活動。その後、バックパッカーとして渡米。帰国後は東京で輸入雑貨の卸売業、不動産業を経験し鶴岡にUターン。妻と子、三人暮らし。


―鶴岡に戻ろうと思ったきっかけを教えてください。

  年を重ねるに連れて、「田舎ってカッコイイ」と思うようになったからです。不動産の営業マン時代は、夜の接待や休日のゴルフなど、朝から晩までそして休日も仕事の毎日でした。それが当たり前だと思っていた生活でしたが、家族を持つようになってからは「誰の為に仕事をしているのか、出世して何になるのか」と疑問に思うようになりました。そのとき私は、39歳で妻と1歳になる子どもの3人暮らしでした。私たち夫婦は、都会での子育てより自分たちが育ってきた田舎暮らしの方が、子どもたちにとっても良いのではないかと感じていました。若い頃は感じなかったけど、歳をとってから感じるようになってきた鶴岡の良さ、たとえば、海や山などの雄大な自然や、歴史ある食文化など。一度東京へ出ることにより知ることのできた鶴岡の魅力に囲まれながら家族で一緒に過ごしてみたいと思うようになりました。

(※写真2:鶴岡市・加茂地域を上空から撮影)

―東京に住んでいたとき、鶴岡との関わりはどうでしたか?

  20代半ばの頃は東京に住んでいましたが、年に数回は鶴岡に戻ってきていました。当時から同世代の仲間はみんなアクティブで、自分たちで事業をはじめる人も多く、私自身にとっても彼らは大きな刺激になっていました。「この仲間で何かやりたいね」という話が出てきた時、10店舗近くの飲食店が集まり、バンドやダンスなどの音楽を交えた「荘内祭」というイベントを行うことになりました。

  (※写真3:当時を振り返りながら、地元の仲間との鶴岡での活動をイキイキと話す佐藤勝彦さん)

―キッチンカーを始めた経緯について教えてください。

  現在、私が住んでいる加茂には年間50万人の観行客が世界中から来ます。観光客の目当ては、世界一のクラゲ展示数を誇る加茂水族館が中心ですが、沿岸部にはまだまだ知られていない加工品やおいしい海産物などもたくさんあります。また加茂の事業者の中には、良いものは作るけれど、販路を持たない事業者も多くいます。こうしたおいしい海産物や加工品をもっている事業者と、加茂のおいしい海産物を探している観光客を繋げながら、この大きなマーケットを活かして地域を盛り上げていくことが出来たらいいなと思い、移動販売車に目をつけました。

  しかし、キッチンカーを始めるにあたり、最初は多くの方に難しいと言われてきました。叱られることもたくさんありましたが、くじけずに、諦めずに、粘り強く、何度も熱意をもって思いを伝えて回って交渉を繰り返しました。様々な方たちに自分の想いを伝え、地道に交渉していく中で、キッチンカーで営業していく目途がたち、2018年11月に「株式会社KamoDesign」として法人化しました。この地域の自治会や地元の方々、加茂水産高校や加茂水族館の関係者のほかマルシェ事業者、昔から地域に関わりのある先輩方など、多くの方にお力添えをいただき、2019年7月にオープンすることができました。この場を借りてお世話になった方々に御礼をお伝えしたいです。

  (※写真4:大漁旗を掲げ営業するキッチンカー)

―起業時は順調にスタートできたのでしょうか?

  キッチンカーのスタートに関しては、補助金を頂いたので、ほぼ費用はかからなかったです。東京にいた時から、若手経営者が次世代の経営者に起業のフローを教えてくれる場所へも出入りしていたので、自分はそこで補助金の申請の仕方などを学びました。

―地方での暮らしはどうですか?不便さはありますか?

