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No.44地域おこし隊でJターン!「くろもじ茶」で温海地域へ感謝と恩返し

「地域おこし協力隊」という制度をご存知ですか?

 

人口減少や高齢化の進行が著しい地方において、主に都市部からの人材を積極的に受け入れ、地域活動を行ってもらい、その地域に定住することで地域力の維持・強化を図る制度であり、現在約5500人の地域おこし協力隊が全国で活動しています。

 

今回は、2018年1月鶴岡市温海地域福栄地区に地域おこし協力隊を経てJターン移住した古舘由隆さん(40代)にお話を伺ってきました。

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古舘由隆(ふるだて よしたか)

1973年岩手県盛岡市生まれ。東京で旅行雑誌を扱う会社に勤務後、仕事を通じて来ていた本市温海地域に、地域おこし協力隊として2018年1月にJターン着任。温海地域の温海川地区に自生するクスノキ科の落葉低木「クロモジ」をつかった「くろもじ茶」を販売する「ばんどりや。」店主。

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(温海地域の秋を感じる山々)

―仕事で地方に来たときに感じる大自然

Q.東京での暮らしはどのようなものでしたか?

A.「地方で暮らしている中で、知らず知らずのうちにどこかへ行った際の羅針盤になっていた山々。どこにいても山が見えるから、自分は今どこにいるかわかるし、山の色づきを見て四季を感じることができていました。東京で暮らしていると、周りを見渡せば高層ビルばかり。自然と触れ合う機会もなく、仕事も忙しくテレビを通して季節が変わったことを知るようなときもありましたね。」

 

仕事で地方にいくことで、赤や黄色に紅葉が色づいている山肌を見て秋を感じたり、雪景色を見れば冬を感じたり、季節を感じて帰ってくる。自然が多いところを営業で回っていたこともあり、そうした自然を感じることのできる生活によさを感じたのだそうです。

(休日には趣味の釣りを楽しんでいた古舘さん)

―東北6県の移住相談会が鶴岡に来るきっかけに

 

Q.移住に関してはいつ頃から考え出しましたか?

 

A.「東京の会社勤めが10年目となる2017年のはじめくらいからです。インターネットで「移住」と検索したときに、「地域おこし協力隊」という言葉が出てきて、最初はボランティアかと思いました。(笑)」

 

総務省で地域おこし協力隊の募集をまとめている「JOIN」のホームページを見て、いろいろな地域で募集をしていることを知った古舘さん。どこに行ったら良いかと悩んでいると、その年の7月に東北6県が出店する移住フェア「第1回東北U・Iターン大相談会」が開催されるということで足を運びました。

 

その際にブース出展していた鶴岡市の移住コーディネーターの話を聞き、鶴岡市に興味をもつようになります。その時に教えてもらった情報や、市のホームページなどで、鶴岡市のことを調べたりしながら、面接を受けて内定をいただき、2018年1月に温海地域福栄地区の地域おこし協力隊に着任します。

(古舘さんの活動地域である木俣集落支援センター)

―福栄地区に来て最初に会った「第一村が、雪下ろしをしている大家さん

 

Q.はじめて来たときの福栄地区はどんな印象でしたか?

 

A.「辺り一面が雪の壁に囲まれた居住予定の家の前に到着すると、屋根の上で雪下ろししている大家さんと初めてお会いしました。これはとんでもないところに来たなというのが第一印象です。(笑)」

 

人里に入れば少しは雪が浅くなるかなと思えば、進めば進むほど雪が壁のように豪雪地帯になってきて想像以上の雪。着任した年は極端に雪の多い年だったので、毎日が、雪かきの連続で、朝起きると家の周りで除雪車が走り、その音が骨身に伝わってきて、福栄(地区)に来てから1年目が一番生活が大変な年だったとか。また、太平洋側の地元の岩手と違って、日本海側の冬は太陽があまり見られないということも驚きだったそうです。

 

少し大変な雪国での暮らしだからこそ、地域で暮らす上で自然に身に着いた雪下ろしの技術。雪下ろしは屋根に登って行うのですが、瓦が見えないように雪を少し残した状態で下ろさないと、瓦でツルッとすべってしまうんだとか。また、その地域のルールを受け入れられるかどうかで、環境や住みやすさは変わってきます。

 

「家の玄関を開けるとすぐ階段があって、2階に上がるのですが、ある朝起きたら2階の部屋の前におすそわけの冷凍アナゴが置いてあって、『ここまでは外だったか』とびっくりしました。」

(温海地域の伝統民族芸能「山五十川歌舞伎」の隈取り体験)

―住みたい場所に住むより、住んだ場所を好きになる

 

Q.移住先を選ぶ上でのアドバイスを教えてください。

 

A.「住んだ地域のダメなところを探すのではなく、いいところを見つけられるかが、そこに住む上で大事なことかなと思っています。住みたい場所に住むより、住んだ場所を好きになる、福栄地区はそういった意味で、好きな場所を探す必要がなくて、生活する日々の中でその瞬間が訪れる。人々の生活と自然が調和した素敵な景色が、自然と目に入ってくるのです。それは3年経った今も変わりません。車での通勤の際に、何気ない風景やいつもの天気とかでも同じ景色だということが未だになくて、日々その景色に感じ入るところがあります。中でも、集落の家々の薪ストーブの煙突から上がる煙で、ガスがかかった山々が幻想的で目を奪われる瞬間がすごく多くて飽きないです。」

 

ちょっとぶっきらぼうな物言いのひともいるけれど、とても優しい集落の人たち。

こちらに来て、気づけば太ってしまったくらいおいしいご飯。

精神的に豊かな暮らしをしたいと思うときに、鶴岡はすごく良い場所だと古舘さんは語ります。

「ぜひ自分がよいと感じるところをたくさん見つけて欲しいです。それは自然だけでなく、人に対しても探して欲しいし、自分と違う文化・習慣というのを感じて欲しいです。楽しく生活できると思います。」

(情報発信のミッションとして毎月の発行を協力していた「福の里通信」)

―地域おこし協力隊としての活動について

 

Q.地域おこし協力隊としてどのような活動を行ってきましたか?

 

A.「3年間のミッションは主に情報発信です。一年目は地域情報誌「福の里通信」の発行を協力したり、Facebookページでは「福栄しょ」を更新したりしていました。地域の人を取り上げることは、地域の方に喜ばれて嬉しかったですね。2年目はこれらの活動に加えて、食と農のビジネス塾(主催:地域定住者育成コンソーシアム)に通うことで、「農」に関することついての学びを深めたり、福栄地区だけでなく、温海地域に活動を広げて地域イベントの運営協力や講演会なども行いました。」

 

地域のイベントに参加して福栄地区のことを発信することで、人や場所を知ることができ、初年度は地域のことを理解できた1年になったようです。その後、地域に自生している「クロモジ」を使って商品を開発。温海地域や福栄地区の方と関わりを深めていきます。

―市内のキャンプ整備ではじめて「クロモジのお茶」を口にする

 

Q.「くろもじ茶」の製作のきっかけは?

