No.39 2度目のUターン。やりきった先に広がった「地元への愛」

 

本間成実さん(28歳)。鶴岡市堅苔沢地区(国道7号沿いに位置する海に面した地域)生まれ。高校卒業後に千葉県へ進学し、管理栄養士の資格を取得。卒業後地元に戻り、給食センターに就職するものの、1年で辞め、再び上京。2019年に2度目のUターンを果たし、現在は地元の保育園に勤務。

2度目の上京

Q.1度Uターンされた後、上京されるまでの経緯を教えてください。
A.大学卒業後、一度、地元に戻って来て働いてみたのですが、「やりたいことを見つけて帰ってきた」というよりは、「1人っ子だったため帰らなければいけないという義務感から帰ってきた」というのが正直なところでした。 本当に自分がやりたかったことは何だったのだろうと思うことも多く、日が経つにつれて心の中には「やり残した感」があふれてきました。また、当時の仕事が給食センターの調理だったこともあり、子どもたちが食事をする姿を近くで見ることのできる環境にいたいと思うようになっていきました。でも、保育園直営での調理場というのはこの辺ではほとんどなかったので、じゃあ思い切って外に出ようと思いました。「今度こそ自分のやりたいことをやる」と決意し、就職先も決まらないまま、家族の反対を押し切って再び都会での生活を始めました。

上京しても地元への愛は消えなかった

Q.希望していた仕事は見つかりましたか?
A.はい。上京後1ヶ月半でどうにか職場が決まりました。生活がかかっていましたので、即日勤務でお願いしますと。住んでいたのは千葉県だったのですが、職場は茨城の保育園でした。電車で30分くらいの通勤距離でしたが、子供達の笑顔を見ながら料理を作る理想の仕事だったと思います。

Q.家族の反対を押し切ってまで上京され、充実した仕事に就かれたわけですが、地元とは疎遠になっていきましたか?
A.いえ、そんなことはありませんでした。勢いで上京したはずだったのに、やっぱり地元のことが好きで、夏休みや正月だけでなく、2.3ヶ月に1回は地元に帰っていました(笑)。おじいちゃん、おばあちゃんに逢いたかったというのが大きかったのですが、戻ってきたときは、私が通った保育園へも顔を出しに行ったり、保育園で開かれるイベント(例えば波渡なすの栽培)といった手伝いもしたりしていました。そんなことを繰り返していると、純粋に家族や地元の人と逢うことが楽しみになっている自分がいて、帰るたびにこうした人々や地域に関わっていたいと思うようになりました。

想いを深める体験プログラム(マイプロ部への参加)

Q.帰省される以外にも、地元との繋がりを求めて何か行動されていましたか。
A.はい。地元への想いが高まってきたそんなときに、鶴岡市が主催する「2017年度マイプロ部」のことをSNSで見つけ、参加することにしました。この「マイプロ部」というのは、地域における様々な活動への参加を通じて、私なりの地域への関わり方を模索する体験プログラム(「私の(マイ)プロジェクト」の略称)のことです。実際に参加してみて感じたことは、そこに住む人々の生の声を聞き、一緒に作業を行うことで、自分一人では決して知りえなかった地域の魅力をたくさんたくさん見つけられたことです。また、ここで知り合ったメンバーとは、一緒に旅行に行ったり、モンテディオ山形の応援に行ったりするなど、山形のことで盛り上がれる関係を築くことができました。

つながり、ひろがる世界(料理を通して見えてきたもの)

Q.マイプロ部に参加されて、帰郷する決心がついたのですか?
A.いいえ。終了時点ではまだ帰ろうという決心はつかず、東京に戻りました。しかしこれをきっかけに首都圏で開催されるイベントに料理担当として呼ばれるようになっていきました。 最初は、マイプロ部の同期から、「東京で山形のイベントをやりたいのだけれどシェフがいないから作って」とお願いされたのがきっかけでした。今でも、そこに来ていたお客さんに「良かったね」と言ってもらえたのを覚えています。そこから料理を作る機会が徐々に増えていきました。12月に行われたユアターンサミットでは、赤坂にある山形の郷土料理を扱う「まる」というお店のご主人とコラボする形で、場所を借りながら料理を作ることになりました。

