鶴岡市に移住した人々の日常を、リアルな体験談とともに紹介する“鶴岡市移住インタビュー”。北海道札幌市から移住し、今年でちょうど10年目を迎える佐藤英世さん・沙織さんご夫妻。大学時代を過ごした鶴岡に惹かれ、一度は札幌でキャリアを積んだ後に戻ってきた英世さんと、その思いを共有し、家族との庄内くらしと地酒をこよなく愛する沙織さん。移住10年という節目に、二人の暮らしの現在地を伺いました。

佐藤 英世さん
札幌市出身。1983年生まれ。山形大学への進学を機に鶴岡での学生時代を過ごす。卒業後、地元・札幌で建設コンサルタントとして勤務。その後2015年に家族で鶴岡へNターン移住。現在は鶴岡市役所総務課で広報政策を担当。技術士の資格を持ち、週末はバンド活動や川の生物調査など様々な分野で活動中。

佐藤 沙織さん
札幌市出身。1983年生まれ。証券会社での営業などを経て、2015年に夫・英世さんと娘さん、愛猫のプッセと共に移住。その後、息子さんを出産。現在は東京のベンチャー企業に所属し、完全在宅勤務で営業活動や採用業務などを担当。鶴岡の旬の食材と日本酒をこよなく愛する。

人の縁に導かれて、大好きな街へ。
鶴岡との出会いと、移住を決めたきっかけを教えてください。
英世さん
山形大学農学部に進学したのが始まりです。大学時代を過ごした鶴岡が大好きで、卒業して札幌へ戻るときも、心のどこかで「いつかまた鶴岡に帰ってきたいな」という気持ちがあったんです。地元に戻ってからは建設コンサルタントとして、ハードながらも非常にやりがいを持って働いていました。ただ、冬の知床まで8時間運転して調査に行くなど、交通事故の危険も感じるほどで。忙しさのあまり、妻から心配されていました。

沙織さん
本当に死んだ魚のような目をしていたんです。そんな時、新婚旅行で鶴岡に来る機会があって、夫が学生時代にお世話になった方々が大宴会を開いて盛大に歓迎してくれました。それが本当に嬉しくて。お酒も美味しいし、加茂水族館のクラゲにも感動して。「ここなら私も楽しく暮らしていけそう」と思って、夫と話し合い、30歳を目前に「よし、鶴岡に行こう」と決断しました。
英世さん
2015年の正月に、年賀状のやり取りを続けていた知人に「そろそろ鶴岡に戻ろうかと思っています」と連絡したところ、「住むところ決めた?家あるよ!」とすぐに返信をいただいて。そこからトントン拍子に田川地区の古民家への入居が決まりました。

旬を追いかける生活の喜び
実際に10年住んでみて、鶴岡の暮らしはいかがですか?
沙織さん
引っ越してくるまでは鶴岡のことは何も知りませんでしたが、在来作物や食文化など、今は「知れば知るほど、噛めば噛むほど面白い街」だと実感しています。コロナ禍を経ていろんな働き方ができるようになりましたが、私は東京のベンチャー企業で、正社員としてフルリモートでインサイドセールスの仕事をしています。画面の中で慌ただしく仕事を進めている中、ふと手を止めて窓の外を見るとコハクチョウが飛んでいたり。
英世さん
そのギャップが面白いよね。
沙織さん
そう。意識は東京の最先端のビジネスの現場にいるんだけど、手元では産直で買った庄内柿をかじって「おいしいな」と思っている。都会のスピード感と、鶴岡の穏やかな時間を両立できている今の環境が大好きです。
英世さん
こっちの人が言っていた言葉なんですけど、「鶴岡の人は食に追われる民だ」っていうのがあって(笑)。まさにその通りだなと。今週はブドウ、次は梨、新米、寒鱈汁……と、旬を追いかけるのが生活の喜びですね。
沙織さん
本当に美味しいものが尽きない! 特に冬の「長ネギ」。焼くとトロッとして、信じられないくらい甘くて。このネギに出会えたおかげで、あんなに苦手だった冬が大好きになったんです。日本酒も、毎年「立春朝搾り」を楽しみにしています。