 

A.「2019年市内で行われたキャンプ場のイベントに参加した際、参加者の方から教えていただいて、クロモジの葉を煮出して作った茶を味わったことがきっかけです。」

 

クロモジに興味を持って調べていくと、温海地域でも自生していることを知ります。山の所有者から許可を得て採取し、隣町にある加工施設に相談しながら商品加工に挑戦。煮出し用の袋に入れて商品化することに。

 

このクロモジは口に入れたときにスーッとする香りが特徴的で、日本固有種であることから、和ハーブとも言われ、疲れをリフレッシュするのにも良いと言われています。

 

「その年の10月に行われたつるおか大産業まつりで、透明の袋に「クロモジ茶(※この時はまだカタカナ表記)」と書いた少し怪しげな袋で販売をしたところ・・・これが結構売れました。この時の経験が今後も広まっていくという自信になりましたね。」

 

これに続き、その年12月に東京・西葛西駅で2日間行われたつるおかの観光と物産展でも、持参した50袋の「クロモジ茶」はほぼ完売。首都圏でもいけるなら、これは全国における福栄地区の特産品としていけるというさらなる実感に繋ったそうです。

 

こうして様々な努力の末に、2020年8月にネットショップ「ばんどりや。」を開設。「くろもじ茶」として販売開始します。

(同じ地域おこし協力隊の仲間がラベル製作)

(この場所の地域資源クロモジを両手に)

―「くろもじ茶」を通して地域の方に恩返し

 

Q.今後はどのように活動していきたいですか?

 

A.「3年前に右も左も分からず福栄地区にきて、これまで支えてくれた福栄地区のみなさんに恩返していきたいです。個人的にいいものを作っているから買ってくださいというのは自分だけのエゴ。でもその地域の素材を生かした特産品は地域のPRにも繋がり、そこに住んでいる人が潤ったり、そこに住む人に笑ってもらえたりできるような取り組みです。」

 

 

1,2年目は「地域おこし協力隊だから手伝ってくれ」と言われることが多かったけれど、3年目となった今は「古舘、手伝ってくれ」と名前で呼ばれるようになった古舘さん。今では、役員ではないけれど、地元の役員会に毎月呼ばれて参加したり、「くろもじさん」と呼ばれることもあるのだとか。

 

地域貢献できる仕事はファンが集まってきてくれる。「くろもじ茶」はそんな古舘さんの思いや地域を応援してくれる人たちが形となったものなのかもしれません。

 

誰も目をつけなかったらただの山の一部の木だったクロモジも、古舘さんによって「くろもじ茶」に形を変えることで、地域の明るい話題になってきていているようです。今後の古舘さんの活動に福栄地区の発展への期待がかかります。

 

写真協力:古舘由隆

写真・文:伊藤秀和

 

No.43京都からのJターン移住でのびのび子育て&起業を実現

今回の移住インタビューは、2019年3月に京都府からご家族でJターンされた新堀貴美さん(43歳)にお話しを伺いました。

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新堀 貴美(にいぼり きみ)

山形県庄内町生まれ。ツバメ雑貨店 店主 / 鶴岡ふうどガイド

高校卒業後、京都の大学に進学。卒業後は大手アパレル会社に就職し、ショップ店員を経験。その後、老舗和装小物の会社に転職。雑貨事業(スーベニール株式会社)の立ち上げや店舗MDなど14年間携わる。2019年3月に夫・子ども2人と共に鶴岡市にJターン。2020年6月、自宅内に、「ツバメ雑貨店」をオープン。リノベーションした自宅の1階を一部開放し、食器をメインとした販売や、レンタルスペースの運営を行っている。

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Q:新堀さんは当市に移住する前はずっと京都にお住まいだったのですよね。

 

A:はい。高校卒業後は関西に行ってみたいという思いがあり、京都の大学に進学しました。雑貨屋が小さい頃からの夢だったので、就職活動では雑貨屋さんを探したのですが、当時の雑貨屋さんでの募集はアルバイトしかなくて(笑)。それでも雑貨屋さんで働いてみたいと思い、まずはアルバイトの売り子からはじめました。次に大手のアパレルメーカーで2年ほどショップ店員をして、和装小物も扱っている京都老舗の草履やさんに転職しました。

 

   経理事務での採用でしたが、後の3代目社長が、新たに雑貨事業をはじめるというので、販売スタッフの指導経験もあった私に声がかかったことが転機となりました。はじめは3人でスタートしたその事業(後のスーベニール株式会社)でしたが、商品の企画開発や店舗レイアウト・販売まで手掛ける店舗MD(マーチャンダイザ―)として、ブランディングに総合的に携わることができました。その間に結婚をして、2人の子供を育てながら、移住するまでの14年間、仕事を続けました。

 

Q:いつかは地元に戻りたい気持ちはありましたか。

 

A:実は…元々全然帰ってくる気はなかったんですよ(笑)。「うちの子は京都に魂を売ったからもう帰ってこない」と親が周りに言っている位、それこそ帰省もしないし、子どもが産まれるまで年に1回すら実家に帰らない程でした。ずっと京都で暮らしていくつもりだったので、夫婦で京都に一戸建てを購入して住んでいましたので、移住を決めたことを話した時は、親はもう驚きでひっくり返ってましたね(笑)。「夫婦で仕事辞めて移住だなんて。こっちにきてからどうするつもりなのか。」って心配されました。

 

Q:移住を考えたはじめたきっかけは何ですか。

 

A:移住する3~4年位前でしょうかね。地元の友人が楽しそうなことをいっぱいやっているようだなって、FacebookとかInstagramで見ていて気になりはじめました。そのなかでも、当時開催されていた「Show Night」というアウトドアイベントに「めっちゃ行きたい!」と心を動かされたのが一番かもしれません。地元の同級生が「Show Night」に出店している様子を京都から見てすごく行きたくなりました。結局行けなかったのですけど、面白そうなことをやっているな~と。

    元々夫婦ともにフェスやアウトドア、海が好きで、京都に住んでいた時も、休日は家族で海のある淡路島や四国に行ったり、大規模なキャンプイベントにも参加したりしていました。だから「Show Night」を初めて見たときは衝撃でした。「(庄内でも)やってんじゃん!」って(笑)。

 

フェスなど、予め用意されている大規模イベントに参加するのも魅力的ですが、性格的にはじめから創りあげていく過程がとても楽しい!と思えるタイプなので、「Show Night」の活動に実際にかかわってみたいな、と思ったのです。

 

    また、京都での暮らしも、実はなかなか大変で。ご存知の通り、京都は国内外で有名な観光都市。休日に家族でどこかに行こうとしても、京都の街中はもうどこにも行けないぐらい観光客だらけで、住民の私たちはどこにも行き場所がない。結局、かなり遠出しないと家族とゆっくり過ごせる場所がなかったり、イベント情報がありすぎて逆に探せなかったりと、京都に住み続ける意味を感じにくくなっていました。

 

 あとは、そのころ夫婦ともに仕事が非常に忙しくて、疲れたというのもありますね(笑)。

 

    仕事にはやりがいも感じていましたが、ワークライフバランスというか、下の子がまだ小さいのに、子どもたちと過ごす時間が少ない毎日に、「このままでいいのかな?」って思いもありました。2歳の子を7時に保育園に預けて、仕事して、18時に迎えに行って、19時に帰ってきて、ご飯食べさせてお風呂に入れて21時に寝かせてという日々の繰り返しだったのです。

 

