№13 趣味が高じてはえ縄漁へ~年をとってからは服屋より漁師の方がカッコイイ!?~

今回のインタビューは、2011年に鶴岡市にUターンし、新しく漁業を始めたという五十嵐健生(いがらしけんき)さんにお話しを伺いました。

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( 写真提供 : 五十嵐健生さん )

五十嵐さんは鶴岡市あつみ温泉のご出身。高校卒業当時は、一人に対して求人が2,000件もある時代で、高校の先輩の誘いもあり上京を決意、5年間大手運送会社に勤めました。荷物の積み下ろしの仕事からはじまり、整備士免許を取得、自社車両の整備もしていました。「手が汚くなる整備の仕事は、趣味にはいいのですが自分には合わなかった。でも、そのときの機械整備の仕事のおかげで、自分の船の整備もできるので、その経験は今に活かされてます」と五十嵐さんは振返ります。

アパレル時代イベント

(アパレル時代イベント 写真提供:五十嵐健生さん )

「東京にいた当時、好きでよく通っていたサーフボードやスノーボードのお店の店長と仲良くなり、『こんな店やりたいなあ』と言ったら、『お金を出してあげるからやってみたら』と言われ、1997年に鶴岡へUターンを決意、スノーボードと洋服のお店をその年の秋にオープンしました。ちょうどその年に結婚もしました。また、さらにその3年後には山形市のセブンプラザへの出店をすすめられたこともあって、家族で山形市へ引っ越し、移転後は洋服をメインに2010年までそのお店で働きました」。

( バラマンディーと 写真提供 : 五十嵐健生さん)

タイピラルク

 

( ピラルクと 写真提供:五十嵐健生さん)

漁業を始めようと思ったきっかけは何ですか?

子どもの頃から釣りが大好きだったいう五十嵐さん。東京に住んでいるときも毎週のように、ブラックバスをもとめて霞ヶ浦、千葉、茨城と車を走らせました。釣りのためなら海外にまで出かけていたとか。フロリダバスを釣りたくてメキシコへ行き、67センチのフロリダバスを見事釣り上げたことも。また、バラマンディー(日本でいう赤目)を釣りたくてオーストラリアへは2回行き、ジャイアントトレバリーも釣りました。メコンナマズを釣るためにタイまで出かけたこともあったそう。
「釣りってなにが楽しいのですか?」と伺うと、「とにかくひきが楽しいんや。ルアーで魚を騙して釣るとこが面白いんだよ。女性と一緒だ、釣れたら嬉しいぞ」そう笑顔で五十嵐さん。

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(ジャイアントトレバリー 写真提供:五十嵐健生さん)

鶴岡で新しく店をはじめてからは、秋田県の八郎潟まで釣りにでかけました。お店が昼からの営業だったので、夜中に釣りに出かけ仕事の前までには戻ってきます。山形市にお店を移転してからも、長さ19フィート、200馬力のバスボートを購入し八郎潟に駐艇させていました。「一日遊ぶとガソリン代が1万円もかかるし、冬はさすがに釣りもできない。でもよく考えてみたら、海釣なら1年中釣りができるとわかったんだな。それからいろいろ船を探して、やっとみつけて、ここ由良の港で海釣りデビューをしました。そしたら沢山釣れちゃったんですよ。これが嬉しくてね。イナダやタイなど釣った魚は持ち帰って山形で買ってもらったりしました。ただ、月に3回も4回も通うようになると、高速代など交通費もかかるので馬鹿臭いと思うようになりました」。
この頃から、五十嵐さんは、アパレル販売より漁業のほうがいいなと思い始めました。

八郎潟

(八郎潟にて 写真提供:五十嵐健生さん)

どのようにして漁業を始めたのでしょうか。

「はじめは、漁師にどうやってなるか全然わかなくて、酒田市にある山形県漁業協同組合に電話したり、堅苔沢で漁師をしている友だちがいたので、いろいろ聞いてみたんですが、その港、港で漁師になる方法が違うということがわかったんです。鶴岡には港が沢山あっって、その港によって違うので、とりあえず研修したほうがいいとアドバイスを受けました。そこで、酒田にある山形県庄内水産振興課に相談したところ、山形県就業者確保育成協議会からちょうどその頃、鶴岡市の漁業後継者育成事業(山形県緊急雇用創出事業臨時特例基金事業業務委託)を紹介してもらい、それに申し込むことにしました」。漁業後継者育成事業とは、一本釣り漁業等の後継者育成を図るため、失業中で漁業就業を希望する者を7か月間雇用し、この間、漁業者として生計が立てられるための漁業技術及び漁家経営の知識を研修させるものです。

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(研修中にとったイシナギと 写真提供:五十嵐健生さん)

「しかし、なかなか受け入れてくれる親方がいなくて半年ほど待つ羽目になりましたが、この育成事業を通じて、月13万円位助成金をもらいながら半年間温海の小岩川で研修しました。

その後、実際に漁師としてスタートする際には、様々なご縁もあって、ここ由良の地を選ぶことにしました。漁師として認めてもらうには、まず由良漁協の総代会で、審議にかけてもらうんです。世襲でないときは総代会で皆に認められた人だけが入れるんです。そこでだめだと言う人もいるんですよ。ここで生まれたわけでもないのに、急に来られても困ると言われることもあるそうなんですが、『自分は由良に引っ越しもして頑張るからどうぞよろしくお願いします』といって承認してもらいました」。

 

由良マグロ

(由良のマグロと 写真提供:五十嵐健生さん)

実際に漁師を始められるときは、大変ではなかったですか?

