第7回目のレポートは、学生時代から鶴岡に通っていたことが縁となり2013年に山形市から移住された結城ななせさんにお話を伺いました。
移住のきっかけ
高校時代から美術に係わることを目指していたという結城さんは、山形市にある東北芸術工科大学に進学しました。大学1年生のときに、鶴岡市にあるNPO法人公益のふるさと創り鶴岡の主催する「だがしや楽校」という子ども向けの造形遊びや、お祭りでのものづくりブースなどを担当し、大学院卒業まで月に1回ほどのペースで6年間、鶴岡に通いました。
結城さんは学生時代の活動や子どもたちとのものづくりの活動を通して、卒業後は自分で造形教室や絵画教室などをやりたいと思っていました。自分の制作活動を続けながら子どもたちとの活動もしたかったという結城さん。山形の実家に十分なスペースはあったそうですが、自分の実家をベースに活動しても面白くないと思いました。それは、整った、与えられた環境で何かをはじめたとしても、よくも悪くも「普通」のことしかできないと思ったからでした。
だがしや楽校で、初めて出会ったときに0歳だった子どもたちが、今はもう9歳や10歳になりました。家族や親戚でもないのに、小さい頃から知っている子どもたちの成長に向き合えるのは嬉しいことです。ですから、そんな子どもたちがたくさんいる鶴岡で活動をしたいと思うようになりました。地域の方やお母さんたちとも顔見知りだし、人の繋がりのある環境の方が絶対面白いと思いました。山王ナイトバザールで定期的に子どもたち向けのワークショップを開催していると、月1回と少なくても同じ子どもたちに会えるのが楽しみになったと結城さんは教えてくれました。
そんな結城さんの側にいつもいるのが、大学の先輩であり友人でもある吉田祐子さん。吉田さんは埼玉の出身で結城さんより1年前にNPOの仕事で鶴岡にきていました。学生時代に手伝いで鶴岡にきていた結城さんが卒業後すぐに鶴岡に来れたのは、吉田さんの存在も大きかったようです。
鶴岡での暮らしは?
鶴岡に来て1年目はNPO法人公益のふるさと創り鶴岡に所属し、そこが山形県から受託した商店街マネージャー育成事業を担当しました。「もとから会社への就職は考えておらず、むしろ職はなくてもよかったんです」と結城さん。まずは「やりたいことをやる」のが先で、数年間はざっくりとお金のことは最低限、生きていける分をアルバイトなどで稼げればいいと思っていました。そして2013年の3月、仕事とは別に「子どもたちに創造的で豊かな放課後の居場所を提供する」ことを目的とした「やまがたこどもアトリエ」という活動を先輩の吉田さんと2人で始めました。
2年目は、山王まちづくり株式会社で街なか交流促進事業を担当しました。そして3年目になる今年の4月からは、これまでの活動を知るようになったYAMAGATA DESIGN株式会社から声がかかり、YAMAGATA DESIGNに就職しました。YAMAGATA DESIGNでは0歳からの保育と、12歳までの子どもたちを対象にした“生きる力”を学ぶことができる教育の場を創ろうとしていました。そこに結城さんのこれまでの活動を組み入れていきたいと考えたのです。結城さんはいいます。「自分はやりたいことが先にあって、ありがたいことに仕事があとからついてきてくれました。」
活動をはじめた当初、「やまがたこどもアトリエ」に活動拠点を提供してくれたのは「良質なしがらみ」という市民団体で、ソーシャル特区として借り受けていた鶴岡市の空き施設である旧羽黒西部児童館が最初の活動拠点となりました。ここは、2013年11月に取り壊しがきまっていたので、汚れようが、落書きしようが気にせずに自由に使わせてもらっていました。園庭にものすごい大きな水たまりができて子どもたちと裸足で入り、おおはしゃぎで遊んだりもしたそうです。
こちらが取り壊しの時期が近づくと、次の活動拠点をどうしようかと悩みながらいろいろな場所を探しました。このとき鶴岡にきて最初に勤めたNPOや、そこで知り合った市役所の方が親身になって一緒に探してくれたといいます。しかし物件は簡単には決まりませんでした。なかなか上手くいかないので、拠点を持つことは一旦諦めようかと思ったと結城さんは振返ります。