       ある時ふと「毎日、子どもと何時間関われているのだろう」って考えたときに、「1日2~3時間しかないな」って気づきました。そこにハードな仕事でイライラしてという生活が続いてくると、「う~ん、このままの生活でいいのかな?」と。サラリーマン生活をずっと続けても、安定した生活が保証され続けるとは限らないし、「これからは好きなことにも時間を使える余裕がある方がよくない?」と、次第に夫婦間で話すようになりました。

 

    いろいろなタイミングや状況が重なって、最終的に「(京都での暮らしは)もういいかな。」って。それから具体的に移住を考えてみようかという話になりました。

 

Q: 移住を考えはじめてからのことを教えてください。

 

A:今から全く知らない土地に移住するのは夫婦ともに抵抗があったので、最初は「四国や高知あたりもいいね」と言っていたのですけど、夫が栃木県出身で、ここ(京都)以上に双方の実家から離れるのは流石にちょっとまずいかなと。つぎに、ふたりとも海の近くに住みたかったので、海まで時間のかかる京都の近隣や海のない栃木県も、やはり難しいなと。ならば、私の地元で海もある庄内地方はどうかな、という話になり、2018年の夏に、情報収集を兼ねてちょっと長めに帰ってきて、地元や鶴岡市など海が隣接する自治体の相談窓口を回りました。

 

    鶴岡市では移住コーディネーターに相談をしました。ちょうど9月に「Show Night」に参加する予定でしたので、それまでに鶴岡市の不動産物件情報を照会していただくことになり、次に戻ってきた時にはいくつか物件を見て回ることができました。そのうちの一軒が気に入ったので不動産契約を結び、2019年3月に家族で引っ越してきました。

 

Q:当市の情報を得るために活用したものはありますか。

 

A:Instagramで「鶴岡」と検索して調べていましたね。でも、移住前は「ヤマガタデザイン(株)」のホームページをやたら見ていました。「ヤマガタデザイン(株)」が動き出したことも興味がわいてきて、「なんだろうこれ!すごい!」と素直に思い、今の庄内にはこんな動きもあるんだ、と刺激を受けました。鶴岡市の移住サイト「前略 鶴岡に住みマス。」も参考になりました。

 

Q: 移住を決めた理由などお聞かせください。

 

A:この家を見に来た時に、ちょうど畑仕事していた隣の家のおばあちゃんが「キレイになったろ、あそこんちの~。ゆっくり考え~」。とやさしく声をかけてくださり、とても印象に残ったのが一番大きかったですね。また、海に近くてゲストハウスもできる物件を希望していたので、信号2つで湯野浜に行けて、庄内空港にも近いアクセスの良さと、部屋数の多さも条件に合っていました。また、以前から好きでよく訪れていた善宝寺の近くに住めるということも、この家に決める後押しとなりました。

 

(元々は農家さんが所有していた古民家をリノベーション)

 

Q:移住後に感じたギャップやよかったところなどはありますか。

 

A:夫は、最初のころは「庄内弁で何を言っているかわかんない」って少し戸惑っていましたね。それこそ大工さんが「ここちょすあんが?」「ぼっごすあんが?」と言っていることばを夫に「ここ触るか?と聞いている」、「壊すか?と聞いている」と通訳していました。今年になってやっとだんだん分かるようになってきたらしく、「今日職場で『ほげちょすな。』と言った。」と話してくれました。

 

 結構ありがたかったのは、この集落は元々お婿さんが多いところで、主人が周りの方々にやさしく受け入れていただいている感じがあります。あと、「子どもが少ないところに子どもがふたりも越してきてくれてありがとう」ってみなさん言って下さり、子ども達を大事にしてくれている感じがありとてもありがたいなと思っています。

 

Q:お子さんたちにとって移住後の暮らしはいかがでしょうか。

 

A:こっちに来てめちゃめちゃよかったですね。のびのびしていますね。むしろ子ども達のことを考えたらもっと早く移住してもよかったかなと思います。

(美しい日本海の夕陽を眺めながら遊ぶ子どもたち)

 

    引っ越してきた時、上の子は小学校3年生でしたが、京都にいたときの3年生の人数が約120人ぐらいだったのに比べ、今上の子が通っている小学校は1~6年生まで足してもその数より少ないです。3年生は1クラスですから、やっぱりのびのびしていますね。

 

    下の子が通っている保育園では蚕を育てたり、冬には寒鱈解体ショーを見てめっちゃ号泣したりしていましたね(笑)。鶴岡ならではの豊かな経験をさせてもらっているなと思います。

 

    子どもの外遊びにしても、例えば上の子が「裏の子んところ行ってくる」って言ったら、「あぁ、裏の子どもの家に行ってくるのだろうな」とすぐにわかって「はい、いってらっしゃい」と気軽に言えますけど、京都にいた頃はそれこそ、安心できないので「行っちゃダメ!」とか、「自転車も車も多いし道路も狭いからダメ!」とか、とにかくダメっていうことがすごく多かったので、今はのびのびした環境で子どもを育てることができているなと思います。今年は新型コロナウイルスの影響でステイホームの時期もありましたが、これが京都の家だったら子どもたちはどうやって過ごしていたのだろうと想像するとちょっとゾッとしますね。

 

    あとは子どもがご飯をよく食べるようになりましたね。やっぱりお米が美味しいって言います。野菜も美味しいですね。家の周りは農家さんが多く、私たち家族が農家じゃないのを知っているので、採れた野菜を分けていただくことが多いです。「そうそう、大根はこの時期だったよね。」と野菜で季節を感じることや、「これは誰々が作ってくれた野菜だよ」と子どもたちに食卓で伝えられる豊かさを思うと、しみじみ移住してきてよかったと思えます。(京都の『とりもと硝子店』の作品。手吹きガラス製法による曲線が美しい)

 

Q:ツバメ雑貨店について教えてください。

 

A:食器をメインに、京都時代に仕事で出会った作家さんの作品などをセレクトし、販売しています。(完全予約制)。自宅の一部もレンタルスペースとして料理教室やワークショップを開催しています。(月桂樹のリースづくりワークショップの様子)

「ツバメ」は幸せの鳥や商売繁盛の意味があるそうです。また、実家の祖母が、祖父が経営していた自転車屋を祖父の亡き後女手ひとつで営んでいたらしく、子どもの頃に見たお店の写真に「ツバメ自転車」とメーカーの看板が写っていたのが子ども心に残っていたのと、ここには毎年ツバメが来るのですが、ツバメは居心地がいい家に毎年来るそうなので、居心地がよくてお客さんがまた来てくれるようなお店にしたいなと思い、「ツバメ雑貨店」にしました。

(店名の由来でもある、祖父母が営んでいた自転車屋さん)

  実は先に名刺を作ってしまったので、雑貨屋さんの人って思われがちですけど、苺ジャムを一からつくったり、「鶴岡ふうどガイド(認定機関:鶴岡食文化創造都市推進協議会)」として活動したりと、割と自由なスタイルでやっています。

Q:雑貨店だけど一から苺ジャム。もう少し詳しく聞かせてください。

 

