今回のインタビューは2015年3月に東京都から移住し、新しくオープンしたベーカリーの店長を務める大岡俊志(おおおかしゅんし)さんにお話しを伺いました。
鶴岡市山王町にある戦前の織物工場を再生した映画館『鶴岡まちなかキネマ』の隣に2015年4月、イタリア料理店『アル・ケッチァーノ』の奥田政行さんが初のベーカリーをオープンしました。その店長に抜擢されたのが、兵庫県神戸市ご出身の大岡さんでした。大岡さんは、鶴岡に来る前は、東京の有名ベーカリーでパン職人として働いていました。パン屋の道に入ったきっかけは、高校卒業後に音楽をやるための資金稼ぎとして自宅近くのスーパーの中にあるベーカリーでアルバイトをしていたことでした。
( 写真提供: 大岡俊志さん )
音楽をやりたくて3ヵ月間、渡米までしましたが、帰国後、音楽を辞めることを決意したという大岡さん。そのとき、自分にはパン屋しかないと思い、本格的に パン作りについて勉強しようと神戸製菓専門学校へ通いました。当時、神戸はパンの消費量が日本一で、市内には多くのパン屋さんがありました。専門学校を卒 業後、地元神戸の老舗ベーカリーや有名ベーカリーで3年ほど働いてから26歳の時上京しました。
( 写真提供 : 大岡俊志さん )
東京では、メゾンカイザーで約5年働き、31歳で大岡さんの最終ステップでもあったジョエルロブションに勤めました。ちょうど半年くらいした頃に奥田さんの「地ぱんgood」のお話しをいただきました。
( 写真提供 : 大岡俊志さん )
大岡さんと「地ぱんgood」と接点は、横浜にある「トツゼンベーカーズキッチン」のオーナーでもあるジャパンベーカリーマーケティング(パン屋の開業支援)の岸本社長と奥田さんが繋がっていたからだそうです。
突然、鶴岡のパン屋さんと聞いてどうでしたか?
「鶴岡市にある映画館のパン屋さんということは聞いていました。奥田さんにこのお話しをいただいたのが2015年1月で、正直にいうと、それまで奥田さんのことも、鶴岡のことも全く知りませんでした。一旦はお断りしましたが、その後、1月の後半に奥田シェフとヤマガタサンダンデロで直接お話をさせていただき、奥田さんの考えや経営理念などすべてのものの考え方に共感できたので、自分も一緒に鶴岡を盛り上げたい、山形を盛り上げたいと思わずにいられなくなりました」。お金のためでもなく、自分のためでもなく、お店のためというより、鶴岡のため、山形のためということで動いている奥田さんを見て、自分も地域を動かしたいと思ったそうです。
「パントトラディショナル元町ユニオン店をオープンする際のアルバイトスタッフとして入ってきたのが妻(裕紀恵さん)です。結婚したのは鶴岡にきてからなんですよ。鶴岡までついてきてくれました。山形と山梨の区別もつかなく東北はわからなかった僕ですが(笑)」。
一度も鶴岡を訪れたことがないのに、移住を決めたのは?
「なんとかなるだろうと前向きな考えしかありませんでした。フットワークは軽いほうなので、大丈夫だと思っていました。雪に対しても、2歳くらいから高校くらいまで、長野によくスキーにいっていたので、抵抗感は全くありませんでした。でも初めて鶴岡に来たときに、人がいないなぁという印象を持ちました」。大岡さんは、メゾンカイザーでの実績もあったので、なんとかなるだろうと思ったそうです。また庄内でパン屋をやるにあたり、来る前から、鶴岡のことをいろいろ調べてきたという大岡さん。「地域によって人の味覚は、全然違うのですが、ここ鶴岡、庄内地方は全国の塩分摂取量が一番多いと言われています。日本人が一日に摂る食塩は12gと言われていますが、理想は10g以下だというのに、ここ庄内は15gで日本で一番塩分をとる地域と言われています。地元のお医者さんとも話をさせていただく機会があり、鶴岡で売るパンについていろいろな観点から考えました。味が濃く、塩気の強いもの。塩味と旨味が比例したとき美味しさを感じるので、地域の人に好まれるパンのメニューを考えました。僕が作っているパンはメゾンカイザーの作り方が主流で、さらに自分なりに勉強してきた理論に基づき、自分なりにアレンジしました」。
「『地ぱんgood』のパンのコンセプトは『0歳から100歳まで楽しめる』ということ、そして地(元)のぱん(が)good(良い)という意味で地産地消。極力地元のものを使うように心がけています。女性客も多いですが、男性客も少なくはないんですよ。開店当初は仙台など遠くからきてくださったり、東京に店をださないのかといわれたり、大阪からいらっしゃったお客さまには送ってほしいと言われたこともありました。美味しいものを作っているという自信はありますが、もっと美味しいものを作りたいという意欲もあります。そしてパンを作るだけではなく、接客もして、お客さんとコミュニケーションをとるようにしています」。
鶴岡での暮らしはどうですか?
「今まで、神戸、東京にいたときは産直というものがありませんでした。産直は安いし、採れたてを持ってくるという臨場感がまた良いと思います。産直には買い物によくでかけるので、そこで生産者さんとも話し、地元の食材の話を聞いたりしてよく勉強させていただいています。また、鶴岡市食文化創造都市推進協議会の『若手料理人交流ミーティング』に参加させていただき、地元の食産業に関わる方たちと交流もさせていただいています。フードマルシェや鶴岡のれんにも参加しています」。
移住の際に困ったことはありましたか?
「東京では車はいらなかったけど、ここ鶴岡での生活に車は欠かせません。家賃は東京に比べ低いけれど、車のガソリン代と冬の暖房のための灯油代が東京にいたときよりかかりますね。トータルな生活費としては都会暮らしとそんなに変わらないと感じています。鶴岡という所は、都会に比べ個人収入が低く、家族皆で働くから世帯収入は低くないのですが、パンの単価の付け方は東京に比べ何分の一も低くしています。今の生活はホントに仕事、仕事、仕事の毎日です。でも売上を上げるのではなく、パンを食べる文化をもっと庄内にも広げていきたいと思います。もっと皆にパンを食べてもらいたい。パンで鶴岡、山形を元気にしていきたいです。
現在、大岡さんのもとでパンを学びたいという人もいて庄内地域以外から働きに来ている人もいるという。「鶴岡だから来たというより、僕にとっては奥田さんとパンがあったから来たのかな。ですから、奥田さんと出会わなければ一生鶴岡にくることはなかった、それくらい縁のない場所だったんです。実は、岸本社長との出会いも妻との縁からでした。人と人の出会いや繫がりを大事にしています」。
「鶴岡にない技術や知識をもっている自信はあるので、これを地元に広めていきたい。一つのパン屋さんとして、パンで地域を盛り上げようとしてもそれは不可能なので、鶴岡や庄内のパン屋さん同士で力を合わせてやってみたい、そう考えます。県内からも県外からも魅力あるパン屋さんにしていきたいです」。
山形県の場所すらよくわからず、東北地方に一度も訪れたことのない大岡さんが「地域のために」という想いを抱き鶴岡での暮らしを送っています。
(平成28年4月21日 取材 写真・文 俵谷敦子)
コメント
おいしいパン大好きです。
こどもとまた行きます。
鶴岡に遊びに来てくれる方には必ず紹介しています。
朝早い時間帯なのもありがたいです。
店員さんもみなさん丁寧でお店を後にするときはうれしい気持ちでいっぱいになります。
これからもたのしみにしています。