№19. お互いのベクトルを確認し合いながら決めたUターン

今回の移住者インタビューは、2016年3月に茨城県つくば市から鶴岡市へUターンした佐藤高彦さん、涼子さんご夫妻にお話しを伺いました。

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(月山山頂にて 写真提供 佐藤高彦さん)

鶴岡市生まれの高彦さんは、高校を卒業し北海道の大学へ進学しました。田舎の不便さに中学生の頃から、高校を卒業したら鶴岡から出たいと思っていました。北海道は広々として憧れていましたが、実際に住んでみると、鶴岡より寒く降雪の多い冬は厳しいと感じ、就職は東京にすることにしました。いきなり都内に住むのは不安だったという高彦さん、関東の玄関口と言われていた埼玉県さいたま市大宮区に住み、そこから都内の職場まで1時間半ほどかけて通っていました。建設業の総務経理の仕事を鶴岡にUターンするまで10年間続けました。

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(写真提供 佐藤高彦さん)

一方涼子さんは、東京都の出身。中学生のときから「宇宙」に興味があり、高校を卒業し千葉県の大学へ進学しました。物理や宇宙の研究に没頭していた涼子さんは、宇宙に関わる仕事がしたくて、宇宙関係の会社と取引のある会社に就職しました。しかし実際の仕事内容は営業事務であったため、4年勤務した後に退職し、宇宙に関わる仕事を探していました。
そんなとき、お互いの共通の友人を通し、高彦さんと出会い結婚。その直後の2013年に涼子さんは念願の宇宙関連の仕事に就くことになり、涼子さんの職場のある茨城県つくば市へ二人で移住します。高彦さんは、つくば市から都内の職場に通勤することになったわけですが、意外にも職場まで1時間半ほどで行け、なおかつ始発だったため座って通勤できるので、大宮に住んでいた頃よりもむしろ楽に感じたそうです。しかし、交通費は半年でなんと24万円!全額支給してもらっていましたが、ことあるごとに会社の社長からいろいろ言われたそうです。

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(筑波山にて 写真提供 佐藤高彦さん)

結婚後は、ゴールデンウィーク、お盆、お正月休みなどのたびに、高彦さんは涼子さんを連れて鶴岡の実家へ帰省していました。夏は出羽三山や加茂水族館、冬もスワンパークへ行ったりと、実家の両親と一緒に庄内を満喫していたといいます。高彦さんに出会うまで、鶴岡がどこにあるかもわからなかった涼子さんですが、訪れるたびに庄内の良さを実感していったといいます。ただ冬の地吹雪や実家のすぐ前の海から見る荒波や波の花にはびっくりしたそうです。

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(波の花 写真提供 佐藤高彦さん)

◎鶴岡に帰ろうと思い始めたきっかけは?

結婚して3年くらいたったある日、「鶴岡に帰ろうと思うんだけど」と告げた高彦さんに、「いいよ~」と即答した涼子さん。2015年9月のことでした。どこかで、そう言われるのを待っていたのかもしれないと涼子さんは振り返ります。
2013年からJAXAの関連企業で念願の宇宙に関わる仕事をバリバリやっていた涼子さんでしたが、実際の仕事は、3交代でハードな仕事でした。3日連続夜勤という日もあり、1週間くらい高彦さんと会わない日もあり、すれ違いの生活が続きました。結婚した当初はまだ鶴岡に帰る気持ちはなかったという高彦さんでしたが、どこに根をおろすかと考え始めていました。

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(JAXAつくば宇宙センターにて 写真提供 佐藤涼子さん)

涼子さん自身も大好きな宇宙の仕事だったので充実していた反面、体力的に長く続けられる仕事ではないと感じていました。将来のことを考えるとこの状態では子供も望めないし、何より子育てができないと思いました。その頃の涼子さんのお仕事は、国際宇宙ステーションで行う実験の管制官という責任の重い仕事だったそうです。
一方高彦さんにも、33歳になり家も建てずにこのままでいいのかという迷いもあり、今後のことを考えたところ、鶴岡に思いきって帰ろうと思いました。年に2~3回休みの度に帰省していた高彦さんに、涼子さんも気遣い「帰らなくていいの?」と聞いてくれていたので、鶴岡に帰ることを、きっと受け入れてくれるだろうと高彦さんは確信していました。

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(JAXAつくば宇宙センター 写真提供 佐藤高彦さん)

◎帰るために準備したことはありますか?

帰ると二人で決めてからは早かったですね。と高彦さん。お互いにインターネットで検索し前略つるおかに住みマス。に辿りついて、見ていたんですよ。そこで、有楽町の交通会館にある「ふるさと回帰支援センター」で開催された庄内のハッピーライフカフェのイベントを知り、二人で参加しました。そこで市の担当者に会えたのがよかったです。情報もたくさんもらえてよかったといいます。
二人で最初にやったことは、それぞれ仕事の引き継ぎもあったので、移住する日をまず決めました。逆に決めないと帰れないと思ったからです。それでもやはりお互い仕事を辞めるのはいろいろ大変でしたが、二人で同じ方向を向いていたので、毎晩のように「ああだよね、こうだよね」とお互いのベクトルを確認しながら、移住に向け着々と準備を進めました。でもいざとなると鶴岡に帰ることを高彦さんは不安だったといいます。

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(油戸漁港からの夕日 写真提供 佐藤高彦さん)

それは、最先端の仕事をしていた涼子さんが、田舎にきて次の生活のビジョンを思い描けるのか、心配だったからです。でも涼子さんは、高彦さんの心配をよそに鶴岡に行ってもやりたいことができると思っていました。宇宙関係からは離れたくないという思いがあったので、鶴岡で何ができるかと考えました。そして、鶴岡は農業が盛んなので火星での農業を目指して、まずは農業をやってみたいと思いました。
高彦さんは鶴岡市のワークサポートルームへ求職の登録をして、飯田橋のハローワークに行き、その後、鶴岡で面接を受けすぐ仕事が決まりました。2016年3月二人は、高彦さんのご実家のある鶴岡市油戸へ移住しました。

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(鶴岡ナリワイプロジェクトの仲間と 写真提供 佐藤涼子さん)

◎実際移住してどうですか?