A:この夏に3種類出しました。「乙女心のピュア」、「乙女心のミント&ブラックぺッパー」そして「乙女心のカルダモン」です。苺の品種名である「おとめ心」を商品名にどうしても入れたくて、このネーミングにしました。郷土料理を教えていただいている農家さんのつながりから、この苺に出会ったのがきっかけです。苺らしさを味わえる「ピュア」や苺と相性のよいハーブやスパイスを配合した「ミント&ブラックペッパー」「カルダモン」。ラベルのロゴデザインは、京都在住のデザイナーに依頼して、商品化することができました。

 

Q: 移住を検討されている方へのアドバイスなどあればお願いします。

 

A:アドバイス…なんだろう(笑)。人と関わろうとしないとだめやとは思います。移住したら、新しいコミュニティをつくっていくのはたぶん自分自身なので。私の場合は、鶴岡ふうどガイドでのつながりもあれば、農家さんへのお手伝いに行くことでのつながりもあれば、移住者交流会で知り合った人とのつながりとか。色んなジャンルというか、マスが増えていく感じで楽しいです。あとは、常に「こうしてもらいたい」とか「かかわってほしい」みたいにどこか受け身的に思っている方は、「なんか面白そうだから行ってみる」とか「面白いひとがいるから関わってみようかな」など能動的に動いてみることで、どこでもやっていけるようになるのではないかと思います。

Q:今後やってみたいことはありますか。

A:この自宅の敷地内にある納屋をリフォームして、カフェをつくろうかと思っています。コーヒー1杯を飲みに気軽に立ち寄っていただいたり、いずれは夫の作るスパイスカレーを提供したりしたいですね。

 あとは、観光客のニーズが体験型に変わってきているので、地域の農家で農業体験を取り入れたツアーをやってみたいです。例えば、近隣の農家さんで農業体験をしたお客さんが、うちに立ち寄ることで、その農家さんの野菜や果物を味わえたり、レンタルスペースで旬の食材を使った料理教室もできたり…という体験プログラムを、鶴岡ふうどガイドの企画ツアーとして実現してみたいですね。もっと滞在してみたいというお客さんには、「ゲストハウスとしてうちに泊まってもらうこともできるよね」と夫婦で話しています。そんな風に、庄内の恵みを、さまざまなかたちと体験を通して、今後もお客さんにお届けしていきたいです。

 

(インタビュー2019年9月24日  写真提供:伊藤秀和 新堀貴美)

「つるおか食の応援便」の提供について

「食の鶴岡 県外在住学生応援事業」について

県外でがんばる学生の皆さんが、新型コロナウイルス感染症による影響を乗り越えるため、「ユネスコ食文化創造都市 鶴岡」の食材を提供します。

支援の対象となる方

以下の要件をすべて満たす方が対象となります。
(1)鶴岡市内の中学校を卒業している
(2)令和2年12月1日現在、山形県外に在住し、県外の大学、大学院、短期大学、専門学校等に学生として在籍している。
(3)保護者の住所が鶴岡市内にある

申請方法

学生証の写しを準備し、令和3年2月26日までに申請してください。
「3密」を避けるために、電子申請の利用にご協力ください
(1)電子申請 ・・・ 鶴岡市電子申請フォームに必要事項を入力
 ※電子申請は本人のみ申請できます。
  電子申請フォームはこちら 
(2)書類申請 ・・・ 申請用紙に必要事項を記載し、本所地域振興課又は地域庁舎総務企画課へ提出
 ※書類申請は保護者の方も申請できます。

詳しくはこちらからご覧ください。

 

No.42山伏のようにヒト・モノ・コトを繋ぐ「manoma」をオープン!改めて知る鶴岡の魅力

2019年6月に神奈川から鶴岡に移住をしたのは、フードユニット「つむぎや」として、都心で精力的に活動していた物書き料理家・マツーラユタカさん(40代)と暮らしの装飾家・ミスミノリコさん(40代)。今回はこちらのお二人にお話を伺ってきました。

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【プロフィール】

・マツーラユタカ   

物書き料理家。フードユニット「つむぎや」として活動。

“食を通して人と人、満ち足りたココロをつむいでいく” をモットーに、書籍や雑誌、イベントなどで創作和食を提案。福岡や金沢など、ご縁ができた土地の風を運ぶ活動にも力を入れている。ライター稼業も行っており、『お昼が一番楽しみになるお弁当』(すばる舎)など著書・雑誌の連載多数。鶴岡市出身。

・ミスミノリコ  

ディスプレイデザイナー/暮らしの装飾家。

店舗のディスプレイや雑誌、書籍のスタイリングなど幅広く活動中。日々の暮らしに取り入れられる、デコレーションアイデアや手作りの楽しさを発信。『繕う愉しみ』(主婦と生活社)など著書多数。東京、北海道、岡山の他、パリや北京でも、展示やワークショップを開催。フードユニット「つむぎや」の著書や雑誌撮影、イベント等のスタイリングを多数手がける。

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桜の鶴岡公園

(「日本さくら名所100選」にも選ばれた鶴岡公園)

-鶴岡が身近な存在と感じるように

ミスミさん「鶴岡の友人たちの暮らしぶりを知ることで、ここで生活するイメージができました。」

結婚して10年以上経ちますが、結婚当初はお盆や年末に帰省した際に、マツーラさんの実家に泊まって、鶴岡市内を少し観光するぐらいの場所だったとのこと。それがある時期から、東京で山形にご縁のある仕事仲間との出会いもあったこともあり、鶴岡の農家さんを紹介してもらったり、デザイナーをやりながら山伏修行を続けている人に会ったり、庄内で暮らす同年代の友人が少しずつできていきました。彼らの暮らす場所に訪ねていったり、そこからさらにいろいろな人を紹介してもらったり、地域の人や仲間の暮らしを知っていくことで、生活していくイメージをリアルに実感できるようになってきたのだそう。

マツーラさんも20歳の頃に、県外に出たことで、地元に住んでいる頃には気がつけなかった鶴岡の魅力に改めて気づいたのだという。

羽黒山伏の星野先達と一緒に

(羽黒山伏の星野文紘先達と一緒に)

美しい自然の循環の中に一体化した山伏修行

ミスミさんは鶴岡との関わりが深くなってきた頃に、山伏信仰に興味を持ちます。出羽三山は羽黒山・月山・湯殿山の総称で、この三山を詣でると生まれ変わると古えより伝わる山岳信仰の場。東京の友人がおすすめしてくれたのが、羽黒の宿坊・大聖坊が主催する2泊3日の山伏修行体験コースでした。この宿坊の修行体験のコースは、毎年夏の時期に4回行われているのですが、ミスミさんが体験の日程を確認すると、その年に行われる最後の会期と偶然予定がピタリと合い、これも何かのご縁だと思いご夫婦で参加を決意します。

月山の上から庄内平野を見下ろした様子

(月山の上から庄内平野を見下ろした様子)

ミスミさん「修行の初日。白装束に袖を通し、羽黒山の石段を登りました。足取りも重くなり始めた頃、小休止した参道の中腹から見た美しい景色に思わず息を飲みました。広大な庄内平野と日本海、大きな空、そして山。自然の循環の中に自分が繋がっていると感じた瞬間です。」

いつかはマツーラさんの実家のある鶴岡に住むのだろうなと思っていたミスミさん。この山伏修行での体験が決め手となって移住を考えはじめたのだそうです。

前のお店の雰囲気を受け継ぎつつ店作りしたmanoma

(前のお店の雰囲気を受け継ぎつつ店作りしたmanoma)