「庄内浜では1年のうち、船をだせるのは150日程度で、8月から2月までの半年間の研修期間で、時化(しけ)以外でどのくらい海にでたかなぁ」と五十嵐さん。「単純計算ですが、半年間だとさらにその半分。自分ははえ縄漁ですが、現場研修以外はほぼ道具の手入れでした。研修も半年やったくらいでは実際はなかなか独り立ちできないのが現実ですね。最近では研修期間が1年になりました。同級生が今研修を受けています」。

「研修期間修了後、いきなり船を持つことにしたんですが、ちょうど自分で漁を始めた2011年に東日本大震災があり、福島県相馬市から購入する予定の船が津波で流されてしまったんです。そこで購入できる船がみつかるまでの数ヶ月間、鶴岡市豊浦の造船所で働きました。ようやく別の船を飛島から譲ってもらうことになり、漁師としてスタートしてから、今年の夏でまる5年になります。妻には実は漁師を始めるときに『本当に大丈夫?』と心配されました」。


「自分はもともと小型船舶5級(現在の制度では2級)の資格を持っていたので、1級をとるため2日間の講習と試験で取得できました。費用は当時。ステップアップで9万円かかりましたが、普通に取得するには15~6万円ほどかかると思います。さらに船の操縦には無線の免許も必要です。講習を受講して試験を受ける人もいますが、自分はテキストを購入して独学で取得しました」。

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漁師になってみて率直な感想をお聞かせいただけますか?

「楽しくてしかたないです。そして正直、こんな楽な仕事あったのかと思いました。年間150日しか働かなくていい。200日は時化で休みになるので暇で仕方ないんですよ。これを仕事と言っていいのかと思いました。休みの日は釣り道具の手入れや船の整備をしますが、これも自分にとっては趣味みたいなものだから苦にもなりません。漁師は実質労働時間の割に稼ぎがいいと思います。もちろん船の維持費もかかり出て行くお金も大きいですが。最初は洋服販売がかっこいいと思いましたが、年をとってからは子どもに服屋より漁師の方がかっこいいと言われるなと思いました(笑)。会社務めは5年しかしなかったので、人からつかわれる仕事は自分で無理だなぁと思ったので、今、本当に漁師をやってよかったと思っています。
あと、漁師は生涯現役を貫けるのがいいですよね。米子港は30代後半から40代の若い漁師が多いのですが、ここ由良港では、2.9トンの船で一人でやっている中では自分が一番若く、82〜83歳の方々が一人で海に出ていますし本当に元気なんです」。

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最近、「庄内おばこサワラ」についてよく耳にしますよね?

「そうですね。庄内では今、『庄内おばこサワラ』に力を入れていて、小さなサワラを釣ったら、すぐタグを付けて放すようにしています。これは回遊ルートを調べるためのタグ&リリースです。今までは、サワラがどこから来て、どこに回遊していくかわからなかったのですが、この調査のおかげで、タグをつけたほとんどのサワラが、新潟の東港にとどまっていることが分かってきました。それまではもっと南下しているだろうと思われていたのが、実際は年中その辺を泳いでいた訳です。最近温暖化で魚の種類がかわったとよくいわれますが、個人的にはそれは道具の進化によるものではないかと感じています。サワラはもともと表層付近で泳いでいたと思うのですが、以前は糸も強度のあるものを使用していなかったため、サワラのように歯が鋭利な魚が相手だと糸が切れて釣り上げることができないでいたのだと思います」。

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これからやってみたいことはありますか?

「高鮮度の魚を生産したいです。釣れた魚に付加価値をつけて売るのです。「庄内おばこサワラ」は神経を抜いていて、1週間は刺身で食べられ、特に4〜5日目が一番美味しいと言われています。これは科学的にも裏付けされている事実です。3日あれば世界中どこにでも魚を届けることができますからね。このやり方を生かして、『庄内おばこサワラ』だけでなく他の魚種でもやってみたいと思います。高鮮度の魚を生産して世界の和食ブームに乗せて海外に魚を届けたいです」。

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大好きな釣りが高じて漁師という職業を選択した五十嵐さんは、これからもずっとはえ縄漁をしていくといいます。「漁師は仕事がきつくて大変」というイメージとは反対にこんなにも楽しく漁師をしている五十嵐さんの笑顔が印象的でした。

(平成28年2月9日取材 文•写真 俵谷敦子)




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