皿洗いのときの眺めを意識したという大きな窓がキッチンの正面に。自然の移ろいが暮らしに溶け込んでいる。
日本酒といえば、「大山新酒酒蔵まつり」にも参加されましたか?
沙織さん
大山の新酒酒蔵まつりは、本当に楽しみで! 札幌の親戚に「最高なんだよ。道端でつぶれて寝てる人がいる最高な祭りなんだよ!」って熱弁したくらい(笑)。一昨年は札幌からいとこ達もわざわざ遊びに来ました。
英世さん
僕は「回収係」。車で会場まで送り届ける役割です(笑)。
沙織さん
それで、夕方に私がほうほうの体で回収してもらうっていうのがいつものパターン(笑)。いとこ達もたまたま一緒の列に並んだ人と意気投合して、べろんべろんになっていました。外から来た人がこの街のお酒を好きになって喜んでくれる、そんな魅力があるんだと思います。



暮らしの中に、当たり前にある食の豊かさ
お子さんたちは鶴岡育ちですが、ご自身の幼少期と比べていかがですか?
英世さん
間違いなく、僕らより「舌が肥えて」います。小3の息子も、お米を一口食べて「あれ、昨日と違う? 雪若丸?」なんて言い当てたり。鶴岡の食べ物はそれだけ力が強いんだと思います。
沙織さん
給食も素晴らしいですよね。大黒様の行事食が出たり。札幌にいた頃は、お店のショーウィンドウで季節の変わり目を知る生活でしたが、今は田んぼの表情や渡り鳥で季節を感じる。子供たちがこの豊かさを当たり前だと思って育つのは、最高に贅沢なことだと思っています。


(写真提供:佐藤英世)


(写真提供:佐藤英世)
一生の酒飲み話になった移住エピソード
10年の間には、驚くようなハプニングもあったそうですね。
沙織さん
忘れもしません。田川の家に住んでいた頃、玄関でバンバン音がするから郵便屋さんかなと思って行ったら、ガラス戸のすぐ先にクマがいらっしゃって(笑)。
英世さん
僕は仕事中だったんですが、妻から「家にクマいるんだけど」って電話が来て(笑)。慌てて関係各所に連絡しました。
沙織さん
冷や汗をかきながらも、とにかく記録を残さなきゃと必死に動画を撮りました。結局その動画が全国ニュースで流れて。
英世さん
「おめどごの嫁さんは勇敢だの〜」なんて地元の人からもよく声をかけられました。
沙織さん
一生の酒飲み話を得ましたね(笑)。


photo by Toshihisa Sugawara (右)技術士(建設部門:建設環境)として、内川での「ざっこしめ」イベントの講師も務め、専門知識を地域活動に活かしている。
(写真提供:佐藤英世)
移住10年。鶴岡での良かったこと、苦労したこと
改めて、この10年を振り返って「良かった」と思うことや、苦労したことは?
英世さん
「居場所」がどんどん増えている実感があることですね。自分もこの街の登場人物の一人なんだ、という意識を持って生活できているのが嬉しいです。田川での暮らしも本当に楽しかったし。お祭りの時とかも、「おめだぢも来い!」って声をかけてくれて、快く地域の輪に入れてくれました。
沙織さん
近所の皆さんも温かく迎え入れてくれましたよね。大雪の時には、大家さんがトラクターで除雪してくれたこともありました。
英世さん
大家さんに「裏山のタケノコや山菜は自由に採っていいよ」なんて言ってもらって。そうやって受け入れてもらえたことが本当に嬉しかったです。
沙織さん
そうそう。その一方で、買い物から戻って「あ、あれ買い忘れた!」って気づいた時はしょんぼりしましたね。「あぁ…また市内まで行かなきゃいけないのか…」って(笑)。今思えば大した距離じゃないんですけどね。

お二人にとって、これからの鶴岡での暮らしはどうなっていきそうですか?
英世さん
僕は家族と楽しく暮らす場として鶴岡を選んだので、日常が楽しい今の時点で目的はほぼ叶っているんです。ただ、その幸せが続くように「幸せでいられる努力」はこれからもずっとしていきたい。そうやって自分たちが楽しんでいれば、これからもっと楽しくなるだろうなという明るい予感が常にあります。
沙織さん
私はこれからも、穏やかに、少しずつこの街の歴史や食文化を「噛めば噛むほど」知っていきたいです。子育て世代の方も、もっとじゃんじゃん移住して来たらいいのに!って心から思いますね。
旬の味覚を楽しみ、地域の中に飛び込んで、日々の暮らしを慈しむ。
英世さんの語った「幸せでいられる努力」という言葉には、
場所を問わず、その土地で自分らしく生きていくための大切なヒントを受け取ったように感じました。

大瀧香奈子
FUNE(デザイン室フネ)グラフィックデザイナー
鶴岡市(旧 櫛引町)の果樹農家に生まれる。デザインワークの傍ら、地域の食文化、美しい風景や受け継がれる伝統を再発見する日々。

