2019年6月に神奈川から鶴岡に移住をしたのは、フードユニット「つむぎや」として、都心で精力的に活動していた物書き料理家・マツーラユタカさん(40代)と暮らしの装飾家・ミスミノリコさん(40代)。今回はこちらのお二人にお話を伺ってきました。
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【プロフィール】
・マツーラユタカ
物書き料理家。フードユニット「つむぎや」として活動。
“食を通して人と人、満ち足りたココロをつむいでいく” をモットーに、書籍や雑誌、イベントなどで創作和食を提案。福岡や金沢など、ご縁ができた土地の風を運ぶ活動にも力を入れている。ライター稼業も行っており、『お昼が一番楽しみになるお弁当』(すばる舎)など著書・雑誌の連載多数。鶴岡市出身。
・ミスミノリコ
ディスプレイデザイナー/暮らしの装飾家。
店舗のディスプレイや雑誌、書籍のスタイリングなど幅広く活動中。日々の暮らしに取り入れられる、デコレーションアイデアや手作りの楽しさを発信。『繕う愉しみ』(主婦と生活社)など著書多数。東京、北海道、岡山の他、パリや北京でも、展示やワークショップを開催。フードユニット「つむぎや」の著書や雑誌撮影、イベント等のスタイリングを多数手がける。
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(「日本さくら名所100選」にも選ばれた鶴岡公園)
-鶴岡が身近な存在と感じるように
ミスミさん「鶴岡の友人たちの暮らしぶりを知ることで、ここで生活するイメージができました。」
結婚して10年以上経ちますが、結婚当初はお盆や年末に帰省した際に、マツーラさんの実家に泊まって、鶴岡市内を少し観光するぐらいの場所だったとのこと。それがある時期から、東京で山形にご縁のある仕事仲間との出会いもあったこともあり、鶴岡の農家さんを紹介してもらったり、デザイナーをやりながら山伏修行を続けている人に会ったり、庄内で暮らす同年代の友人が少しずつできていきました。彼らの暮らす場所に訪ねていったり、そこからさらにいろいろな人を紹介してもらったり、地域の人や仲間の暮らしを知っていくことで、生活していくイメージをリアルに実感できるようになってきたのだそう。
マツーラさんも20歳の頃に、県外に出たことで、地元に住んでいる頃には気がつけなかった鶴岡の魅力に改めて気づいたのだという。
(羽黒山伏の星野文紘先達と一緒に)
-美しい自然の循環の中に一体化した山伏修行
ミスミさんは鶴岡との関わりが深くなってきた頃に、山伏信仰に興味を持ちます。出羽三山は羽黒山・月山・湯殿山の総称で、この三山を詣でると生まれ変わると古えより伝わる山岳信仰の場。東京の友人がおすすめしてくれたのが、羽黒の宿坊・大聖坊が主催する2泊3日の山伏修行体験コースでした。この宿坊の修行体験のコースは、毎年夏の時期に4回行われているのですが、ミスミさんが体験の日程を確認すると、その年に行われる最後の会期と偶然予定がピタリと合い、これも何かのご縁だと思いご夫婦で参加を決意します。
(月山の上から庄内平野を見下ろした様子)
ミスミさん「修行の初日。白装束に袖を通し、羽黒山の石段を登りました。足取りも重くなり始めた頃、小休止した参道の中腹から見た美しい景色に思わず息を飲みました。広大な庄内平野と日本海、大きな空、そして山。自然の循環の中に自分が繋がっていると感じた瞬間です。」
いつかはマツーラさんの実家のある鶴岡に住むのだろうなと思っていたミスミさん。この山伏修行での体験が決め手となって移住を考えはじめたのだそうです。
(前のお店の雰囲気を受け継ぎつつ店作りしたmanoma)
-お気に入りのお店を引き継ぐ話が持ち上がる
山伏修行と同じく移住の大きなきっかけになったのは、友人の柿農家、五十嵐大輔さんが主催するイベント「オラいの柿食う会」です。こちらのイベントは五十嵐さんが様々な土地で料理人とコラボレーションし、庄内柿を使ったフルコースを楽しんでもらうイベントです。
マツーラさんがやっていたフードユニット「つむぎや」も、五十嵐さんとは鶴岡や東京で、何度もコラボレーションを重ねてきました。その5回目の会場となったのが、現在のmanomaの場所で店舗を運営していたカフェ&バー・オーファンズでした。
看板などもない、一見さんには入りづらい店構え。でも一歩足を踏み入れるとスタイリッシュな空間が広がっていました。料理やコーヒーもおいしく、インテリアや音楽のセンスも素晴らしく、オーナーの菅原さんとも意気投合。それからマツーラさんとミスミさんが帰省するたびに足を運ぶ、お気に入りのお店になりました。
ある日、菅原さんから突然の電話がかかってきます。ご実家が農家を営んでいる菅原さんは、結婚を機に、お店を閉めて農家を継ぐ決断をされたとのこと。そこでオーファンズのあった場所を引き継ぎませんか? とマツーラさんに相談がありました。
この話をきっかけに移住に向け大きく動き出します。
(「オラいの柿食う会」でつくられた柿料理)
マツーラさん「元々いわゆる『飲食店』をやろうという思いはありませんでした。でも自分たちが思い入れもあった場所を受け継ぐ話をいただけたのはご縁だなと。料理研究家やライターの仕事を重ねていく中で、次第に鶴岡の風土や歴史に興味を持ち始めていたので、自分たちのアトリエの延長線上にあるような感覚で、夫婦をそれぞれの得意分野を生かしながら、ローカルに根ざしたお店をやることもありなんじゃないかと思うようになりました。」
(赤川そばの桜道)
-4月を過ぎてからの家探し