高彦さん:10年間同じ会社に勤めて、初めての転職だったので不安はありました。職場の業種は変わりましたが、仕事内容は今までとそれほど違いがないので、あまり苦労はしていません。また、通勤路は海沿いを走り、鳥海山・月山を眺めながら行く絶景コース、30分で着くので、東京で働いた頃のようなストレスはありません。

涼子さん:来た当初は、孤独を感じていて喧嘩もよくしました。方言がわからなかったのですが、始めは「わからない」と言えませんでした。今では、わからなくても面白がってもらえるとわかったので、わからないときはわからないと言えるようになりました。来て間もない頃は、知り合いもいないし、若い人もいないと思ったので、移住サイトで鶴岡ナリワイプロジェクトのことを知り、説明会に参加しました。移住者だけでなく、地元の人とも知り合いになれてよかったです。ここで初めて鶴岡での友達ができました。

高彦さん:先輩移住者の声は参考になりました。不安だと思っている人も多いので、自分が今度はその人たちの参考になれたらいいと思います。そういった意味でも移住者のネットワークは必要だと思います。

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(宇宙に関するイベントを開催する涼子さん 写真提供 佐藤涼子さん)

◎涼子さんの今のお仕事は?

涼子さん:こちらに来てから、人の繋がりで仕事を紹介してもらい、東京のレストランへ庄内の野菜を発送する八百屋さんで働いています。一番は、やはりいつか火星で農業をやりたいと思っているので、まずは農業に触れるために、県の農業の講習にも参加しました。まだ農業には関われていないのですが、火星での農業を目指して働いていきたいです。また、鶴岡ナリワイプロジェクトに参加したことで始めた、宇宙に関するイベントも細々と実施しています。こちらについても、もっと定期的に実施し、庄内の方々に宇宙を身近に感じて欲しいと思います。

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(大漁フェスティバルにて 写真提供 佐藤涼子さん)

◎休みの日はどのように過ごしていますか?

高彦さん:家のことをやったり、出かけたり、あとは地元の社会人チームに所属しているので、サッカーやフットサルをしています。また、地域の行事があるときにはできるだけ参加しています。

涼子さん:家のことや地域のイベントに参加しています。今いる地区は60戸くらい。顔をだすと歓迎してもらえます。最初は運動会に参加しました。その後、加茂水産高校の大漁フェスティバルにも参加しました。地域の人が、練習して本気でソーラン節を踊るんです。そのことで地域の人との繋がりも深まったと感じています。その後も2か月に一度くらいある地域のイベントには参加しています。地域には20代後半から30 代の若い人もいますが、全員地域の行事に参加するわけではありません。また、同世代の女性だけで講を組み、年に一度羽黒山にお参りにも行きます。このような地域の行事に参加できるのは、実は高彦さんのお母さんがいろいろ教えてくれるからです。お母さんに土台を作ってもらっている感じです。同居しなきゃ鶴岡に来れなかったと思います。何もわからないので、同居して教えてもらえるのが助かります。

高彦さん:地域にはそれぞれのルールや風習があると思います。それを移住者側から積極的に関わっていこうとするか、受け入れ側が体勢を作っていくかは難しい問題だと思います。ただ、僕自身は県外に出て鶴岡の良さを再認識して帰ってきたので、閉鎖的で不便な田舎にならないように移住者の助けや地域の活性化に繋がるような働きかけをして行きたいと漠然と考えています。具体的なアイディアはまだ何もありませんが…

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(自宅近くの浜辺で 写真提供 佐藤高彦さん)

◎これからどのようにして暮らしていきたいですか?

高彦さん:自分は定職について安定した仕事をする生き方が合っているので、引き続きこの仕事をやっていこうと思います。プライベートでは、夏は海で泳いで、冬はスノボーなど自然と戯れ楽しみたいです。

涼子さん:仕事は宇宙に関することをどんどんやり、プライベートは大自然溢れる鶴岡を楽しみたいです。

◎移住を考える人へのアドバイスがあれば教えてください。

高彦さん:それぞれの季節に何度か訪れておいた方がいいと思います。特に、冬の厳しさは独特のものがあり外部の方には想像がつかないと思うので、実際に体感してもらったほうが良いと思います。また、移住について夫婦で何度も話合う中で、お互いが同じ方向を向くまで、とことん話し合った方がいいと思います。


涼子さん:移住してから地域に溶け込むのは、庄内に縁がない方でもできるということを伝えたいです。
高彦さん:Uターンして思った通りの生活の7~8割はできているので、帰ってきてよかったです。

やりたいことをバリバリやり、いつも生き生きとしている涼子さん。それを優しく支える高彦さん。とても仲が良く素敵なご夫婦でした。

(平成28年11月14日 インタビュー)




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