No.6 “半農半X”を実践! 農ある暮らし×デザイナーという生き方

第6回目のレポートは、2012年に川崎市から奥さんの実家のさくらんぼ園を継ぐために移住された宮城さんご夫妻を紹介します。

写真1(宮城夫妻)648

移住のきっかけ

宮城良太さんは宮城県南三陸町の出身。妙さんは鶴岡市櫛引地域出身。お二人とも美術系の大学を卒業後、東京で共にデザイナーとして活躍されていました。妙さんは、さくらんぼ園の二人姉妹の姉として生まれ、いつかは家を継ぐというイメージを持っていました。しかしそれは、東京での生活を自分なりに満足しきった40~50歳頃だとイメージしていたそうです。それでも二人は、どこで独立しようかと以前から話あってきたといいます。独立して仕事を軌道にのせてから地方に移住するのか、それとも地方に移住してから仕事を独立させて、農業もやるのか、どちらがいいのか二人で話し合ってきました。

「半農半X(※)」という考え方を知ってから、地元に帰ってもいいかなと思えるようになったという妙さん。農業だけを仕事にしなくても、自分の仕事とバランスを取りながら農業をするスタイルもあるのだと知り、地元に帰るという選択がでてきたといいます。しかし、農業とデザイン業との両立に不安もありました。

一方、良太さんは農業がベースで仕事ができるのはメリットだと捉えていました。

※半農半Xとは、自給的な「小さな農」を暮らしに取り入れつつ、天の才(個性や能力、特技など)を社会のために生かし、天職(X)を行う生き方、暮らし方。

写真2(400)

移住のきっかけは東日本大震災でした。良太さんは震災を経験して、改めて東京にいる意味を考えたといいます。「仕事の面でも考え直す良いきっかけになりました。総合的にいろいろ考え、実家の近くに住まなきゃとかりたてられた」と良太さんは振り返ります。

一方、妙さんは実の親とはいえ、価値観や生活のペースが全然違うので、市内にアパートを借り自分のペースで生活したかったといいます。さくらんぼの時期は一緒に仕事をするので、四六時中一緒だと親子といえども辛そうだなと思いました。良太さんは、妙さんのご両親と同居してもいいと最初から思っていたそうです。最初の住まいは、市内にアパートをインターネットで調べました。「知人が移住した際に市役所に相談しに行ったという話を聞き、そういう窓口があるとは知りませんでした。事前にいろいろ相談できたら、また違う選択肢があったのかもしれませんね。」

写真3

移住してからの人との繋がり

妙さんは、帰省するたびに会う友人はいましたが、それ以外のネットワークはなかったといいます。

良太さんは、フェイスブックを見て、庄内で気になる人に自分からコンタクトを取り、会いに行き、友達を一気に作っていったといいます。
「前の会社には、仙台にも営業所があったので、東北での仕事をさせていただいていました。初めは仙台に週に1度くらいで足を運んでいました。しかし、会社の人間として動くと、自分の作品として発表できないということもあったので、自分が農家であったということもあり、アル・ケッチャーノに行って、今までの作品をプレゼンした結果、『じゃあやってみる?』みたいな流れで新店舗のデザインをさせていただくことができました。そこから少しずつ山形での仕事が広がっていきました。」

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移住して困ったこと

「ウィンドウショッピングができないので、『こんなとこやだ~っ』となることがたまにあります」と妙さんは苦笑します。「物欲がある訳ではないんですが、見たりする刺激が欲しいのです。そんな時はちょっと遠出をして興味のある場所に行ったりおいしいものを食べたりしていました。また、自分が育った町ですが、冬場の日照時間が少ないのでお日様が恋しくなりますよね」。
良太さんは、ここでの冬の暮らしを楽しくするために新しい家に薪ストーブを入れました。「薪ストーブは庄内の冬の天候には、ぴったりだと思います。炎を見ていると癒されますしね。太平洋側と日本海側では冬の天気は全然違います。冬、仙台に仕事で行くといつも快晴ですからね。こちらはお日様がない。でも僕が太陽になるよ~」良太さんは笑っていいます。

「こちらに、戻って来ていいなと思ったのは、山登りをしたりして、積極的に自然に入っていけることでした。妊娠出産で今、それができなくなり、どうやって楽しめばいいんだろうと思いました。これからは子どもと一緒に自然を楽しめたら」妙さんはいいます。