-お気に入りのお店を引き継ぐ話が持ち上がる

山伏修行と同じく移住の大きなきっかけになったのは、友人の柿農家、五十嵐大輔さんが主催するイベント「オラいの柿食う会」です。こちらのイベントは五十嵐さんが様々な土地で料理人とコラボレーションし、庄内柿を使ったフルコースを楽しんでもらうイベントです。

マツーラさんがやっていたフードユニット「つむぎや」も、五十嵐さんとは鶴岡や東京で、何度もコラボレーションを重ねてきました。その5回目の会場となったのが、現在のmanomaの場所で店舗を運営していたカフェ&バー・オーファンズでした。

看板などもない、一見さんには入りづらい店構え。でも一歩足を踏み入れるとスタイリッシュな空間が広がっていました。料理やコーヒーもおいしく、インテリアや音楽のセンスも素晴らしく、オーナーの菅原さんとも意気投合。それからマツーラさんとミスミさんが帰省するたびに足を運ぶ、お気に入りのお店になりました。

ある日、菅原さんから突然の電話がかかってきます。ご実家が農家を営んでいる菅原さんは、結婚を機に、お店を閉めて農家を継ぐ決断をされたとのこと。そこでオーファンズのあった場所を引き継ぎませんか? とマツーラさんに相談がありました。

この話をきっかけに移住に向け大きく動き出します。

「オラいの柿食う会」でつくられた柿料理

(「オラいの柿食う会」でつくられた柿料理)

マツーラさん「元々いわゆる『飲食店』をやろうという思いはありませんでした。でも自分たちが思い入れもあった場所を受け継ぐ話をいただけたのはご縁だなと。料理研究家やライターの仕事を重ねていく中で、次第に鶴岡の風土や歴史に興味を持ち始めていたので、自分たちのアトリエの延長線上にあるような感覚で、夫婦をそれぞれの得意分野を生かしながら、ローカルに根ざしたお店をやることもありなんじゃないかと思うようになりました。」

赤川そばの桜道

(赤川そばの桜道)

-4月を過ぎてからの家探し

お店を引き継ぐ話をいただき、移住することは決めたものの、東京でのお仕事が2人とも多忙だったこともあり、家探しの時間はなかなかとれず、鶴岡に一時帰省して家探しを本格化させることができたのは、2019年の4月に入ってからでした。

マツーラさん「あまり鶴岡の家賃相場を知らずに、鶴岡市内ならこれくらいかなとあたりをつけて家賃相場を決めて探していると、思ったより条件に合う物件がなかったです。」

友人や移住コーディネーターの方から情報を得ながら、不動産屋を巡りましたが、引っ越しシーズンのピークが過ぎ、物件が少なめな4月だったことと、猫を飼っているので『ペット可』の物件が必須条件だったこともあり、家探しは難航しました。

月山が見える風景は暮らす上で、心の拠り所に

(月山が見える風景は暮らす上で、心の拠り所に)

それでもなんとか、現在住んでいるアパートを見つけることができ、6月の終わりに鶴岡に引っ越してきました。もともと地元だった場所とはいえ、生活の基盤作りは大変だったそうです。

マツーラさん「住民票を移したり、免許証の住所変更をしたり、そういったことは想定済みでしたが、地元の銀行に口座がないと不便だから銀行口座を新しくつくったり、信頼できる病院を探したり、そういった地味な作業が山ほどあって、新しい土地で生活の基盤を作り直すことに、思っていたよりも時間がかかりました。自分たちは、移住してからの住環境を整えていく作業と、仕事をするための店作りを同時進行でやらなければいけなかったので、なかなか大変でした。」

移住後の生活ベースを整えるのに時間的にも2、3か月以上かかることを覚悟の上で、お金の準備をしっかりとしておいた方が良いというマツーラさん。また、都会から地方への移住の場合だと、生活にまつわるコストがすべて下がるようなイメージがありますが、雪国だと光熱費などはむしろ高くなるので、そのあたりは下調べしておいた方がよいとのことでした。

manomaショップスペース

(ショップスペースでは以前から付き合いのあった友人らの作品を展示、販売する)

-これまで帰る場所だったところが、暮らす場所に変化

ミスミさん「いきなりのことに戸惑いはあったものの、ここであれば自分たちらしいことができるかもしれないと思うようになりました。」

昔から雑貨や器などが大好きだったミスミさん。陶芸家や作家として活躍する友人も多く、普段の暮らしでも彼らの作る道具に囲まれて暮らしてきました。お店で使う器や道具もそうした繋がりの中で見つけたものを使いたいと思うのは自然なこと。また、お店で使っている器や道具をお客様が気に入れば購入できるようなショップを併設したいという夢も広がりました。東京ではディスプレイデザイナーをしていたので、商品の陳列や見せ方も得意です。移住してもこれまでやってきたことを続けて行えそうなイメージがあったのだとか。

著書の数々

(著書の数々)

ミスミさん「移住したら通おうと思っていた店がまさか自分たちのお店になるとは思いませんでした。」

お店を受け継ぐ話が来たときは、これはそのときがきたのかなと思うようになったのだというミスミさん。

(「季節のごはん」は野菜中心のプレートメニュー)

(「季節のごはん」は野菜中心のプレートメニュー )

-大切に守られてきたものを未来へと繋いでいく場所「manoma」

 こうしてはじまったmanomaではマツーラさんが調理を、ミスミさんが調理補助とホールを担当し、二十四節気に合わせて2週間ごとにメニューを変えていく「季節のごはん」という名で定食をご提供。野菜中心のプレートメニューで、季節の移ろいを感じられるものになっています。

manomaの定食は、山形ならではの野菜、それもどんな人がどのように作っているかを知っている、馴染みの農家さんの野菜を中心に作られています。鶴岡は在来作物が豊かな土地。四季にあわせて移り変わっていく野菜を取り入れながら、その野菜のおいしさを伝えています。

ミスミさん「お店のディスプレイと違って、ご飯は食べた後すぐにリアクションをもらえるのが新鮮でした。おいしいものを食べているときの顔は笑顔です。おいしいといってもらえることが何より嬉しい。一方で、食べ物は食べた人の体の一部になるものだから、提供する側としては緊張もします。」

マツーラさん「ここでは、地方で活動するアーティストさんの器も置かせてもらっており、作品を見にmanomaに来ることで、鶴岡に興味をもってもらったり、鶴岡の食を感じてほしいです。」

山伏は山と里や、神と人など、物事の間と間を取り持つ存在。そんな山伏が今も存在する鶴岡。山伏信仰を大事としつつ、店名も「manoma(間の間)」に。ただカフェを運営するのではなく、陶芸家として全国で活動をしている友人たちの作品を置いたり、ワークショップを行ったりして、ヒトやモノが交わる場にしていきたいと語ります。

(店内には1つ1つのものに拘りぬいた空間が広がっている)

-暮らしを編集しながら楽しんでいきたい

ミスミさん「郷土料理やワークショップを行っている方って多いと思うのですが、そうした活動に参加していきたいです。なかなか土日にフィールドワークに行けない状況が続いていますが、みんなの暮らしに興味があるので友人のところに遊びにいきたいです。」