とりあえず春までは活動を一旦休止しようかと思っていたところ、市役所の方から連絡をもらい、空き家対策のNPO法人 つるおかランド・バンクを通じて鶴岡市の郊外地にある一軒家を紹介されました。たまたまランド・バンクの方も結城さんたちの活動を知っていて、大家さんにとてもよく繋いでくださったお陰で、なんと無償提供という形でお借りできることになったとか。子どもたちのため、社会貢献として動いてくれる人たちだし、このままでは痛んでしまう空き家に住んで管理してくれるならどうぞ使って構わないということでした。
引っ越してからの話を聞かせてください
自分の住む区域は10~12軒ほどあり、引っ越しのときにお菓子を持って挨拶回りをしました。2014年2月末から住みはじめたのですが、その前に引っ越し先の家を片付けている最中、近所の方が壊れてしまった水道を「自分は水道屋だから」と親切に直してくれました。そのときその方と、神社で雪燈籠祭があるので午後5時に迎えにくると約束し、引っ越し初日にお祭りの受付を任されました。そのときはびっくりしましたが、地区のイベントへの参加はその地区に受け入れてもらえたようで嬉しかったと結城さんはいいます。
「暮らしはじめてみて、地区の方との繋がりがとてもありがたいと思います。例えば、古くからのお祭りがあって、朝7時に家に招待されて伺うと、振舞いごはんや山菜料理をごちそうになったり、600年続く獅子舞をみせてもらったり。またそのときに、若い人はぜひ出てほしいと地区対抗の運動会に熱烈なお誘いを受けました。その後、運動会担当のお父さん方が出場種目の相談に来られたのですが、なんと4種目も割り振られてしまいました。」と笑いながら結城さん。運動会も楽しいですが、その後の懇親会では皆と一緒に酒を飲んで、どこの家の嫁だと言われたりしながら、地区の方と知り合うことができたそうです。日中家にいない結城さんにとっては、地区の方や子どもたちと会うことのできる年に一度の大切な場となっています。
今年の地区の運動会は仕事のため、綱引きと応援のみの午後からの参加となりました。その懇親会では子どもたちも一緒にご飯を食べるのですが、結城さんは以前家に遊びにきた近所の子どもたちに「いつか消しゴムはんこの作り方を教えて」と言われていたのを思い出し、材料と道具を持って行ったので、その場の席で急きょ「大・消しゴムはんこ教室」をはじめることとなり、とても楽しいひとときになったそうです。
結城さんはいいます。「夜仕事から帰ってくると、玄関前に枝豆やキュウリや白菜が置いてあったり、すごく嬉しいのですが、はじめはどなたが置いてくださったのかわからなかったんですよ。そこで玄関に小さなメッセージボードを設置しました。野菜だけでなく、これを植えておくと増えるからとおばあちゃんが花の球根を置いていったりしてくれるんです。近所の方たちが、皆本当にいい人ばかりなんです。自分にとっては鶴岡って、『普通じゃない感じが普通』だと思うのです。私の地元だったらありえない『普通』がとても面白くて心地いいなと思います。家を無償で借りることに始まり、申し訳ないくらい手をさしのべてくれる方が多いように思います。」
困ったことはありましたか
「冬場、太陽が出ないのは辛いですね。雲の厚みが違うんです。同じ山形県内でも、自分の地元の山形市は鶴岡市に比べれば晴れるほうなので、冬場ここで暮らしていると、ちょっとでも陽が差したら嬉しくて外に駆け出します。こちらへ来て太陽のありがたみが分りました。言葉に対する抵抗はありませんでしたよ。庄内弁はやわらかくてかわいいです。
私の困りごとではないのですが、ワークショップで知り合った子どもたちの親御さんから話を聞いていると、鶴岡市は子育て世代に優しくないのではないかと思う時があります。それは、冬の雪や風がひどいので、0〜2歳のちいさな子を連れての外出が難しく、春が来るまでの数ヶ月間、母子で軟禁状態のようになってしまうので…。子どもたちのための施設や遊び場が充実したり、子育て世代への行政のサポートがもっとあったらいいなと思います。それもあり、YAMAGATA DESIGNでの今後の取組みが楽しみです。」目を輝かせて結城さんはいいます。
今の仕事のやりがいや暮らしはどうですか
