鶴岡市に移住した人々の日常を、リアルな体験談とともに紹介する“鶴岡市移住インタビュー”。今回は奥様の転職をきっかけに東京からIターンした魚本家に、4人のお子様との暮らし方、働き方についてお話をお伺いしました。
プロフィール
魚本 大地さん
1984年神奈川県川崎市出身。
早稲田大学大学院を卒業後、都内の設計事務所にて勤務。2018年妻の転職をきっかけに東京・鶴岡の2拠点生活を始める。以降、住まいの拠点を鶴岡に置きながら全国各地へ出向くワークスタイルを実践中。
魚本(長尾) 朋子さん
1985年神奈川県川崎市出身。
東京学芸大学大学院修了。移住前は東京都内で子どもたちのミュージアムデビューを応援する「ミュージアムスタートあいうえの」の立ち上げに携わる。2018年春、Spiber株式会社(以下「スパイバー」)が運営する「やまのこ保育園」に参画するため、当時3歳の長女、1歳の長男、自身の3人で鶴岡市へ移住。現在は園長を務めながら4人の子ども、夫と6人で鶴岡暮らし。
「チャレンジングな方」を選択した鶴岡暮らし
―鶴岡に移住するきっかけを教えてください。
朋子さん
スパイバーが新しく「やまのこ保育園」を立ち上げて開園から間もない頃に知人を通してリクルートのお話をいただきました。
振り返ると、東京にいた時は子どもの環境を考えた「保活」ではなく、自分たちの仕事を継続させるために預けるという発想でした。保育園を選ぶ感度を自分自身あまり持っていなかったのだと思います。激戦区で選べる状況でもない、というのが大前提にあったと思うんですけど。そんな中で「やまのこ保育園」の挑戦とプロジェクトに惹かれて、2017年の秋に家族で初めて鶴岡を訪れました。
―鶴岡のはじめての印象はどうでしたか。
朋子さん
田んぼ道をレンタカーで走ると横が真っ暗で海みたい、怖い!というのがすごく記憶に残っています。それと決断というか…。もし行くなら家族全員一緒ではなく母子での移住になるかもしれないということや、引き受けるものの大きさを感じて、最初は楽しい印象は全くなかったです。
大地さん
農家民宿の「菜ぁ」さんに泊まったんですけど、その時に雪が降っていたことと、ご飯が美味しかったという、その2つが印象に残っています。東京生まれの当時2歳の長女は、ごはんを積極的に食べなかったんですけど、その時は白いごはんをぱくぱくと食べていて。だからご飯が美味しいところだなと思いました。
―鶴岡移住の後押しになったことはなんですか?
朋子さん
子どもが保育園で過ごす時間や出会う大人、食べる物や肌に触れる物、そういう「やまのこ保育園」の保育の質や魅力そのものが決断につながったと思います。また、私自身、子どもを育てる包摂的なコミュニティや社会をつくる仕事を、この挑戦的で本質を問い続けるようなチームでしてみたいという気持ちや、仕事と暮らしが地続きな環境にシフトしたいという気持ちもありました。
ただ、家族が離れ離れになることに関しては子どもに対してベターを提供できるイメージを具体的には持てずにいたところで、夫から
「朋子が自分の思想や思いに沿った仕事や暮らしが別の場所にあって、それをやってみたいのであれば、全面的に応援したいと思っている」と伝えられて、母子での移住について、心も感情も大揺れながらも検討を進めました。
私たちは結婚当初から「自分たちなりの家族の形をつくっていく」と、結婚生活自体をプロジェクトであり試みだと思っていたことも、怖いけれどもやってみようという原動力になりました。
東京に住んでいた頃は子どもが同じ保育園に入れなくて、自転車でそれぞれに登園して、その後に満員電車で通勤して、帰宅も2つの園に迎えに行って、夫は仕事で遅く平日夜はほぼワンオペ。と、一生懸命生活をしていたんですよね。それが来年も再来年も同じように大変なら、新しく、そして子どもも私も本質的なチャレンジをする大変さの方を選択しようと、12月には決断して春に移住しました。
―大地さんが移住するタイミングはいつでしたか。
大地さん
2018年から2020年までは東京ベースで、「鶴岡に来る」という感じでしたが、コロナ以降はリモートワークが社会的に普及したこともあり、鶴岡を拠点にしています。その後2023年春に東京で住んでいたマンションを住み変えるタイミングで、鶴岡に住民票を移しました。今も頻繁に東京との行き来がありますが、拠点をどちらにするかで生活は結構違うなと思いました。
朋子さん