遊びに来ていたときの方がよく人の暮らしを知ることができたというミスミさん。

マツーラさん「今日どんな料理をつくるのか、誰を呼ぶのか、音楽どうするのか、外で食べるのかなど、生活の1個1個は編集すること。manomaとは「間の間」という意味で、料理とか何かものを売るっていうよりも、山伏が神と山を繋いだように、ヒト・モノ・コトを編集し直す場所だと考えています。この場所を使って暮らしを編集しながら、楽しんで過ごしていきたいです。」

ミスミさんマツーラさんは風を運んで来る人。一方で、昔からこの土地に住んでいる人や大事にされている文化があって、「土」と「風」二つが合わさって新しい風土を作ることになるのではないでしょうか。

(写真協力:MASANORI WADA・マツーラユタカ)

 

【1/23オンライン開催】やまがたハッピーライフカフェに鶴岡市が出展します。

山形県庄内地域の冬の暮らしを覗いてみませんか?外は雪でも家の中はあったかぽかぽか。でも、あったかなのは、家の中だけじゃない。庄内地域は、暮らし方、食べ物、地域、人、移住支援もぜーんぶあったかい
オンラインだからこそできる、雪国の冬の様子をリアルにお伝えしちゃいます。もしかしたら、地吹雪に出会えるかも!?
オンラインリアルのハイブリッドセミナーです。ぜひこの機会にご参加ください。

※1/12 当イベントはオンラインセミナーのみの実施となりました。

 チラシはこちらからダウンロードできます。

日 時:2021年1月23日(土) 13:00~15:00

     プレオープン12:45 Zoom操作がちょっと不安なかたは、早めに入って

練習できます。

参加費:無料

会 場:オンライン ご自宅など、インターネット環境のある場所
   

WEB会議ツール「Zoom」を使用したオンラインミーティングです。

★オンライン参加

事前にWEB会議ツール「Zoom」のインストールをお願いします。「Zoom」のインストール等については下記URLをご確認ください。

https://www.furusatokaiki.net/topics/zoom_guide/

通信費は自己負担となります。Wi-Fi環境での参加を推奨します。後日、お申込みされた方のメールアドレスに、「Zoom」のURLを送ります。 

 ★東京会場参加

移住コンシェルジュが大型モニターを使って、庄内地域の各会場とつなぎます。お越しの方は、新型コロナウイルス感染対策防止のため、マスクの着用・検温・手指の消毒等にご協力をお願いいたします。詳細は下記URLをご確認ください。

https://www.furusatokaiki.net/topics/coronavirus_20200527/

定 員:オンライン:なし  /  東京会場:20名

どちらも事前予約制です。

締め切り:2021年1月20日(水)

パンフレットなどの郵送を希望する場合は、1月18日(月)までにお申し込みください。

お申込みはこちらから(Googleフォーム)

ご提供いただいた個人情報の取り扱いについて

お問い合わせ
一般社団法人 ふるさと山形移住・定住推進センター 023-687-0777

furusato@yamagta-iju.jp

やまがたハッピーライフ情報センター 03-6269-9533 

happy-life@yamagata-iju.jp

 

【開催中止】第4回東北U・Iターン大相談会に出展します

2020.7.7 東京都での新型コロナウイルス発症者数増加にともない、主催者判断により中止となりました。
 参加を予定していた方々には大変申し訳ありませんが、なにとぞご理解くださいますよう、よろしくお願いいたします。

東北6県(青森県・岩手県・宮城県・秋田県・山形県・福島県)が集合!
年に1度の東北エリア合同の 移住大相談会、今年も開催します!

鶴岡市も昨年に引き続き出展!します。
ぜひ気軽にお問合せ&ご相談ください。

(下記リンクより事前申込いただくと当日の入場がスムーズです)

 

日時 2020年7月12日(日)
11:00~16:30
場所 東京交通会館12階ダイヤモンドホール(東京有楽町)

参加費用 無料
関連リンク(拡大チラシ・事前申込もこちらから→) https://www.furusatokaiki.net/seminar_detail/?event_id=211814

 

【新型コロナ感染拡大防止対策についてご協力のお願い】
● 会場内では常時マスクの着用をお願いいたします。
● 入場時等、適宜アルコール消毒の実施をお願いいたします。
● 受付での検温、体調確認及び個人情報チェックシートの記入をお願いいたします。
● 会場内でのソーシャルディスタンスの確保にご協力をお願いいたします。
● 混雑時の入場制限等、3密対策のため入場に関して制限を設ける場合がございます。
何卒ご来場の皆さまのご協力をお願いいたします。

オンライン移住相談開設のお知らせ

オンライン相談 オンライン移住相談 オンライン相談

鶴岡市地域振興課では、オンラインでの移住相談窓口を開設しています。
この機会に是非お気軽にお問い合わせいただければ幸いです。

【お申込み手順】
1)下記申込フォームよりお申込みください。
オンライン移住相談申込フォーム

2)担当者より、メールまたはお電話にて折り返しの連絡をさせて頂きます。
※事前に資料の送付をお願いする場合がございます。

3)オンライン相談ご希望のお客様は相談日程までに、zoom アプリのインストールをお願いいたします。
※PCやスマートフォンの使用環境、アプリのダウンロードについては、zoom の web サイトをご確認ください。
https://zoom.us/

※動画や音声を含む通信となるため、通信量制限のないインターネット環境下でご利用ください。
※オンライン相談のお時間は最長30分間程度とさせて頂きます。

No.40 Iターンするなら、まずは「人」を知ってほしい

大学の授業で初めて鶴岡を訪れた持田絢乃さんは、首都圏での就職を経験してから2016年に移住しました。そんな持田さんにお話しを伺いました。

持田絢乃さん。埼玉県出身。大学2年次に大学のゼミ(地域調査)で来鶴。卒業後は東京・神奈川の飲食店に勤務し、2016年にIターン。

(写真提供:持田さん 移住前、大学のゼミで訪れたとき)

―はじまりはゼミ

Q.鶴岡を知ったきっかけは何ですか。
A.持田さん:大学2年の時に、地域調査の授業で訪れたのが最初です。担当教官が鶴岡の藤島地域とのつながりを持っていたため、その時は、藤島地域のJA女性部の取り組みを調べに来ました。2泊3日の行程で、一緒に豆腐を作ったり、女性部が抱えている悩みを聞き取りしたりしました。初めての訪問で初対面の私たちに対して、皆さんが自分の娘のように接してくださったことがとても印象的でした。「これ食え~、あれ食え~」と、初めて耳にするちょっと強めの庄内弁に戸惑いつつも、庄内の美味しいものを沢山ご馳走してくださったりと、その温かいおもてなしが心に染みました。

授業自体はその1年で終わったのですが、そこでできた縁で、その後も藤島を訪れては地域のイベントのボランティアに参加していました。

(写真提供:持田さん 大学の社会調査の仲間と)

 

―来るたびに増えていった「会いたい人」たち。

Q.プライベートでも庄内に訪れていたということですが、どういったところに魅かれたのですか。
A.持田さん:大学時代から通っていたこともあり、いろいろな人と知りあえたということが大きいです。皆さんいつも温かく迎えてくださって、帰るときには「また来いの~」と声をかけてくださるんですが、この一言がとてもうれしかったです。

