• 鶴岡市地域振興課
  • 0235-25-2111

No.27 前編 外に出てみて認識するふるさとの良さは、子供のときの体験に培われる

今回のインタビューは、2015年に東京からUターンし、現在NPO法人自然体験温海コーディネットの事務局長を務める冨樫繁朋さん(39歳)にお話しを伺いました。

冨樫さんー自分では覚えていなかったのですが、中学校の時の将来の夢に『温海町長になる』と書いていたらしいんです。いつかは戻ってふるさとのために仕事をしたいなと思っていたのかもしれません。」そう語る冨樫さんは、鶴岡市温海地域鼠ヶ関生まれ。高校生の時は毎朝5時の電車で通学、その頃から東京に出たかったため、進学を機に上京、経済学を学び東京で就職しました。長男で実家は商売をしていたので、いずれは帰らなきゃいけないという思いもありましたが、その頃は帰ってくる気は毛頭なかったといいます。

(写真提供 冨樫さん)

冨樫さん―最初の仕事はビジネスフォン等のOA機器のセールスで、朝9時から夜の12時くらいまでハードに働いていました。その会社がギリギリの営業トークを用いていたため、最初の二週間で辞めようと思いました。でも、それも社会勉強だと思い、もがきながら働いていました。ちょうど25歳で同じ鼠ヶ関の幼馴染と結婚し、それを機に一旦実家に戻り、家の仕事を手伝っていましたが、家業がうまくいかなくなってきた頃、最初の会社の同期に人手が足りないから来てくれないかと言われ、そこから単身赴任生活が始まった訳です。同じ会社にまた勤めた訳ですが、仕事内容は以前のOA機器ではなくWebサイトのセールスでした。時が流れOA機器のハードから、Web系の方に変わっていったんですよね。下の子も生まれたばかりで家族はずっと鶴岡にいましたが、僕は仙台、金沢、名古屋、福岡と新規開拓部隊で東奔西走、日本中を駆け巡っていました。最終的には管理職もさせていただき、リーダーシップとマネージメントを学ぶことができました。

(写真提供 冨樫さん)

冨樫さん―その仕事も30歳で転機を迎え、次の仕事としてレストランの予約サイトの立ち上げに関わりました。その関係から、色々なレストランに行くようになり、食に関する興味がどんどん深くなっていきました。鶴岡の豊富な在来作物にも興味を持ち始め、レストランの料理の食材、そしてその種まで遡っていきます。その後、「ぐるなび」に入り「RED u-35」という料理人のコンペティションの第一回目の事務局に就きました。その時の審査委員長が辻調理専門学校の校長先生だったことがきっかけで、辻調理専門学校の事務局の小山さんとつながりを持ち、現在辻調理専門学校の学生のフィールドスタディで温海地域の食材や食文化を中心に企画やガイドをしています。「ぐるなび」では、プロジェクトを推進するチームに所属し、「ファームトゥーレストラン」という、生産者から直接レストランに食材が届く仕組みづくりを担当していました。東京最後の就職先として外資系のインターネット販売の会社に勤め、キュレーターとしてレストラン、美容、フィットネスのサービスチケットを企画販売していました。その頃には鶴岡の農家さんとつながりがあったので、だだちゃ豆や啓翁桜などを企画販売しました。

(写真提供 冨樫さん)

移住を決めるきっかけは何だったのでしょうか。

 冨樫さん― 一つ目は、上の子が当時小学校6年生で、小学校のうちに戻りたいなっていうのがありました。二つ目は、ちょうどその頃、NPO法人自然体験温海コーディネットの観光コーディネーターの話をいただき、条件を見たときに、仕事をしながら自分でやりたいことができるなと思ったんです。NPO法人の給料は安くても、二つ合わせればいいんじゃないかと思いました。新しい法人だからまだいろんなものができあがっていなかったのも良かったんですよ。自分の好きなようにやれるっていうのがあって。あのまま前職を続けていてもよかったのですが、いつか戻ってふるさとのために仕事したいなっていう思いがどこかにあったんですよね。

(写真提供 冨樫さん)

実際にUターンして感じたことは何でしょうか。

 冨樫さん知らないことだらけで、本当に何にも知らないんだなって思いましたね。この地にある「山戸能・山五十歌舞伎」や「玉杉」だって、この年になるまで見たことないですし、さらに言えば、鼠ヶ関に住んでいたのに魚市場のセリも見たことがない。ほんと、初めてのことばかりだったんです。人生の半分はここで過ごしてきたのに、ここが地元なのに、何も知らないんです。正直、どうやって生きてきたんだろうって思いましたよ。そして、同時にこんなにも素晴らしものが継承されていることに感動しました。でも、これは自分が外に長くいたから持つ感覚なんだと思いました。地元にずっと住んでいる人には当たり前のことですから。

冨樫さん 一旦ここから出て行った同世代の人たちに戻って来いというのは、ハードルが高いと思うんです。だったら、もっと若い世代に注力した方がUターン率は高まると思うんですよ。つまり地元の小中学生にふるさとの良さを知ってもらった方が、Uターン率って高まるのかなとは思います。その一つに祭(神事)があるのでは。

冨樫さんー祭りって、自分の存在を認めてくれる対象物だと思うんですよ。それは豊かさの根源で、それを定義するのは難しいですが、どういう時に豊かさを感じるのかというと、相手があって初めて自分が成り立つときで、それがモノであったり文化であったり何でもいいんですよ。でも、そういったものが無くなると、自分の存在を証明するものが消滅するから、「自分って何者だろう」って不安になるんです。例えば、僕は鼠ヶ関で生まれて、鼠ヶ関の祭があって、それを見ると「鼠ヶ関で生まれたんだ」と感じ、ほっとするんです。それは食べ物でもそうだと思います。海外から帰国したときお味噌汁を飲んでほっとするのは、味噌汁によって自分が日本人だと再認識することで安堵するからではないでしょうか。

後編に続く⇒ 後編

コメント

タイトルとURLをコピーしました