移住前は東京が夫の家だったんですよね。だから子どもたちは夫が東京に行くことを「いつ(東京に)帰るの?」と表現していました。今は鶴岡から東京に出張に「行く」、帰るのは鶴岡というのがだんだん定着してきて、子どもたちの精神安定にもつながったと思います。帰る場所が家族皆同じというのは意味が大きいです。
―鶴岡移住後の変化や良かったことを教えてください。
朋子さん
今の家には2畳くらいの庭があるんです。そのちっちゃな庭が凄く嬉しくて。コンポストを置いて、小さな家庭菜園で収穫した野菜を食べています。また山形大学農学部の市民農園を借りて、畑のある暮らしをしています。
やまのこ保育園の影響を受けて、山も海も畑もガーデンも、全てが循環の中にあるような暮らしに年々なってきていて、ここ数年、細胞、からだ、生命の部分がすごく元気になったと実感していて。それって私たち家族にとって、すごく幸せなことだなぁと思います。
大地さん
僕は以前からキャンプが好きでしたし、山登りや釣りなどもしていました。ただ、東京に住んでいると海や山が物理的にも心理的にも遠いんだけど、鶴岡に住むと厳しくも美しい自然がとても近くなったっていうのが一番大きな変化かな。
住まい探しの基準は「雪対策」ファースト
―転入する前に鶴岡についての暮らしの情報や住まい探しはどうしましたか。
大地さん
ネットで情報収集して現地で家をみて、そのまま決めました。良いとか悪いとかよりも、雪対策がされているかどうかを優先しました。
―現在は中心地にお住まいですが、選んだ基準はありますか。
大地さん
郊外の家も見たんですが、公共施設に子どもが単独でアクセスできる場所が良くって。図書館やプールや映画館、公園や学校にも歩いて行ける。そんな環境が良くて現在の場所を選びました。
朋子さん
夫が出張中は母子だけの生活で、しかも子どもが小さいので今は便利さを重視しています。アートフォーラムや鶴岡公園、劇場、好きなパン屋さんなど、徒歩や自転車でアクセスできるのが嬉しいですし、車送迎の必要無く子どもも行こうと思えばひとりで出掛けたり、おつかいなどにも行けますし。学校・保育園・職場が学区内(徒歩圏内)なのも決め手です。
地方は子どもの送迎がマスト!?にびっくり
―移住されてから困ったことやギャップを感じたことはありましたか?
朋子さん
小学生になっても、習い事などの送迎に親の力が必要なのが今直面している一番のギャップですね。私たちはふたりとも神奈川県川崎市育ちで、小学生になったらバスや電車、自転車で習い事に一人で行っていた経験しかなかったので。
大地さん
都市と地方のギャップはもちろん色々感じているんですが、そういうものだと思っています。ただ、妻も言うように、東京では子ども一人で色んなところに行くんですが、鶴岡では学区外は自転車に乗れないというルールがあり驚きました。
朋子さん
それから、ミュージアムに勤めていた身としては、文化芸術に触れる機会が減ったと思います。以前は東京都現代美術館の近くに住んでいたので、散歩先として美術館があり、ダンスや音楽の舞台鑑賞などにも子どもたちとよく行っていましたね、こっちでいう海みたいな。
大地さん
コンテンツが入れ変わった感じですね。東京在住時は、映画や舞台、美術展など年間100本近く観る生活でしたが、自然がそういうものの代わりになったような気がします。それをネガティヴとは思ってないですけど、東京には人が生み出した美しいものがあって、一方で鶴岡には自然の美しさと厳しさがあるなと感じています。
右:自然のみならず精神文化など、そういう本物には出合っている。「自然も芸術も、丸ごと味わって感覚を開いて感受性を刺激するもの、という点では同じだったんだな」と朋子さん。
魚本家の暮らしを支える支援の手、アレコレ
―暮らしの中で支援などを活用していますか。
朋子さん
ファミリーサポートセンターや、市の産後サポート事業を利用しています。家事支援対象と認定いただいたので4人目の産後は、夫の育休復帰後に週1回ごはん作りをヘルパーさんにお願いし、今は家事代行サービスに週1回掃除を頼んでいます。
あと、両親とも夜の会議がある時には子育て世代のお隣や、登校班が同じご近所さんに夕飯を一緒に食べさせてもらったり、今はベビーシッターにも来ていただいています。私たちだけでというよりは地域の方や公共サービス、民間の家事支援などあらゆる手を貸していただきながらの暮らしです。
―移住支援金の対象になられましたが、支援があるというのは実際どうですか?