また農家民宿に泊まるのも楽しみの一つでした。旬の食材をふんだんに使った美味しいごはんをいただきながら、女将さんからの庄内のお話を伺ったり、一緒に農業体験させていただいたのも印象に残っています。いろんな所に足を運ぶうちに、庄内に「会いたい人」が増えていきました。そして、庄内に行くたびに出会う人が増え、さらに足を運ぶという流れが出来上がりました。

(写真提供:持田さん 「菜ぁ」の小野寺美佐子さんと)

Q.移住に際して大事にしていた想いや価値観はありますか。
A.持田さん:食への想いと、これからのワクワク感です。

―食品ロスで感じたモヤモヤ

持田さん:飲食業に就きたく、大学を卒業した際、学生時代にアルバイトをしていた東京の飲食店にそのまま就職しました。仕事はやりがいがあったものの、出来上がった料理をただ温めて提供するだけであったり、食品ロスの多さを目の当たりにし、自分自身が描く料理への理想を現実に悩むようになりました。それぞれの食材をどんな方がどのような思いで作っているのか、それができれば食材をもっと大切にできるのではないかと思うようになりました。

(写真提供:持田さん 東京でのファーマーズマーケットで松本典子さんと)

―生産者と消費者を食でつなぐ

持田さん:結局、その仕事は辞め、両親の住んでいた鎌倉へ行くことにしました。丁度、農業や食に関わる知識を深めたいと思っていたので、鎌倉市農協連即売所(通称、レンバイ)という市場の隣にある定食屋で働き始めます。その食堂では、毎朝新鮮な野菜を仕入れにレンバイへ足を運んでいたので、生産者の人たちと積極的に関わりをもてるようになりました。そのおかげで、お客様に農家さんの想いや背景を伝えられるようになり、更にそのお客様が野菜を買いにレンバイへ足を運ぶという、直接的ではない生産者と消費者を繋げられることが嬉しかったです。

 

(写真提供:持田さん)

―これからのまちをつくっていく

持田さん:鎌倉ではまちづくりにも積極的に参加していました。歩いていると自然に挨拶が飛び交うようなアットホームで暮らしやすいとても素敵な待ちでした。ただ同時に、コミュニティが既に成熟している「完成されたまち」であるとも感じました。こうした中、庄内には「この街をもっと良くしていきたい」という想いを持つ人が沢山居る「これからのまち」であることを感じました。加えて、庄内には農家さんも沢山居るので、より身近に食と関われると思って決めました。

(写真提供:持田さん まちづくり藤島のメンバーと)

―住まいもない、車もない。初めての雪国暮らし

Q.移住を決心してからのことを教えてください。
A.持田さん:東京で開催される、山形県や庄内のイベントに足を運びました。そこで知り合いの輪が広がって言った部分もあると思います。また、一番の不安事である「住まいと仕事」については、「ふるさと回帰センター」(東京有楽町)や、「ワークサポートルーム」(鶴岡市役所内)に行き、情報を集めました。

最終的には大学の時にお世話になったJA女性部の方のご縁で、冬だけ営業している飲食店で働く事が決まりました。でも住む場所も車もない初めての雪国暮らしだったので、二か月ほどそのお店に住み込みで働かせていただきました。一人では何もできなくて、どこへ行くにも車で送迎していただき、お世話になりっぱなしの二か月でした。

春になり、そのお店の休業とともに、今度は農家レストラン「菜ぁ」で働き始めました。農家レストランで働いてみたかったし、農業も体験してみたかった。

(写真提供:持田さん 田植えの手伝い)

そこで、お店の近くにある古民家を借りて暮らし始めたのですが、隣のじじちゃんとばばちゃんにすごく優しくしてもらいました。朝起きると玄関に野菜が置いてあったり、帰宅したら草刈りがしてあったりと。赤川の花火大会の時も集落の集まりに呼んでもらい、いつも気にかけていただけたことがとてもありがたかったです。皆で飲みながら花火を見てとても嬉しかったです。

―同じ想いを持つ人たちと一緒に働きたい

Q.今の職場に就職した理由を教えてください。
A.持田さん:農家レストランでの仕事はとても充実していました。朝自分たちで収穫した新鮮な野菜を使って料理ができること、そしてその料理を喜んでくださるお客様がいることが何よりのやりがいと喜びでした。

その後、「庄内の魅力や情報を発信していきたい、もっと人を集めたい」と思うようになりました。その時にちょうどヤマガタデザインという会社が、スイデンテラスというホテルをつくるという情報を知り、その会社が掲げる「当事者意識をもって地域の未来をつくる」というミッションに強く共感しました。さらに携わる人たちも興味深い人たちで、庄内に誇りをもち、皆が自分たちの力で街を変えていこうという熱い想いを持っているところも、とても魅力的でした。時期としては、ちょうどスイデンテラスのオープン準備の時期と重なり、自分も一からホテルをつくりあげることに参加したい、今しかないという思いで新たな一歩を踏み出しました。

(写真提供:持田さん IRODORIでの勤務の様子)

さらに、携わる人たちが興味深い人たちで、庄内好きの面白い人たちと一緒に仕事をしてみたいという気持ちも大きくなりました。ちょうどスイデンテラスのオープン準備の時期と重なり、自分も一からホテルを作り上げることに参加したい、今しかないという思いで新たな一歩を踏み出しました。

―「当たり前」が「魅力的」

Q.移住したからこそ見えてきたものはありますか?
A.持田さん:ホテルにお越し下さるお客様は県外の方が多いので、庄内の良さをしっかり伝え、庄内のファンを作っていくことが(庄内のファンになってもらうことが)自分たちの仕事だと思っています。そのために、もっともっと庄内を知りたいと思っています。

(写真提供:持田さん ローカルブブックツーリズム)

移住してから感じることは、地元の人ほど庄内の魅力に気づきにくいのかなと思います。「庄内には何もないよ」と言われることもあって、すごく残念だと思うのです。豊かな食や自然、人の温かさ、私にとっては全てが新鮮で魅力がありますが、地元の人にとっては当たり前のことなのです。当たり前の中にその良さを発見できるきっかけを作れるよう、Iターンの人がヨソ者目線で魅力を伝えていければ良いなと思います。

―Iターンするなら、まずは「人」を知ってほしい

Qこれからのやってみたいことを教えて下さい。
A.持田さん:今お客様に、食を通して庄内を感じていただけるよう、さらに食の知識を深めていきたいと思います。庄内では旬のイベントが沢山あるので、積極的に足を運んで今の仕事に活かしていきたいです。また、私はいろいろな「人」を繋いでいただいたので、いつかは自分が繋げる側になれるよう、これからもたくさんの出会いを大切にしていきたいです。

(2019年10月24日インタビュー 文:草島侑子)

 

 

 

No.39 2度目のUターン。やりきった先に広がった「地元への愛」

 

本間成実さん(28歳)。鶴岡市堅苔沢地区(国道7号沿いに位置する海に面した地域)生まれ。高校卒業後に千葉県へ進学し、管理栄養士の資格を取得。卒業後地元に戻り、給食センターに就職するものの、1年で辞め、再び上京。2019年に2度目のUターンを果たし、現在は地元の保育園に勤務。