「言葉は大分慣れてきましたね。困ったことは、そんなにないんですよ」と良太さん。なんと良太さんは世界38か国を旅したこともあり、どこへ行っても適応力があるのが特技だそう。その経験からか、どんなことにもいつも前向きです。「あちこち出かけるのと実際に住むのとは違うのですが、『旅をするように生活する』というのもいいのかもしれませんね」良太さんはいいます。

写真5(自宅外観)648

地元の人とのお付き合いはどうしているのか

「都会と違って、自治会との繋がりが強いのだとわかりました。さくらんぼの収穫の時期が始まると、生産者組合で集まり、のぼり立てがありました。地元の人から得るものは、今後生活していく上で、かなり重要なものだと思うので、集まりなどには積極的に参加していきたいと思っています。」と良太さん。

写真6(鈴木さくらんぼ園)648

今の仕事のやりがいやくらしについて

「こちらに戻ってきてからは、デザインとさくんらんぼ園の仕事の他にずっとやりたかったお花屋さんのバイトをやっていました。これから子育てしながら、どういうふうに仕事ができるのか、考えていかなくてはなりません。」出産して退院してきたばかりの妙さんの子育ては始まったばかりです。

「僕は、最終的にはさくらんぼの仕事にシフトしていきたいと思っています。農業体験や自然体験、ここでの文化を体験できるリゾート。豪華なリゾートではなくて、庄内でしか体験できないことがあるので、それを体験できるリゾートを将来的に作りたいと思っています。心からリラックスしながら体験できる場所を作りたいんです。」良太さんの夢は膨らみます。

写真7(さくらんぼと良太さん)648

家を新築するにあたりご自分でデザインしたそうですが

農家として生きていくには、圃場と住まいが遠いのはやはり不便と感じたため、2013年の秋に妙さんの実家の近くに家を建てることを決めました。
良太さんは内装のデザインを手掛けていたので、ご自分の家の設計デザインもしました。実際に床を貼ったり自分でできることはできるだけやってみたそうです。「いつもはデザインするだけですが、実際に作業してみて、職人さんの気持ちもわかることができてよかったです」。
インタビューの際にご自宅を見せていただきました。ひとつひとつの素材にこだわって建てたというお家はとても素敵で心地よい空間でした。

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移住地としてここを選ぶ良さは?

良太さんはいいます。「正直言うと、たまたま来てみたら良かったというのがあります。何度か鶴岡に帰省していましたが、移住する場所という目では見たことはなかったのです。住む場所として改めてみつめてみると、いろいろなものも見えてきて、見方が変わってきました。
どこに住んでも面白いとは思うんですよ。でも鶴岡は、地域に文化が詰まっていて、食べ物も美味しいし、魅力のある場所だと思います。」

移住を考えている人へのアドバイス

「今までの固定概念を捨てて、素直に感じることだと思います。そうすることによって多分何でも面白く、楽しくなると思います。今までのやり方や、こうでなければいけないという考えが新しい発見を見逃してしまうんじゃないかなぁ。都会のやり方をこっちに持って来るのではなくて、ここでのやり方を新しく自分のスタイルで始めたらいいと思います。そうしたら辻褄があわないことはなくなると思います。それで苦しんでいる人もいると思うんです」と良太さんはいいます。
「都会は受け身でも生活できるのですが、地方にいては、自分から動いた方が生活が広がり、より楽しめます。積極的に行動することで、枠を超えることができます。東京で仕事をしていたときは、自分から積極的に行動することはなかったのですが、こっちに来て初めてその重要性に気づきました。」
「人見知りな上、旅からかえってくると人間不信になって、もうこれ以上友達をつくるのをやめよう。今いる友達とだけ仲を深めようと思ったりしました。でもこちらにきたらそれじゃだめだと思ったんです。きっかけで変われるんですよね。」
「今の自分から、若いころの自分に言うとしたら、『やりたいことは、やればなんとかなる』。自分の順応性を信じることが大切です。」良太さんは、いろいろな場所を見て、いろいろな人に出会ったからこそ言えるのかもしれません。

写真9(宮城夫妻)645

「今までの鶴岡市は、来たい人が移住するのをフォローしてきたと思いますが、これからは実際に来た人たちが地域に馴染んでいくよう、きちんと定住するまでフォローしてはどうでしょうか。先輩移住者との交流があったらいいですよね。そして、そういう会がありますよというのがポストに入っていたら尚いいと思います。」

家族も新しく増え、子育てという新たな生活スタイルも加わった宮城さんご夫妻の鶴岡での暮らしの楽しみ方はこれから益々広がっていくのだと思います。

(平成27年6月1日インタビュー 11日撮影 写真・文 俵谷敦子)

 

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