  不便さは全く感じません。目の前がビルか海かの違いくらいですかね。大きな変化としては、家族と過ごす時間が大幅に増え幸せを感じることが増えました。今はキッチンカーで営業をしていますが、仕込みを行っていると子どもが「このサザエは安すぎるよ(加茂産のサザエ2ケ500円)。あまり安いとお客さんもあまり良いものではないと思って、買ってくれないよ」とか、「もっとこうした方が良い」とか、子ども目線でいろいろとアドバイスをしてくれます。

  (※写真5:たくさんの子どもたちもキッチンカーに遊びに来てくれました)

―今後はどんな展望がありますか

  株式会社KamoDesignは地域を盛り上げていくための最初の一歩と考えています。ここ鶴岡では、みんなこうした事業をやりたいという思いはあるけど、その手順や動き方をちゃんと教えてくれたり、活動を教えてくれる存在が多くないと感じました。事業資金を集めるにしても、借りるのか、補助金を使うのか、自分の預金を使うのか、それを事細かに教えてくれて伴走してくれる存在があるだけでチャレンジは増えると思います。また、販路開拓に関しても、よい商品ができれば人と人を繋げていくそうした場所がないので、もっとこうした想いを持ち創業したい人達が繋がり、みんなで地域を盛り上げていけば良いんじゃないかと思います。私が起業し、ここで営業をすることで、同じように「ここで営業したい」という方はどんどん増えていくと思いますし、そうした新規事業者が増えるようにお手伝いできればと思います。そして熱量を持った人が増え、その活動が広がっていった先に地域の活性化があるのだと思っています。

  (※写真6:加茂地域の方々)

―起業をしたいと思う方へのアドバイスをお願いします。

  諦めずに何度も熱意を持って思いを伝えること。「ここでやりたい」「これをやりたい」という自分の情熱があるなら、その思いに従って突き進めばよいと思います。正解の方向には困難や難題が待っています。困難にぶつかっても楽しみながら進んでいくことで、応援してくださる方が現れたり、協力して下さる方が現れて自信が付きました。ポジティブな想像や夢を膨らませてがむしゃらに自分の人生を楽しみたい方が増えれば嬉しい限りです。楽しい事よりつまならい事、成功する事より失敗する事、楽な事より辛い事の方の方が多いかもしれませんが、そんなチャレンジを通して、一緒にこの地域を盛り上げていきましょう。

  (※写真7:加茂の漁港の夕日)

  (文・写真 伊藤秀和)

 

 

【就職支援イベント中止のお知らせ】鶴岡市合同企業説明会in仙台

現在発生している新型コロナウイルス感染症が国内で拡大し続けている状況の中で、鶴岡市新型コロナウイルス感染症対策本部の基本方針を踏まえ、当イベント参加者の健康面・安全面を第一に考慮し、イベント中止を決定いたしました。
 参加を予定していた方々や、出展の準備をしていた企業の皆様には大変申し訳ありませんが、なにとぞご理解くださいますよう、よろしくお願いいたします。

 

中止イベントについて

■ 開催日時 : 令和2年3月14日(土)11時~16時

■ 場  所 : TKPガーデンシティ仙台ホール

■ 内  容 : ①就職支援セミナー(11:00~12:00)

会場:カンファレンスルーム21E

講師:株式会社荘内銀行 人事部採用担当者

②合同企業説明会(12:00~16:00)

会場:ホール21A・B

参加企業:22社(鶴岡市ホームページから

その他: ハローワーク鶴岡による個別相談コーナーもあります。

■チ  ラ  シ : PDFデータ

 

第4回鶴岡市市政報告会(江戸川区船堀開催)

今年も、鶴岡市と友好都市・江戸川区を会場に鶴岡市市政報告会を開催します。

第1部では、鶴岡市長が詳しく最新の市の取組や事業をご紹介します。

第2部では、新酒の地酒やワイン、郷土料理などをご用意し、参加者の皆様と交流します。

会場では、市の事業をパネルなどで紹介するブースの設置や特産品の販売のほか、鶴岡市関係者のプレゼンテーションなども行います。

(今年度のUIターンサポートプログラム 鶴岡マイプロ部の有志の方もプレゼン予定)。

■日 時:令和2年2月7日(金)午後6時から(開場:午後5時)

■会 場:タワーホール船堀 2階 太陽の間 (東京都江戸川区船堀4−1−1) 都営新宿線「船堀駅」より徒歩2分

■会 費:一般 3,000円 学生 1.000円 ※市政報告会のみの参加は無料です。

 

【両面】第4回市政報告会チラシ

 

 

2020年2月8日(土)東京都江戸川区で鶴岡地元就活応援セミナーを開催します!

