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No.24-前編 起業するなら東京より地方で!そして世界へ

今回の移住者インタビューは2016年に東京都よりIターンしされた稲川琢磨さん(29歳)にお話しを伺いました。稲川さんは和歌山県生まれ、東京育ち。洋食に合う日本酒を開発し国内外で展開する会社を立ち上げました。

(写真提供:稲川さん)

稲川さん:母の実家が熊野古道の近くにある和歌山県新宮市で、海と山と川が全部あり、鶴岡に少し似ている所で、少年時代はよく母の実家に帰省して、野山を駆け回って遊んでいました。野山の風景に親しみながら育ち、海も山も好きだったので、鶴岡に来ることに対して一切違和感がなかったのかもしれません。

根底に残っているのは、子供の頃に五感で体験したこと。

稲川さん:間違いなくありますね。それがあったからこっちに来たいなと思ったんで。磯でカニとったり、山ではカブトムシ捕って幼虫育てたりとか、自然の豊かな場所の方が、東京にいるより好きでした。夏休みや冬休みだけではなく、週末も連れて行ってとお願いしていたように思います。親父もドライブが好きだったので、山梨までカブトムシ捕りに連れて行ってもらいましたね。懐かしいな。

 稲川さん:中学・高校は立教の付属だったんですが、僕、小学校の時、実は一番最初に池袋校に推薦だしてもらったんですよ。中学校は、複数あって、家から近い池袋校には行きたくなくて、1時間半かけて通学する埼玉県新座市の方を選んだんです。親も基本的に束縛はしないタイプなので自由奔放に中高時代は過ごしました。

(フランス留学のとき 写真提供:稲川さん)

稲川さん:もっと外に出て自分を変えたい、大学受験でワンステップ成長し、新しい世界を見たいと思いました。でも、第一志望の大学には合格できずに、相当凹み挫折を味わいました。そんな折、慶應の「ダブルディグリー」でフランスに留学できるプログラムを知り、それに参加しました。「ダブルディグリープログラム」とは、学位交換プログラムのことで、最初の2年間は慶應で、その後2年はフランスの大学、そしてまた2年は慶應に戻って、飛び級扱いで修士に入れるというものです。6年でフランスの学位と、慶應の修士がもらえるはずだったんですが、興味ある特定の分野とサッカーしかやらなかったので、フランスの単位は結局落としてしまいました(苦笑)。だいぶ怒られたんですけど、結局慶應の修士だけとり、命からがら卒業した感じでした。卒業後は、「ボストンコンサルティング」っていうコンサルタント会社に入って、2年過ごし、そこの会社辞めて東京の青山で起業したという訳です。

(フランス留学のとき 写真提供:稲川さん)

海外で暮らすと実感する日本人というアイデンティティー。

稲川さん:僕は起業したいっていう想いより、海外で暮らした時に、否が応でも日本人だなって思う瞬間が沢山あって、改めて日本に対するアイデンティティーを感じてきたんです。そういう中で、もっと日本のいいものが世の中に知られて、それによって幸せになる人がもっといるんじゃないかなと思い、それが何なんだろうってずっと考えてきたのですが、答えがなかったんです。

稲川さん:就職してからもずっとその答えを探していたんですが、就職して1年目の冬に、お給料が入ったので寿司屋に行ったんです。そこで飲んだお酒が凄くフルーティで美味しくてびっくりしたんです。その頃日本酒と言えば、体育会系の部活だったので、飲みつぶすために飲むようなお酒しか知りませんでした。雷がドーンと落ちた感じで、「日本酒だ!」と思いました。「自分もこれを作ってみたい、もっと面白いものが作れるんじゃないか」と思ったんですよ。でも、実際に一歩を踏み出すのって勇気がいるじゃないですか。とりあえずやってみて、起業するかどうか後で考えようかなと。既に誰かがやってるならそこにJoinするのもありかなと思ったんですが、結局僕の性格的なところと、そもそもそれをやっている人がいないところで起業することになった訳です。ビールやワインでしたら専業で委託醸造のメーカーでやっている所ってあるんですが、日本酒だとないんですよね。自分でナリワイを作っちゃおうってことでこれを始めたっていう感じです。コンサルタント会社にもいたので、うまく仲間を集めて一つプロジェクトをやってみようかなと思い、立ち上げたのが会社ではなく「WAKAZE」というチームだったんですよね。それが原点です。2014年12月に思いついて、2015年1月に5名でチームを結成して、そのプロジェクトを始めました。

(WAKAZEのメンバーと 写真提供:稲川さん)

稲川さん:酒蔵でつくってもらったお酒のプロモーションをクラウドファンディングしたところすごく盛り上がったんです。さらに次のステップとして海外輸出を検討していたところ、経産省の「MORETHANプロジェクト」に選ばれたんです。「海外向けのお酒を造って販売していったら面白いんじゃないか、将来は蔵を持ちたいね」って話をしていたんです。でも日本の今のルールだと蔵を持てない、新規の免許は一切下りないんですよね、それなら委託醸造でやろうかと思ったのですが、会社を辞めてリスクとってまでやる人は、僕くらいしかいなかったんですよ。それで僕が2015年10月に会社を辞めて、2016年1月に起業したっていう経緯です。

