No.22マイプロ部への参加し新しくできた繋がりが背中を押したUターン

 今回の移住者インタビューは2016年3月に東京都からUターンされた草島侑子さんにお話しを伺いました。草島さんは、鶴岡市のご出身。高校卒業後に音響の専門学校へ進学するために上京しました。

草島さん:実はやりたいものも特別になく、東京も怖いから行きたいとは思っていませんでした。なんとなくラジオが好きだったので、仙台辺りで音響関係の専門学校へ行こうと考えていました。でも先生に「音響なら東京へ」とすすめられ、それで東京に行くことにしたんです。生活もいきなり一人暮らしではなく、学校に通いながら新聞配達をする制度があったので、その寮で暮らしました。その後、ブライダルの音響やマネジメント等の仕事をしたのですが、土日がメインのお仕事なので、平日は飲食店との掛け持ちをして働きました。20歳過ぎくらいの時には、自然食品の化粧品部門で販売の仕事をしたり、この11年間いろいろな仕事をしてきました。

(写真提供 草島さん 東京の仲間と)

地元に帰ろうと思ったことはありませんでしたか?

草島さん:まったくありませんでした(笑)。28歳になるまで、お盆とお正月くらししか帰ってきませんでした。帰省したときには決まった友達としか会いませんでしたね。期間も3日間くらいで、羽黒山に行きお参りして帰るみたいな感じでした。

30歳を目前にしたときに、このままずっとフリーターでいいのかなと漠然と思うようになりました。東京にいてもずっと地元のことは気になっていて、テレビで山形県が取り上げられたら嬉しくて、Facebook等で地元の情報を見ていましたね。たまたま「山形」でインターネット検索をしたら、ヤマガタ未来ラボさんのHPにたどり着き、そこで告知していたイベントに参加してみたんです。それは、鶴岡にIターンして暮らしている人と話すという軽いノリの会でした。江戸川区にある鶴岡市の東京事務所にも行きました。その時、募集していた山形の郷土料理教室にも参加しました。

(写真提供 草島さん 東京にて仲間と)

草島さん:ちょうどそんな時期にヤマガタ未来ラボの田中さんにマイプロ部(※)のことを聞き、それに参加してみようと思ったんです。 マイプロ部に参加する前に、1日農業体験みたいなイベントもあり、それにも参加しました。そこで小野寺紀允さん(★)といろいろ話をしました。「考えているうちじゃダメだよ。とりあえず来てみたらいい。迷っていたら自分から動かなきゃだめだよ」と言われ、それもきっかけとなりました。鶴岡に帰ってきた時点で仕事が全く決まっていなかったのですが、小野寺さんのところで働かせていただき大変ありがたかったです。

(※)マイプロ部とは、「いまは都会に住んでいるけど、なんだか鶴岡が気になる。」そんな想いを持つ仲間たちと一緒に、自分と鶴岡との関係性を深めていくプログラム。鶴岡市をフィールドに現地でプロジェクトを実行している人を手伝うなど、2014年から毎年開催されている。詳しくはこちら

(★)小野寺紀允さんのインタビューはこちらから

(平成28年度のマイプロ部の様子)

実際にマイプロ部に参加してどうでしたか?

草島さん:はじめは「30歳になってから帰ろう」と漠然としか思っていませんでしたが、マイプロ部に参加して、すごく楽しかったし新しい繋がりもできて鶴岡のイメージが変わりました。マイプロ部に参加した年に丁度、家賃の更新もあったので、たまたまいろいろな条件が重なって鶴岡に帰ろうということになりました。

マイプロ部でお会いしたときは、帰ってきたら食と関わりたいと言ってましたね。

草島さん:そうですね。漠然とそう思っていました。食文化女性リポーターとかも楽しそうだし食文化を知るのは面白そうだなあと思ってました。帰省して2週間後くらいに、鶴岡ナリワイプロジェクトの繋がりで、羽黒で石鹸ワークショップに参加したところ、そこに今勤めているレストランのオーナーの山澤清さんがいらっしゃったんです。そのときは全然話せなくて、でも帰ろうとしたときに「何やってんなだ?」って声をかけていただき、「何もしてません、無職です」って言ったら、「何もしてないんだったら毎日ここに来なさい」って言っていただき、図々しく毎日通い、話を聞いたり、本を読んでたりしているうちに今に至っています。結果、食と関わった仕事をさせて頂いているのが不思議です。山澤さんはオーガニック化粧品を手掛けてきた方で、ちょうどこの頃、自分のハウスで栽培した在来野菜を使ったレストランの準備を始めていました。