「だんだん鶴岡さ帰りでの〜」そんなあなたに贈る、鶴岡満載の就職セミナー!

現在、首都圏等に在住しながら鶴岡市へのUIJターン就職を希望または検討している方は、是非ご来場ください!

「鶴岡地元就活応援セミナー」は、参加する鶴岡の企業20社の方々との情報交換や移住に関する相談、地元就職に関するセミナーなど情報を発信します。事前申し込み不要ですので、直接会場にお越しください。

◆開催日時:令和2年2月8日(土) 12:00〜17:00(※入退場自由)

◆会 場:タワーホール船堀 東京都江戸川区船堀4−1−1

(都営新宿線「船堀駅」徒歩1分)

◆対象者:鶴岡市へのUIJターン就職を希望する者または検討している者

※社会人、学生、問いません。また、年齢も問いません。

※大学等の卒業予定者及び現役生も含みます。

◆参加費:無料

◆内 容:(1)地元就職セミナー 12:00〜13:00

                        地元就職の状況や就職活動のノウハウ等の有益な情報を提供

                        (2)企業ガイダンス・就職相談会 13:00〜17:00     

                       鶴岡の企業20社が参加。企業担当者と地元就職を希望する方との事業内容、

                        採用動向の情報交換

                         (3)地元就職等に関する個別相談

                         就職相談(ハローワーク鶴岡)、移住相談(鶴岡市地域振興課)、

                         シゴト相談(ショウナイズカン・ヤマガタデザイン㈱)

 

詳しくは鶴岡市ホームページをご覧ください。

 

子ども農山漁村プロジェクト『江戸川サマーキャンプin 鶴岡』レポート

子ども農山漁村交流プロジェクトとは?

内閣官房、総務省、文部科学省、農林水産省、環境省の5省が連携して、子どもたちの学ぶ意欲や自立心、思いやりの心、規範意識などを育み、力強い成長を支える教育活動として、農山漁村における農林漁業体験や宿泊体験を推進するものです。
今回の「江戸川サマーキャンプin鶴岡」は、総務省のメニューである「都市・農山漁村の地域連携による子供農山漁村交流推進モデル事業」の採択を受け、友好都市である東京都江戸川区と鶴岡市が連携して実施したものです。

江戸川サマーキャンプin鶴岡

令和元年7月29日(月)から8月1日(木)までの3泊4日、江戸川区立鹿本小学校4年生34名が本市を訪れ、「江戸川サマーキャンプin鶴岡」を実施しました。

森・川・海の豊かな自然環境のもと、本市ならではの生業や伝統文化、新たな地域産業の息吹を五感で体感してもらうため、自然に親しむことを目的とした各種体験や創作活動、児童相互の協調性を育むグループ活動を組み合わせて実施しました。

 

滞在2日目は、地元の同年代の子供たちとの交流として、鹿本小学校と姉妹校である鶴岡市立朝暘第三小学校4年生34名が合流し、体験活動を通じて交流を深めました。

特に地曳網(じびきあみ)体験は、地元の子供たちもあまり体験することのない貴重な体験とあって、双方の子供たちが農林漁業に対する理解と関心を深めました。

また、滞在3日目は、山五十川歌舞伎の隈取(くまどり)体験や玉杉トレッキング、関川集落ではシナの花石鹸づくりやしなもっこタッセルづくり体験など、地域の特色ある伝統や産業に生で触れ、ここ鶴岡でしか体験することのできないプログラムを体感しました。

 

これらの体験を提供するインストラクターは、主に地元の農林漁業関係者や伝統芸能の保存団体の方々が務め、子供たちとの交流を通じて、プログラムを提供する方々のやる気や生きがいにもつながったのではないかと感じました。