※写真は7月に行われた庄内・鶴岡DAY IN TOKYO また、マイプロ終了後の2018年は、20人ぐらいの規模のイベントを月に一回ペースでやっていましたが、山形の料理だけでなく東北の料理を取り扱うことも増えてきました。そうすると、東京でのイベントであっても、地元の食材を使いたいという気持ちが強くなり、東京での仕入れに限界を感じ、地元のお店に直接出向いて仕入れることでより料理が楽しくなっていきました。

Q.よく保育園をやりながらできましたね。
A.そうですね。ほとんど休みなしでした。でも楽しかったです。

離れていても繋がることのできる関係

Q.様々な所から声がかかり自分の料理が出せる環境になってくると、関東に残りたいという思いが強くなっていったのではありませんか?
A.不思議なことに、東京で様々な人脈ができてくると、「鶴岡に戻ったとしても、いつでもイベントをやりにきていいよ」といわれることが増えていきました。きれいさっぱり東京と離れるのではなく、いつでも行ったり来たりできる安心感が生まれたことで、一度目のUターンの時のような、「自分の居場所が地元だけになる」という思いは消えていました。

私がいなくてももう大丈夫

Q.2度目のUターンを決意させた一番のきっかけは何だったのですか?
A.色々なことがあったのですが、まず、アパートの更新期限が迫っていました(笑)。 3月が更新月だったのでそれまでに決めなければならないと。12月ことのことでした。 でもよく考えてみると、一番のきっかけは、仕事だったのかもしれません。職場で一緒に働いていた調理メンバーの後輩2人の成長を垣間見たときに、「私がいなくても大丈夫」、「ここでできることはもうやり切った」と実感でき、新たな場所でのスタートを決意しました。

Q.帰省する前に、現在の職場の保育園で働かれることは決まっていたのでしょうか。
A.実は決まっていませんでした。12・1月か、3月のどちらかのタイミングで帰ろうと思っていただけなのですが、そんな時に、保育園で人が足りないみたいだよという話が舞い込んできました。でもよくよく聞いてみると、栄養士としての空きはなく、保育の補助という形でした。それで、どうしようかなと悩んでしまいました。
Q.結局どうされたのですか?
A.茨城の保育園で働いていた時に「栄養士と保育士どっちのこともわかっていたら、いろいろなことができるよね」と話していたことを思い出しました。保育の中の事って調理室に入るとなんとなくはわかるのですが、子どもの成長の細かいところまでは、やはり保育士さんに全然かなわないので。そうおもったら、保育の勉強をするのもありかなと。 今は作るほうではなく、保育士の勉強中です。
Q.働いてみての感想は?
A.クッキングが多い保育園なのですが、クッキングは一大イベントというより日常です。クッキングでは、「今日はこれを作るからよろしくね」って任せてもらえたりもします。自分のやりたい料理のこともできる環境なので、保育も調理もどっちもできて楽しいです。

そして、現在の生活

Q.今現在、鶴岡でどのように過ごされていますか。
A.時間の流れはゆっくりですよね。すぐ近くに山や海があるので、休みの日に行けるのはいいですね。この前も山へ散歩に行ってばんけを取ったり、自分の家の畑に残ってる赤かぶを取ってきたりして楽しんでいます。
Q.最後に、今帰省を悩んでいるかたに向けてアドバイスをお願いします。
A.私の場合は、できることをやっていった結果、自分の中での区切りをつけることで、次へ進むことができました。また、鶴岡だけとか都会だけということではなく、両方で活動できるということを選択肢に入れておくだけで、気持ちが楽になると思います。


(インタビュー2019年3月25日 文:草島侑子)