2度目の上京

Q.1度Uターンされた後、上京されるまでの経緯を教えてください。
A.大学卒業後、一度、地元に戻って来て働いてみたのですが、「やりたいことを見つけて帰ってきた」というよりは、「1人っ子だったため帰らなければいけないという義務感から帰ってきた」というのが正直なところでした。 本当に自分がやりたかったことは何だったのだろうと思うことも多く、日が経つにつれて心の中には「やり残した感」があふれてきました。また、当時の仕事が給食センターの調理だったこともあり、子どもたちが食事をする姿を近くで見ることのできる環境にいたいと思うようになっていきました。でも、保育園直営での調理場というのはこの辺ではほとんどなかったので、じゃあ思い切って外に出ようと思いました。「今度こそ自分のやりたいことをやる」と決意し、就職先も決まらないまま、家族の反対を押し切って再び都会での生活を始めました。

上京しても地元への愛は消えなかった

Q.希望していた仕事は見つかりましたか?
A.はい。上京後1ヶ月半でどうにか職場が決まりました。生活がかかっていましたので、即日勤務でお願いしますと。住んでいたのは千葉県だったのですが、職場は茨城の保育園でした。電車で30分くらいの通勤距離でしたが、子供達の笑顔を見ながら料理を作る理想の仕事だったと思います。

Q.家族の反対を押し切ってまで上京され、充実した仕事に就かれたわけですが、地元とは疎遠になっていきましたか?
A.いえ、そんなことはありませんでした。勢いで上京したはずだったのに、やっぱり地元のことが好きで、夏休みや正月だけでなく、2.3ヶ月に1回は地元に帰っていました(笑)。おじいちゃん、おばあちゃんに逢いたかったというのが大きかったのですが、戻ってきたときは、私が通った保育園へも顔を出しに行ったり、保育園で開かれるイベント(例えば波渡なすの栽培)といった手伝いもしたりしていました。そんなことを繰り返していると、純粋に家族や地元の人と逢うことが楽しみになっている自分がいて、帰るたびにこうした人々や地域に関わっていたいと思うようになりました。

想いを深める体験プログラム(マイプロ部への参加)

Q.帰省される以外にも、地元との繋がりを求めて何か行動されていましたか。
A.はい。地元への想いが高まってきたそんなときに、鶴岡市が主催する「2017年度マイプロ部」のことをSNSで見つけ、参加することにしました。この「マイプロ部」というのは、地域における様々な活動への参加を通じて、私なりの地域への関わり方を模索する体験プログラム(「私の(マイ)プロジェクト」の略称)のことです。実際に参加してみて感じたことは、そこに住む人々の生の声を聞き、一緒に作業を行うことで、自分一人では決して知りえなかった地域の魅力をたくさんたくさん見つけられたことです。また、ここで知り合ったメンバーとは、一緒に旅行に行ったり、モンテディオ山形の応援に行ったりするなど、山形のことで盛り上がれる関係を築くことができました。

つながり、ひろがる世界(料理を通して見えてきたもの)

Q.マイプロ部に参加されて、帰郷する決心がついたのですか?
A.いいえ。終了時点ではまだ帰ろうという決心はつかず、東京に戻りました。しかしこれをきっかけに首都圏で開催されるイベントに料理担当として呼ばれるようになっていきました。 最初は、マイプロ部の同期から、「東京で山形のイベントをやりたいのだけれどシェフがいないから作って」とお願いされたのがきっかけでした。今でも、そこに来ていたお客さんに「良かったね」と言ってもらえたのを覚えています。そこから料理を作る機会が徐々に増えていきました。12月に行われたユアターンサミットでは、赤坂にある山形の郷土料理を扱う「まる」というお店のご主人とコラボする形で、場所を借りながら料理を作ることになりました。

※写真は7月に行われた庄内・鶴岡DAY IN TOKYO また、マイプロ終了後の2018年は、20人ぐらいの規模のイベントを月に一回ペースでやっていましたが、山形の料理だけでなく東北の料理を取り扱うことも増えてきました。そうすると、東京でのイベントであっても、地元の食材を使いたいという気持ちが強くなり、東京での仕入れに限界を感じ、地元のお店に直接出向いて仕入れることでより料理が楽しくなっていきました。

Q.よく保育園をやりながらできましたね。
A.そうですね。ほとんど休みなしでした。でも楽しかったです。

離れていても繋がることのできる関係

Q.様々な所から声がかかり自分の料理が出せる環境になってくると、関東に残りたいという思いが強くなっていったのではありませんか?
A.不思議なことに、東京で様々な人脈ができてくると、「鶴岡に戻ったとしても、いつでもイベントをやりにきていいよ」といわれることが増えていきました。きれいさっぱり東京と離れるのではなく、いつでも行ったり来たりできる安心感が生まれたことで、一度目のUターンの時のような、「自分の居場所が地元だけになる」という思いは消えていました。

私がいなくてももう大丈夫

Q.2度目のUターンを決意させた一番のきっかけは何だったのですか?
A.色々なことがあったのですが、まず、アパートの更新期限が迫っていました(笑)。 3月が更新月だったのでそれまでに決めなければならないと。12月ことのことでした。 でもよく考えてみると、一番のきっかけは、仕事だったのかもしれません。職場で一緒に働いていた調理メンバーの後輩2人の成長を垣間見たときに、「私がいなくても大丈夫」、「ここでできることはもうやり切った」と実感でき、新たな場所でのスタートを決意しました。

Q.帰省する前に、現在の職場の保育園で働かれることは決まっていたのでしょうか。
A.実は決まっていませんでした。12・1月か、3月のどちらかのタイミングで帰ろうと思っていただけなのですが、そんな時に、保育園で人が足りないみたいだよという話が舞い込んできました。でもよくよく聞いてみると、栄養士としての空きはなく、保育の補助という形でした。それで、どうしようかなと悩んでしまいました。
Q.結局どうされたのですか?
A.茨城の保育園で働いていた時に「栄養士と保育士どっちのこともわかっていたら、いろいろなことができるよね」と話していたことを思い出しました。保育の中の事って調理室に入るとなんとなくはわかるのですが、子どもの成長の細かいところまでは、やはり保育士さんに全然かなわないので。そうおもったら、保育の勉強をするのもありかなと。 今は作るほうではなく、保育士の勉強中です。
Q.働いてみての感想は?
A.クッキングが多い保育園なのですが、クッキングは一大イベントというより日常です。クッキングでは、「今日はこれを作るからよろしくね」って任せてもらえたりもします。自分のやりたい料理のこともできる環境なので、保育も調理もどっちもできて楽しいです。

そして、現在の生活

Q.今現在、鶴岡でどのように過ごされていますか。
A.時間の流れはゆっくりですよね。すぐ近くに山や海があるので、休みの日に行けるのはいいですね。この前も山へ散歩に行ってばんけを取ったり、自分の家の畑に残ってる赤かぶを取ってきたりして楽しんでいます。
Q.最後に、今帰省を悩んでいるかたに向けてアドバイスをお願いします。
A.私の場合は、できることをやっていった結果、自分の中での区切りをつけることで、次へ進むことができました。また、鶴岡だけとか都会だけということではなく、両方で活動できるということを選択肢に入れておくだけで、気持ちが楽になると思います。


(インタビュー2019年3月25日 文:草島侑子)