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No.1 子育ては自然豊かな地元で!

 

第1回目のレポートは、2014年に兵庫県芦屋市から移住した竹村さんご夫妻の体験談をご紹介します。

竹村ファミリー自宅にて

幸子さんは、鶴岡市田川の少連寺生まれ。中学卒業後、新潟の高校へ進学。長崎の短大を卒業したのち神戸で就職、関西からのUターン。ご主人の純二さんは東京生まれの東京育ち。国内外を転々としたのち、鶴岡に来る前は関西に10年間暮らしてからのIターン。

移住を考えたきっかけ。

二人とも都会での暮らしを続ける中で、ゆくゆくは田舎で暮らしたいと漠然と思っていました。結婚後、兵庫県芦屋市にて飲食店を経営していた二人は、経営も軌道にのった3年目、子どもを授かったことを契機に、漠然としたものが具体的なものに変わったといいます。子育てをする環境には、親族が近くにいて、自然がそばにあることが大切と思っていた幸子さん。鶴岡は、幸子さんの故郷であり、なにより二人の出会いの場。また純二さんにとっても庄内は、幸子さんと知り合う前から何度か訪れていたという縁のある場所でもあったためここでの暮らしをごく自然に決めたそうです。

竹村家1横800

地元の情報を得るために活用したもの。

鶴岡で暮らすことを決め、先ず、幸子さんの実家の両親に相談しました。そして2013年7月、二人は、行政の方でどんなサポートがあるのか聞きに市役所を訪れました。鶴岡での暮らしの中で一番こだわったのは、住む場所でした。自然に恵まれた里山の小高い丘の上にある家をずっとイメージしていたという純二さん。インタビューで訪れた場所はまさにその理想のロケーションと素敵なお家でした。

 

竹村家2横800

 

移住の際にこれだけはやっておいた方がよいこと。

竹村さんは理想の家が決まるまで市街地のアパートに仮住まいし、今の住まいを決めるときには村をまわっていろいろリサーチしました。実際に集落を走るスクールバスも見に行きました。どんな子が乗っているか。また、村の人の家を訪ね、「ここで暮らすにはどうか」と聞いてみました。この近所の方が親切に話を聞いてくれたのが今の住まいを決める大きな要因にもなったそうです。ここで冬が越せるのか、除雪は大丈夫なのか具体的な話しも聞いたそうです。

幸子さんと娘2(縦380)  幸子さんと娘(縦380)    竹村さんと娘(縦640)

実際に暮らしてみて感じたこと、わかったこと。

竹村さん夫妻は、鶴岡での暮らしは自分たちだけで暮らすのではなく、地元との人との繋がりが大切だと考えていました。2月に、地区の総会に参加したという純二さん。その時初めて地元の人に挨拶し、一緒にお酒を飲み交流を深めました。「住まい、つまり家に受け入れられても地域に受け入れられなくてはいけない。集落との付き合いは、今から積み重ねていくものだと思っています。」幸子さんも婦人会の行事にはなるべく参加するようにしているそう。「自分が子どもの頃、集落で育っているので、なんとなく雰囲気はわかっていましたが、それでも一年目ではなかなか慣れていません。きっと10年、20年して馴染んでいくのかなと感じています。」
都会と比べ、集落ごとに金額に差違はありますが、集落費(町内会費)が高いのは予想外でした。ちなみに竹村さんの地区で年間3万円。「これは強制ではないといわれていますが、何かあったら地元の人たちに助けてもらえるという保険みたいなものだと思いました、地域の見守りという安心代ですね。」と竹村さんはいいます。「子育て自体、夫婦だけでなく地域に助けてもらわないとできない、と暮らし始めてわかりました。暮らすまでは、できるだけ参加したくないし、できるだけ払いたくないと思っていました。でも実際、暮らしてみて考えが変わってきましたね。
また実際に暮らしてみて感じたことがもうひとつ、光熱費の高さに驚いたといいます。水道費が関西にいたときの約3倍。関西では上下水道2ヶ月で3,000円程度、カルチャーショックでした。そういった暮らしにかかるお金も実際暮らす前に知っておくのもいいかもしれません。

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今後どのようにくらしていきたいか。鶴岡でやってみたいこと。

こちらにきてわかったんですが、若い人たちで庄内が好きで移住している人が多いと感じています。自分も、そういう人たちともっと繋がって「仕事、くらし、子育て」を共有できたらいいなと思っています。移住者それぞれは情報をもっているのに、互いに共有できていません。また地元の人たちと移住者のギャップもありますね。自分たちには発信力、がないので、インターネットでもリアルでもどちらでもいいので、移住者間のネットワーク化を図り、情報を共有できる場があればいいと思います。移住者の大先輩がいて、僕らがいて、次の後輩がいてその皆が繋がっていけたらいいのではないかと思います。今の住まいを、そのネットワークの交流の場として提供してもいいと思っています(笑)。

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移住してからの仕事が課題だと純二さんはいいます。普通は仕事が決まらないとなかなか帰れないのですが、自分たちは特殊で、先ず移住が先でした。二人が出会った思い出の場所で、家族でカフェができたらいいなと漠然と思っていました。カフェを始めるにあたり、自分がちゃんとした収入を得るまでの繋ぎとして考えていました。実際やってみたら、お陰様で沢山の人に来ていただいて、幸子さん一人ではできないというありがたい状態ですが、家計を支えるまでの収入にはならないので、幸子さんにパートにでてもらいながら同時進行で純二さんもナリワイを探していけたらいいなという状態です。なんとか仕事をしたいと思うのですが、この年齢で自分が普通に働ける仕事は正直なかなかないのです。仕事を探すのではなく、むしろ自分で創っていかなきゃいけないと思っています。

   竹村夫妻2(横800)

子育てしていく上で不安や要望はありますか。

きっかけ、タイミングがあれば田舎に帰りたいと思っている人も多いと思います。子どもができたことをきっかけに鶴岡に帰りたいという人も少なくないでしょう。私自身、震災の原発事故の影響を含め、食に関してリアルに危機感を感じています。庄内はまだ安全な場所だと感じました。
家はスクールバスのバス停まで1キロあるので通学が少し不安です。また、日曜日預けられる一時保育がないのが不便です。 ファミリーサポートは今のところ使う気になれません。ファミリーサポートは顔出しがあればいいのになと思います。サポーターの年齢や住んでいるエリア、プロフィールがあれば頼みやすくなるのではないでしょうか。ママ友同士でメーリングリストを作ってやってみるのも、同じ価値観で集まれていいかもしれません。

竹村夫妻オルファにて(横800)

竹村ご夫妻の思い。

純二さんはいいます。「カーシェアリング、農機具、除雪機のシェアなど。移住者だけでなく、庄内で暮らす人の生活のためのシェアシステムがあったら便利だと思います。もっと言うと、この素晴らしい地・庄内で生きてきた先人から『生きる智慧をシェアしていただく』 そんな場があったらいいなと思います。」
「生きていくことに対してポジティブな町だ」というイメージは、外からみれば非常に魅力的な町にうつるのではないでしょうか。そしてそれぞれがやりたいことを話し合える場が増えて、そこからどんどん広がり『地域全体で子どもを育てられる』そんな町になっていけたらいいですね。

(平成27年4月10日取材 文・写真 俵谷敦子)

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