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No.55 アートと縁が紡ぐ、新たなる一歩。

鶴岡市に移住した人々の日常を、リアルな体験談とともに紹介する“鶴岡市移住インタビュー“。
今回は、画家のコマツミワさんにお話しを伺いました。

プロフィール

コマツ ミワ さん

神奈川県横浜市生まれ。女子美術大学を卒業。
現在、画家・イラストレーターとして活動しながら、古道具と雑貨の小さなお店 「時どき toquidoqui」を営む。

2012年に結婚を機に来鶴したが、夫の転勤のため3年後に県外へ。イラストレーターとして活動する中で鶴岡とのご縁を感じ、再び鶴岡に移住し7年目を迎える。

田園風景の広がる鶴岡へ移住。
生まれ育った横浜市から、遠く離れた東北の地での新生活のはじまり。

鶴岡に移住することになったきっかけを教えてください。

コマツさん
2012年に転勤族の夫と結婚し、赴任先の鶴岡市に住むことになったのがきっかけです。夫の転勤に付いてきた私は、実のところ鶴岡がどんな町なのかほとんど知りませんでした。ただ、絵はどこにいても描けるし、地方に来ることにさほど抵抗感はなかったです。遠くに雪山を望んだ庄内地域の田園風景は、祖父母のいた長野の風景に似ていると感じました。

遠くに見えるのは出羽三山のひとつの月山です
田植え前の田園風景

いざ鶴岡での生活がスタートすると、知り合いがいないのは思いのほか大変で、初めの2年間くらいは友達づくりに悩み、寂しさを感じていました。また、バスや電車などの交通網の便数が少ないため、生活をするにも車の運転が苦手だとハードルが高くなるのだなと思いました。免許は持っていましたが、ペーパードライバーだったので冬の運転は特に不安でした。

3年暮らした後に夫が秋田県の内陸部へ転勤になり、一度は鶴岡を離れることになりました。転勤先の秋田は、鶴岡よりもさらに冬が厳しく、車が1日ですっぽりと雪に埋まるような地域でした。そのため、鶴岡の環境以上に運転のハードルは高くなりました。秋田でもすぐに知り合いをつくるのは難しく、ひとりになりがちな日々を送っていました。そんな中、庄内で出会った方々がちょこちょこと連絡をくれたり、訪ねて来てくれたりと交流は続き、生活の中に温かい彩りを添えてくれました。

その後、再び鶴岡に住むことになるのですが、きっかけは、鶴岡に私の知り合いが多くいて、離れていても交友関係が続いていたのをみた夫が移住を決断してくれたからです。また、鶴岡は夫の好きな海と川があって、暮らしやすい環境も決め手となりました。

鶴岡を流れる赤川は、日本海に繋がっています

2回目の移住活、暮らしはいかがですか。

コマツさん
定住したことによって、仕事や暮らしの中で出来ることが増えました。転勤族だった頃は、2、3年ごとに異動することが分かっていたため、絵の仕事の手を広げようとはしなかったのですが、徐々に依頼が増えてきたこともあり、アトリエを借りることにしました。それが、現在の「時どき toquidoqui」です。

また、東北での暮らしも5年経ち、だんだんと運転にも慣れてきたため、思い切って自分用の車を持つことにしました。その結果、行動範囲が格段に広がりました。ものづくりやお店をしているからかもしれませんが、庄内・鶴岡は人と人が繋がるのにちょうど良い規模だな、と感じることがよくあります。みんなの顔が見える距離で、ほどよく関係し合っていて暮らしやすいです。

幼い頃から絵を描くことで自己表現をする。
ライフワークから仕事になった、そのきっかけは…

画家兼イラストレーターとしての活動について教えてください。

コマツさん
鶴岡から秋田へ移る少し前に、市内で陶芸活動をされている作家さんに出会い、「絵と器」の展示会をいくつか一緒にしました。その作家さんの知り合いに、私の絵を見ていただき、イラストレーターのお仕事もその頃から増え始めて秋田に居ながら、鶴岡の方々とのご縁が少しずつ広がっていきました。異なるジャンルではありますが、ものづくりの仲間ができたことによって、鶴岡、庄内で活動していくイメージが見えてくるようになりました。また、このあたりからSNSでの発信もより一般的になり、活動を見せる手段が出てきたというのも、活動が広がるひとつの要因になったかもしれません。