参加した児童には、はじめて親元を離れての宿泊体験となる子も多かったのですが、3泊4日を元気いっぱいで過ごし、期間中に覚えた庄内弁で「せばまんずの~」と言い残し、名残惜しそうに帰りの電車に乗り込む姿がとても印象的でした。

 

鹿本小学校との事後交流

令和元年11月18日(月)に、受入地域の関係者が鹿本小学校を訪問し、事後交流として、庄内弁の方言カルタ、児童による合唱・演奏、思い出スライドショーの放映などを通じて、交流を深めました。

また、交流の最後に、今回の交流事業に参加した鹿本小学校の子供たちを「鶴岡こどもアンバサダー」に任命し、白井東京事務所長より認定書を手渡しました。

 


子供たちには、本市での自然体験と思い出を胸に、“いち鶴岡ファン”として、本市の魅力を友達や家族等へ広く語り伝えてもらうべく、次の3つのお願いをしました。

鶴岡こどもアンバサダーへの3つのお願い

・鶴岡市での自然体験や思い出を忘れないこと。

・鶴岡市での思い出や魅力を広く語り伝えること。

・大きくなったら、鶴岡市を再び訪れること。

今後の展開

今後の展開として、関係団体等と連携し、自然体験の掘り起こしやプログラム化、体験内容のさらなる充実を図るとともに、体験指導者の育成を行ってまいります。

また、東北一広い面積を有する本市には、多種多様な体験活動が散在していることから、実践者間の連携を促しながら、スケールメリットを活かした取組につなげてまいります。

最後に、今回の受入れに際して、多大なるご協力をいただいたNPO法人自然体験温海コーディネット様、ゆらまちっく戦略会議様、加茂水族館様、朝暘第三小学校様、山五十川古典芸能保存会様、金峰少年自然の家様など関係の皆様方に深く感謝申し上げます。

鶴岡市で就農をお考えの方へ 相談会およびイベントのお知らせ

鶴岡に戻って農業をやりたいとお考えの方、就職・転職先として農業をお考えの方、いつかは独立して農業を始めたいという方、農業に興味があるが何から始めたらよいかわからない方など、農業に関心のある方は是非、これから開催されるイベント・個別相談会へお越しください!

鶴岡市農業経営者育成学校(SEADS)がいよいよ令和2年4月に開校します!

詳しくはこちら⇒⇒ 鶴岡市農業経営者育成学校HP

また就農以外の移住にかかわるお住まいや暮らしのご相談なども

担当職員がお話をお伺いいたします。

是非、お気軽にお越しください。 

SEADS就農イベント 個別相談会 開催日程

◇◇マイナビ就農FEST出展◇◇

日  時 :令和元年12月21日(土曜日)

                        13:00 ~ 16:00(入場受付12:30 ~ 16:30)

会 場 : 新宿ミライナタワー12階 マイナビルーム

  東京都新宿区新宿4丁目1-6

詳細と事前予約はこちらから・・マイナビ就農FEST

◇◇SEADS個別相談会◇◇

日 時: 令和元年12月22日(日)

  11:00 ~ 17:00

  会 場 : 移住・交流情報ガーデン (東京駅八重洲中央口徒歩4分)

  東京都中央区京橋1丁目1-6越前屋ビル1F

  詳細はこちらから⇒⇒ 移住•交流情報ガーデンHP

◇◇新・農業人フェア出展◇◇

  日 時:令和2年1月25日(土)

  10:00 ~ 16:30(受付10:00  ~ 16:00)

  場 所:池袋サンシャインシティ

  ワールドインポートマートビル4階 展示ホールD

  東京都豊島区東池袋3−1−1

  詳細はこちらから⇒⇒ 新・農業人フェアHP

◇◇SEADS個別相談会◇◇

  日時:令和2年1月26日(日)

  11:00 ~ 16:00

  場 所:東京交通会館8階 ふるさと回帰支援センター

  東京都千代田区有楽町2丁目10−1(東京有楽町駅そば)