「こどもアトリエは当初から自主活動なので、活動資金は基本持ち出しです。ですがNPO法人や公益財団法人の皆さんがそんな事情も汲んでくださり、資金面やネットワークなど強力な協力体制をとってくださっていました。この4月からは新たに、YAMAGATA DESIGNで子どもたちのための活動や居場所づくりを仕事としてさせていただけるので、本当にありがたいです。助成金を頼りにした単発のイベントではなく、継続性のあるプログラムや場づくりに取り組めることがいちばん嬉しいです。」と結城さん。
「やまがたこどもアトリエ」の活動は、引っ越した先の住まい兼アトリエで開催しているそうですが、夏の庄内は子どもたちを連れて行きたい「いい所」が沢山あるので、家を飛び出してあちこちで開催しているとか。先日も櫛引のぶどう園さんにご協力いただいて、ぶどうの樹の下で絵画教室をひらき、とても気持ちのいい環境だったそうです。
Summer Workshop CARNiVAL(サマーワークショップカーニバル)について
YAMAGATA DESIGNで開発を進めている「鶴岡バイオサイエンスパーク」、その中でも「子どもたちの学び場」では、子どもたちそれぞれが自分の興味や関心、疑問を夢中になって探求できるような環境を創ろうとしています。その第1歩として企画したのが「Summer Workshop CARNiVAL(サマーワークショップカーニバル)」。目指している「学び場」はひとつの企業で創れる小さなものではなく、地域全体で取り組んではじめて実現できるとても大きなものです。今回は結城さんたちの得意とするアートの分野を軸にワークショップを企画したといいます。今後はサイエンスやスポーツなどより幅を広げていけたらと結城さんは思っています。
「初日の日曜日のプログラムは1番人気で、親子で120名もの方が参加してくれました。1週間連続、しかもそんな規模での開催は初めてのことなのでかなりハードでしたが、力を貸してくださる方に本当に恵まれて、当日はキラキラ目を輝かせて取り組む子どもたちの姿を見ることができて、本当にやってよかったなと思いました。」
詳しくはYAMAGATA DESIGNのFacebook ページをごらんください。
https://www.facebook.com/yamagatadesign.shonai?fref=ts
移住を希望する若い人たちへのメッセージ
「私の場合、勢いにまかせてやってきたようですが、実はたくさんの繋がりがありました。鶴岡との出会いはたまたまだったけれど、ここでできた子どもたちとの繋がりがあったからこそ移住を決めました。たくさんの人に助けてもらい、転がりこみながら、まだまだ借り暮らしで生きている感じはしますが…。今は2,3年先にある『子どもの学び場』づくりに全力疾走します。
あるとき友人と話して気付いたのは、生きていくのに本当に必要なお金ってなかなか自分ではわかっていないということでした。人によって全く違うと思うんです。収入に対する不安はよく聞きますが、自分は社会に出て1年目のとき、きっと同世代より給与は少ないし、関東圏だったら生活は成り立たないだろうけどここでは十分成立するので問題なし、と判断した記憶があります。収入は自分が生きようと思う場所で、自分に必要な最低ラインを見極めることができたら怖くないかなと思います。足りなければ副業で稼げばいいし、ルームシェアで出ていくお金を減らしたりしてもいいし、その間スキルアップして次のステップに進めばいいだけです。自分の生活に必要な最低限のラインを見極めれば、やりたいことを軸にして何をやっても生きていけると思います。ここでの暮らしは、自分が稼ぐお金のことより、子どもたちの未来のことを考えられるのでとても幸せです。」としっかりとした口調でゆっくりと考えながら話してくれました。
やりたいこと、やりたくないことがはっきりしていると結城さんはいいます。一本しっかりしている。やりたいことに向かって軸があればいい。やりたいことの活動の場が鶴岡だったからここでの暮らしを始めたという結城さんの活動はこれからも続いていきます。
(平成27年7月27日インタビュー 写真・文 俵谷敦子)
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