「絵と器」の展示会風景(写真:土田貴文)
左から HareRu Preserved Flower、カラフルぶどう園、day by day(日ごと)のショップカード
山形食べる通信の表紙もコマツさんが担当されました

当初はアトリエとして使用するつもりで借りた古民家が、気づいたらお店にーー。

Q「時どき toquidoqui」が出来たきっかけを教えてください。

コマツさん
ショップとしての「時どき toquidoqui」が出来たのは、いろいろなことが重なった結果なのですが、ご近所の方々が繋いでくれたご縁がきっかけになりました

庄内に来てから、イラストレーターと名乗ることで(当時はまだ実績がなく勇気がいったの ですが)、仕事としての絵を描かせていただく機会が徐々に増えていきました。自宅では手狭になってきたため、次第にアトリエを持ちたいと思うようになりました。自宅近くで物件を探していたところ、ご近所さんがこの場所を紹介してくださり、借りることにしました。

物件が決まってから、友人に時々手伝ってもらいながらセルフリノベーションをして、現在の形になりました。壁紙を剥がしてペンキを塗っていた時期に、たまたますぐ近くの立派な古民家が解体されることになりました。それを知った別のご近所さんが、「あなた、古いものが好きって言っていたけれど、紹介しましょうか?」と、古民家の持ち主の方へとご縁を繋いでくれました。長く使われてきた木製の窓や、味のある床板、玄関の引戸など、時どきの雰囲気を作ってくれている建具たちは、その時に分けていただいたものです。不思議なことに、使いたい場所にぴったりと合うサイズのものが多く、捨てられるはずの存在だった建具が「ここに来たかったのかな?」と、なんだか嬉しくなったのを覚えています。

横浜の実家にいた頃、鎌倉にある古道具屋さんで働いた経験があり、今、時どきでやっていることのベースになっています。のんびりとした時間が流れるお店の屋根裏には、小さなギャラリーがあり、そこで展示をさせてもらうこともありました。

私の画家としての活動の中のひとつに、古いもの〈捨てられてしまうもの〉を使って〈新たに生まれ変わらせる〉という作品があります。これは古道具屋さんで働いていた時に、捨てられてしまう木の板や、朽ちた鉄板などをなんとか使えないか、と思ったことが始まりです。イラストレーターを始めたことで、画家として自分の絵を描く時間がなかなか取れなくなってしまいましたが、今後、古いものを使った作品をまたつくろうと思っています。

時どきの店内

当初、アトリエとして借りた物件を過ごしやすくするために始めたセルフリノベーションが、古いものと触れ合っているうちに、気が付けば「お店」という形に変化していました。こうして振り返ってみると、鶴岡に来てからは「始めからこうしようと思い描いていた訳ではないのに、今こうなっている」という出来事ばかりです。

目指すのは、ほっとひと息つける場所――。

Q移住を検討中の方に向けて、アドバイスはありますか?

コマツさん
移住したことで、知らない土地で知り合いを増やしていく難しさを身をもって経験しました。そんな時、絵がこの地域と私を繋げてくれました。自分が出来ることを勇気を出してやってみることで、自分のまわりの世界が少しずつ広がっていくのではないかと思います。

また、移住を考えている方には、庄内地域の中でも場所によって印象が異なるため、何度か遊びに来たり、短期的に住んでみるなど、その場所の季節や雰囲気を経験しておくことをおすすめします。鶴岡で行きつけのお店や、話せる誰かがいる場所を見つけることで、初めて住む土地でも過ごしやすくなっていくと思います。「時どき toquidoqui」も、私が出会ったものづくりの仲間やご近所さんのような、温かなほっとひと息つける場所になれたらいいなと思っています。

「Chi」のジュエリー

まるでずっと昔から知っていたような、どこか懐かしい雰囲気の店内には、古道具の他にも陶器やジュエリーなど、コマツさんとゆかりがある作家の商品を取り扱っています。情緒ある昭和町を散歩がてら、「時どき toquidoqui」訪れてみてはいかがでしょうか。

ライター すずきまき

神奈川県横浜市生まれ、2020年春に山形県鶴岡市へIターン移住。同年、本格的に写真活動を始める。写真や文章を通じて、移住生活で変化していく視点や感情を表現。庄内で見つけた「光」を映す。

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