大地さん
支援の対象になったのは僕だけなんですが、鶴岡に荷物を持って来るのに東京と何往復もしたし、ちょうど子どもが増えて車を変えたので、移住支援金はすごく役に立ちました。それから味噌と醤油と米の移住者プレゼントもとても良かったです。
「自然」を受け入れるということが物を考えるベースになるのでは
―Iターンする方に伝えたい事はありますか。
朋子さん
子どもを育てる環境として鶴岡はすごくはいいと思う。山も海もあってオススメです!特に春夏秋冬がはっきりしていて食も遊びも季節によって変化して、全身で四季を味わえます。暴風雪警報が発生しても学校に集団登校をする姿があったりとか(笑)。
大地さん
雪が横から降ってる!とか(笑)。
朋子さん
自然と共に生きることで、結果、自分も自然の一部なんだなっていう感覚が育まれてくると思います。食べる喜び、美味しいっていう喜びに、子ども時代に出合えるのはすごく大きいと思います。一生物だなと。
大地さん
自然の話でいうと、自然と共にあるという表現もそうなんですけど受け入れる体が自然に形成されるというか。都市生活では自然は人間がコントロールできるものという感覚をどこかで持ってしまいがちですが、そうじゃなくて、自然は勝てるものではなくて、受け入れるものだという感覚が身につくこと、それはすごく大きいと思います。ものごとを考えるベースになるような気がします。
歩いて楽しめる街や、鶴岡の魅力をシェアする場作りができたら
―今後やってみたいことはありますか 。
大地さん
僕は鶴岡をもっと「歩ける街」にしたいです。祭りのようなハレの場にはすごい人が集まるじゃないですか。その1/100でもいいから日常的に街に人が歩いている姿が見られると街の景観が全然違うと思う。そうなるように荘銀タクトや、図書館、お店などを周遊できるような気軽に歩けるコンテンツや空間作りなどを働きかけられるといいなと思います。
朋子さん
よく「なんもねー」っておっしゃる地元の方がいらっしゃるんですけど、私はすごく「なんもなくないよ」と思うんですよね。私が庄内に来て良かったなと思ったのは、身近にものすごく美しいもの、美味しいものがいっぱいあること。それを分かち合うことが出来る場所の設定や、働きかけをしたいです。そして今は年10回くらいしか行けていませんが、これは見たい!と思う展覧会や公演が庄内でもあるので、そういう時に、周りの庄内の子どもたちが作品と出会う機会をぜひつくりたいなあと思います。
第三子、第四子は鶴岡に来てからご出産された魚本ファミリー。「東京に住んでいたら子どもが4人にはなっていなかったです。間違いなく。」と断言。仕事も暮らしも楽しむことを諦めないで過ごすことができる。のかもしれませんね。
この記事を書いた人
Harvest 本間聡美
山形県庄内町出身。進学、就職で10年以上仙台の暮らしを満喫し、庄内―仙台の2拠点生活などを経て2015年庄内にUターン。現在は鶴岡市を拠点に企業などの広告撮影、取材撮影、文章制作などを手がけている。