お店を引き継ぐ話をいただき、移住することは決めたものの、東京でのお仕事が2人とも多忙だったこともあり、家探しの時間はなかなかとれず、鶴岡に一時帰省して家探しを本格化させることができたのは、2019年の4月に入ってからでした。
マツーラさん「あまり鶴岡の家賃相場を知らずに、鶴岡市内ならこれくらいかなとあたりをつけて家賃相場を決めて探していると、思ったより条件に合う物件がなかったです。」
友人や移住コーディネーターの方から情報を得ながら、不動産屋を巡りましたが、引っ越しシーズンのピークが過ぎ、物件が少なめな4月だったことと、猫を飼っているので『ペット可』の物件が必須条件だったこともあり、家探しは難航しました。
(月山が見える風景は暮らす上で、心の拠り所に)
それでもなんとか、現在住んでいるアパートを見つけることができ、6月の終わりに鶴岡に引っ越してきました。もともと地元だった場所とはいえ、生活の基盤作りは大変だったそうです。
マツーラさん「住民票を移したり、免許証の住所変更をしたり、そういったことは想定済みでしたが、地元の銀行に口座がないと不便だから銀行口座を新しくつくったり、信頼できる病院を探したり、そういった地味な作業が山ほどあって、新しい土地で生活の基盤を作り直すことに、思っていたよりも時間がかかりました。自分たちは、移住してからの住環境を整えていく作業と、仕事をするための店作りを同時進行でやらなければいけなかったので、なかなか大変でした。」
移住後の生活ベースを整えるのに時間的にも2、3か月以上かかることを覚悟の上で、お金の準備をしっかりとしておいた方が良いというマツーラさん。また、都会から地方への移住の場合だと、生活にまつわるコストがすべて下がるようなイメージがありますが、雪国だと光熱費などはむしろ高くなるので、そのあたりは下調べしておいた方がよいとのことでした。
(ショップスペースでは以前から付き合いのあった友人らの作品を展示、販売する)
-これまで帰る場所だったところが、暮らす場所に変化
ミスミさん「いきなりのことに戸惑いはあったものの、ここであれば自分たちらしいことができるかもしれないと思うようになりました。」
昔から雑貨や器などが大好きだったミスミさん。陶芸家や作家として活躍する友人も多く、普段の暮らしでも彼らの作る道具に囲まれて暮らしてきました。お店で使う器や道具もそうした繋がりの中で見つけたものを使いたいと思うのは自然なこと。また、お店で使っている器や道具をお客様が気に入れば購入できるようなショップを併設したいという夢も広がりました。東京ではディスプレイデザイナーをしていたので、商品の陳列や見せ方も得意です。移住してもこれまでやってきたことを続けて行えそうなイメージがあったのだとか。
(著書の数々)
ミスミさん「移住したら通おうと思っていた店がまさか自分たちのお店になるとは思いませんでした。」
お店を受け継ぐ話が来たときは、これはそのときがきたのかなと思うようになったのだというミスミさん。
(「季節のごはん」は野菜中心のプレートメニュー )
-大切に守られてきたものを未来へと繋いでいく場所「manoma」
こうしてはじまったmanomaではマツーラさんが調理を、ミスミさんが調理補助とホールを担当し、二十四節気に合わせて2週間ごとにメニューを変えていく「季節のごはん」という名で定食をご提供。野菜中心のプレートメニューで、季節の移ろいを感じられるものになっています。
manomaの定食は、山形ならではの野菜、それもどんな人がどのように作っているかを知っている、馴染みの農家さんの野菜を中心に作られています。鶴岡は在来作物が豊かな土地。四季にあわせて移り変わっていく野菜を取り入れながら、その野菜のおいしさを伝えています。
ミスミさん「お店のディスプレイと違って、ご飯は食べた後すぐにリアクションをもらえるのが新鮮でした。おいしいものを食べているときの顔は笑顔です。おいしいといってもらえることが何より嬉しい。一方で、食べ物は食べた人の体の一部になるものだから、提供する側としては緊張もします。」
マツーラさん「ここでは、地方で活動するアーティストさんの器も置かせてもらっており、作品を見にmanomaに来ることで、鶴岡に興味をもってもらったり、鶴岡の食を感じてほしいです。」
山伏は山と里や、神と人など、物事の間と間を取り持つ存在。そんな山伏が今も存在する鶴岡。山伏信仰を大事としつつ、店名も「manoma(間の間)」に。ただカフェを運営するのではなく、陶芸家として全国で活動をしている友人たちの作品を置いたり、ワークショップを行ったりして、ヒトやモノが交わる場にしていきたいと語ります。
(店内には1つ1つのものに拘りぬいた空間が広がっている)
-暮らしを編集しながら楽しんでいきたい
ミスミさん「郷土料理やワークショップを行っている方って多いと思うのですが、そうした活動に参加していきたいです。なかなか土日にフィールドワークに行けない状況が続いていますが、みんなの暮らしに興味があるので友人のところに遊びにいきたいです。」
遊びに来ていたときの方がよく人の暮らしを知ることができたというミスミさん。
マツーラさん「今日どんな料理をつくるのか、誰を呼ぶのか、音楽どうするのか、外で食べるのかなど、生活の1個1個は編集すること。manomaとは「間の間」という意味で、料理とか何かものを売るっていうよりも、山伏が神と山を繋いだように、ヒト・モノ・コトを編集し直す場所だと考えています。この場所を使って暮らしを編集しながら、楽しんで過ごしていきたいです。」
ミスミさんマツーラさんは風を運んで来る人。一方で、昔からこの土地に住んでいる人や大事にされている文化があって、「土」と「風」二つが合わさって新しい風土を作ることになるのではないでしょうか。
(写真協力:MASANORI WADA・マツーラユタカ)