実はご縁があった山澤さんとの出会い 

 草島さん:実は、帰ってくる前に、職を決めないといけないなと思っていた時期もあり、求人案内を見ていたら、今勤めている会社の求人が出てたんですよ。でも経理で募集していたので、私のやりたいこととはちょっと違うなと思い、対象外にしていたのですが、結局そこに入っちゃったみたいな(笑) 。でも本当はもっと以前に、先ほどお話しした自然食品店で働いていたときに、山澤さんのハーブ研究所の石鹸が置いてあったんです。裏を見て、庄内にこんな方がいるんだと思ったのを覚えています。

草島さん:山澤さんって、「何やりたいの?」って聞きだしてくれるんです。自分がそこまで思ってなくても、その場所を提供してくださるので、やらざるを得ないというか(笑)。この店をオープンするにあたり、音響のこともやらせていただいたんです。音響の操作はしたことがあったけど、機材の取り付けなんてやったことがなかったから、最初はプレッシャーでした。電気工事みたいなこと、素人にはできないよって周りからも言われてたんですが、それを山澤さんは私に「やりなさい」ってやらせてくれたんです。それが自信につながる。私だけではなく、皆さんにそういう場を提供してくださるんです。可能性を広げてくれる方だと思います。

(在来野菜のリスト)

見てきたこれから先の仕事のビジョン

草島さん:実際にはすぐに仕事が見えてきたわけでなかったので、知り合いを当たりアルバイトしたり、失業保険をもらいながらパソコンの勉強をしていました。それが、後々活きてきています。お店の中にある在来野菜のリスト、私が作ったんです。全くパソコンができなかったけど、ちゃんと活かされてるんですよね。

今の仕事がフル稼働し始めたのはいつ頃ですか?

草島さん:今年の3月です。3月からが正式雇用だったので。鶴岡に戻ってきてちょうど1年ですね。今までは、仕事とプライベートとはしっかり分けていたんですが、今のところはどっぷり仕事に浸っています。単純に面白いから苦じゃないというか、拘束されてる感覚がないですね。今後どうなるかわかんないですけどね(笑)。やはり、マイプロ部への参加が大きかったです。そこで、人と繋がっていなかったら、鶴岡にUターンしてどうやって人と関わっていったらいいかわからなかったと思います。

 

根底にあるものはつながっています

草島さん:東京にいた時も映画「よみがえりのレシピ」を観に行き、種をつないでいく”想い”にとても感動しました。この映画の影響も大きかったです。奥田さんの「庄内パラディーゾ」も読んで感動していました。もともとそういうのが根底にあって、全て繋がっている気がします。自分がもし飲食店で働くとしたら、近くに無農薬の畑があって、そこから野菜を採って提供できたら理想だなと思っていました。今は理想を超えるものがここにあってありがたい環境にいるなぁと思っています。

Uターンする人にこれだけはやっておいた方がいいことは?

草島さん:帰れるときに帰ってきて、気になるイベントがあったら参加したらいいと思います。帰省したときいつも会う友達と会っていても何も変わらない。いつもと同じ行動をしていても何も変わらないと思います。昨年末に開催された帰省者向けの忘年会イベントでは、その時は盛り上がったのですが、そのあとの飲み会等を設定しておけばもっと盛り上がったんじゃないかなって思います。イベントとリンクしたゆるい交流の場があるといいなと思います。

鶴岡を出た自分と今の帰ってきた自分の違いは?

 草島さん:若いときは外に刺激を求めていました。年を重ねるにつれて変わってきました。東京での10年間で自分のやりたいことをある意味で思いっきりやったのかもしれません。

草島さん:東京から鶴岡を見ている時は距離感が遠く感じていましたが、鶴岡に来てからは、東京が近いと感じます。自分の感覚の持ちようですけどね。地元のことを知らなかったから遠く感じたのかな。以前より直感を大事にして動くようにしています。今も東京が好きなので定期的に足を運んでいます。東京で出逢った人達が鶴岡に来てくれた時は本当に嬉しいですね。

これから先はどうしていきたいですか?

草島さん:今の段階では、「農家さんに伝承野菜を作ってもらいレストランで買い取る。そうすることで農家さんの安定した収入に繋がる。」というここのシステムを少しずつでも広めていきたいです。それが日本の農業の未来につながるんじゃないかなって思います。ここに沢山のお客さんを呼べるようにしたいと思っています。今年も鶴岡ナリワイプロジェクトのお仕事をさせて頂いているのですが、そういうのも組み合わせながら、1つの仕事だけじゃなくていろいろな仕事をやっていければなと思っています。今の職場では、そういうワークスタイルでいいと山澤さんが言って下さっているので、いい環境で働いています。

(平成29年5月11日 インタビュー)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です