「鶴岡でやりたい!」と自分の中に雷が落ちた。

稲川さん:最初は会社を東京に設立したんですが、酒蔵の近くにあった方がいいと思い始めました。委託醸造で酒蔵を持たずにメーカーになること自体が日本酒の業界では誰もやらないことで、実は結構行き詰まっていたんですね。酒造りって、生産者の近くでやらなきゃいけないし、委託醸造だともっと現場を見ながらやりたいという思いもありました。一度、酒蔵さんにお酒を造ってもらったんですが、ベンチャーでお酒を造るんだったらもっとイノベーションが必要だなと思いました。うちのお酒はその頃、普通のお酒で、それぞれの四季にあった造り方にこだわった「WAKAZE四季酒」というコンセプトは面白かったんですけどね。もっと面白いものが作れないかなぁと思っていたときに、ある人に「鶴岡」という所があるよと教えてもらったんです。前々から面白いなぁとちょっと興味はあったんですよ。慶應大学がそういうのを推進しているっていう話も聞いたんで、とりあえず行ってみようかなって。1泊2日でサイエンスパークをめぐるツアーに同行させてもらって初めて来たんです。それが昨年の4月くらい。その頃は一人でやっていて、その冬の酒造りに向けてどこに移住してやろうかと考えていた時でした。

稲川さん:夜の飲み会の席で「オーク樽でねかせた日本酒を作りたい!」とプレゼンしたんです。そしたら周りの人が「面白いじゃんそれ、やっちゃいなよ」と。隣で飲んでいたおじさんにも「You鶴岡来ちゃいなよ!!」って言われて、その場で僕は「じゃぁ来ちゃいまーす!!」と宣言して、来ることを決めたんです。自分の中に雷が落ちたんですよ。「鶴岡っていい場所だなぁって。ここでやりたい!」って。

紆余曲折のあったスタート。

 稲川さん:4月に来たいと思い、5月に情報収集のために鶴岡を訪れ、いろいろな人を紹介してもらい6月に完全に移住し、7月には登記場所も鶴岡市に移してそこからようやく会社としてスタートしました。でもその頃会社は、どこかに委託先があったかとか、商品の開発の目途が立っていたかというとゼロだったんです。「これでどうするんだよ?」みたいな感じで、この頃は本当に悶々としていました。酒蔵さんを回ってもことごとく断られましたね。自分が造りたいお酒がオーク樽でねかせたり、白麹を使ったり、普通の日本酒じゃやらないので難しかったようです。

(鶴岡の酒蔵さんと 写真提供:稲川さん)

稲川さん:たまたま入った駅前の地酒バーの店長さんにやりたいことを語って、そこから大山の酒蔵さんを紹介していただいたんですが、一度目はなかなか難しく、二度目は本気でぶつかり、ようやくなんとか一緒にやっていただけることになりました。それが8月で、その後9月にクラウドファンディングを始める準備をして、ようやく話が固まり始めました。

(写真提供:稲川さん)

稲川さん:でもそれからも樽の仕入れのことで、紆余曲折ありました。日本で今ウイスキーの需要がすごく伸びていて、そのおかげでワインの樽がかなり不足していて、樽がなかなか手に入らないうえ、価格も高騰しているんです。日本中駆けずり回って、いろんなワイナリーに行ったんですが断られまくり、最終的にはあるワイナリーのところで受けてもらえるという話になったんですが、直前になり、「やっぱりダメです。」みたいにひっくり返ってしまい、激震ですよね。どうしようもなくなってしまったのですが、知人の醸造家さんを通して山梨のワイナリーに行き、自分の夢を語って理解してもらい、ようやく手に入れました。

一番苦しかったのはゼロから一のところ。

稲川さん:今年は昨年に比べたら、一度実績を作っていたので、大分やりやすいと感じています。やはりゼロから一のところが一番苦しかったです。「こいつらほんとに買えるの?お金払えるの?」って思われてすごい大変でした。でも理解してくれる人や夢に投資してもらえる人達が出てきて、それでようやく形になりました。クラウドファンディングで600人から支援してもらい435万円集めて販売をようやくスタートできるところに立ったという感じです。

(写真提供:稲川さん)

稲川さん:去年1年は一人で結構しんどい時期は多かったです。しかも事務所には窓が無いので、最初はちょっと鬱になりがちだったんです。気持ちはやっぱ滅入りますよね。でもクラウドファンディングをやり始めたときは、必死なので、その頃はつらいとか通り越して、やるしかないみたいな感じでした。結果もかなり出たのでよかったんですよね。やりがいが出始める前の、悶々と考えたり、動いてもうまくいかない時期が一番しんどかったなぁと思います。

稲川さん:都会で起業するより、地方に来て起業する方がいいと思うんです。都会で、帰りたいけど仕事無いって皆さんいいますが、こうやって自分で仕事起こしてやるっていう人もいるよと知らせたいです。その場所としてこういう地方を選ぶ選択もあると。苦しい面も知らせたいし、そういうところをどうしてきたのか、1回実績を作ってるので経験をもとに伝えたいです。

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