鶴岡市に移住した人々の日常を、リアルな体験談とともに紹介する“鶴岡市移住インタビュー”。今回は、定年退職後に東京から移住した小林夫妻にお話しを伺いました。
プロフィール
小林 政志(こばやし まさし)さん
北海道札幌市出身。1949年生まれ。
大学進学を機に上京し、卒業後は老舗食品メーカーの新宿中村屋に就職。役員に就任後、70歳で定年退職。日本山岳会に所属し、会長を務めたこともある山のプロフェッショナル。
妻・けいこさんとともに、鶴岡市へIターン移住した。
小林 けい子(こばやし けいこ)さん
山形県鶴岡市出身。1953年生まれ。
上京後、職場で夫・政志さんと出会い社内結婚。料理や器が好きで、「茶懐石宗紘流」師範の資格を持つ。
母の介護のため、鶴岡市にある生家にUターン移住した。
けい子さんが生まれ育った鶴岡市で、セカンドライフのはじまり。
Q 鶴岡に移住したきっかけを教えてください。
けい子さん
東京都調布市の自宅を売却して、2021年10月に鶴岡へ戻ってきました。現在は、生まれ育った家を全面的にリフォームして、夫と母の3人で暮らしています。
10年ほど前から、色々な選択肢を考えながら過ごしてきました。母は今年で91歳になるので、移住前の数年は様子を見に月に1、2回通っていました。そんな生活が続き、夫の定年をきっかけに移住を決めました。
Q 移住に対して迷いはありましたか?
けい子さん
娘家族も友人も東京にいるので、移住するべきか迷いながら越してきました。
政志さん
結婚してから何十年も、お盆や年末には家族で帰省していたので、鶴岡がどのような場所かは知っていました。ですが、移住に際して “長く活動してきた日本山岳会の仲間たちとなかなか会えなくなってしまうのではないか”という点には不安を感じていました。
Q 移住にあたり、困ったことはありますか?
けい子さん
移住を決めて、まずは築50年程の家をリフォームをすることに。
政志さん
工事は5月に始まり、9月末で終わる予定だったのですが、ウッドショックの影響で引越し予定の10月になっても終わらず、調布市の家はすでに売却済みで…。完工までの半月ほどホテル住まいを経て、ようやく入居できました。
けい子さん
移住した当初は想定外の出費がかさみ大変でした。垣根の木がずいぶん高くなっていたので、剪定などの環境整備で、これまでの生活とは異なる支出がありました。また、冬になり除雪機の購入を検討していたのですが、売り切れだと言われてしまい…。1年前から予約が必要なんだそうです。」
政志さん
除雪機がなかったので、最初の年は人力で頑張りました。その後、ご近所の方に借りられることになり、購入は見送りました。
けい子さん
そのかわりに、うちでは耕運機などを貸し出しています。雪への対策を考えていなかったので、とても助かりました。
「日本百名山」が2つも見える。山が好きなら、きっと気に入る鶴岡の景色。
Q 実際に暮らしてみて、いかがですか?
けい子さん
この土地の良さを改めて実感しています。夜には街の灯りが見えて、少し行けば、夏の赤川花火大会も見える。食べ物はおいしいし、環境もよく、とても住みやすいです。
長年離れて暮らしていた学生時代の同級生との嬉しい再会もありました。清掃会社を営む友人が窓掃除を手伝ってくれたり、月山筍の収穫と合わせて歓迎会を企画してくれたり。友人たちの存在を有り難く感じています。
政志さん
不安視していた山の会での交流も、山形支部の方々と新たな出会いがあり、一緒に山へ行ったりスキーをしたり。東京から日本山岳会の会員の方が遊びに来てくれたこともあります。わが家に泊まって、月山に登って。山の活動を通して交友関係が広がっています。
庄内の景色が好きなので、いつも自転車で走り回っていますよ。春に咲く馬渡の桜も好きですし、何より日本百名山が2つ見えるのがいいですよね。
畑で採れた、旬の食材をたのしむ日々。
Q 移住してよかったことはありますか?
政志さん
妻の実家がもともと農家なので、その土地を生かして新たに野菜づくりを始めました。毎日、3人では食べきれないほどたくさんの夏野菜が収穫できるんです。時期をずらして植えていますが、それでも量がどっと採れる。
けい子さん
採れたてのインゲンでつくる天ぷらや、ミニトマトを煮込んだソースは絶品です。まだスペースがあるので、鶴岡市移住者交流会で出会った家族にも畑を貸し出しています。畑づくりのお手伝いをしながら、仲を深めていますよ。今度は、一緒にお酒飲みましょうって。畑の収穫祭として、庭先でのバーベキューもいいねと話していました。
Q 今後、鶴岡でやってみたいことはありますか?
政志さん
やっぱり、人生は楽しまなくっちゃ。
これから、庭にピザ窯をつくる計画をしています。夏休みには子どもが孫を連れて遊びに来るので、みんなで楽しめたらいいなと。
けい子さん
娘がパンを作るので、ピザ窯が出来るのを楽しみにしているんです。それから、敷地内の竹林から竹をとって、流しそうめんもしたいと計画中です。私たちには2人の子どもがいるのですが、離れて暮らしていても、こうしてお父さんにやりがいを与えてくれる。遠くにいても、心配しながら、気にかけてくれているのを感じています。
母が高齢になったことをきっかけに鶴岡に帰ってきたので、先々の不安 や、苦労がふと頭をよぎることもあります。それでも、主人は常に前向きで地域への興味や関心が強く、これまで通り山の会での交流もあり、今は本当に安心しています。
この家にはまだ活かしきれていないお座敷があるので、活用出来ないかと前向きに検討中。また、これまでの経歴を生かして茶懐石の提供や、教室もやってみたい。今を楽しみながら過ごしていきたいですね。
日々を楽しむアイディアが、暮らしを明るく照らしてくれる。小林夫妻の素敵な鶴岡ライフは、2周年を迎えようとしている。
この記事を書いた人
すずき まき
神奈川県横浜市生まれ、2020年春に山形県鶴岡市へIターン移住。同年、本格的に写真活動を始める。写真や文章を通じて、移住生活で変化していく視点や感情を表現。庄内で見つけた「光」を映す。