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No.25 まずは住んでいる人が、より暮らしやすく楽しい地域にすること

『前略つるおかに住みマス。』の移住者インタビューでは移住者が地域で関わっている人たちも紹介しています。地域の受け入れ側としてのお話しを、五十嵐正直さん(68歳)にお伺いしました。五十嵐さんは鶴岡市木野俣生まれ、現在、木野俣自治会の会長を務めています。

(写真1. 五十嵐正直さん)

温海地域の国道345号線沿いに位置する木野俣集落は、現在50世帯150人が暮らしていますが、今年生まれた子供はゼロ、去年生まれた子は1人、30代以下の若者は7~8人しかいないという人口減少に悩む地域の一つです。

平成22年に「木野俣自治会いきいき隊」を組織して、その青年部で山形大学の先生の指導のもと、一緒に村を歩きながら「地域の宝探し」を行いました。年中行事や川の雑魚、蕗の砂糖煮など地域にある食べ物、地域に残る昔話など、1年間村の中を探し回り「地元学」の勉強会を行い、平成23年の春に「わらび採り」「笹巻づくり」、秋には「温海かぶ漬け込み体験」などや昔の食の再現事業を実施し、「木野俣一本ママ感謝祭」を行うなど、精力的に地域の活性化に取り組んできました。

(写真2.  木野俣獅子踊 昭和47年鶴岡市指定無形民俗文化財)

五十嵐さん:「地域の宝さがし」の一番の成果は、普段生活していて何とも思っていなかった物が、知らない人、特に若い人には宝物に見えるとわかったことです。冬の薪を積んだ玄関や薪割りの風景、それに夏の蛍がいっぱい飛ぶ風景や夜の星の美しさなど、我々にとって日常にあるものが宝物になる。そしてそれは、思ったより沢山あるということに気付いたんです。

五十嵐さん:人口減少はもうやむをえない。それを止めようと無理なことをするのではなく、今住んでいる人が、より暮らしやすく、楽しくなることにもっと目を向けたらどうかと改めてわかったんです。実際、村の過疎は止まらないし、住んでいる人は村の良さになかなか気づかない。だからそのことに気づくために何かをしていかなければいけないと思いました。そこで「村の宝探し」をやってみて、それを受けて次年度これからどういう村にしていくか、住みにくい点は何か、これからどういう地域にしていくのかという地域の将来について掘り下げてみる「集落ビジョン」の策定を市と一緒にやることにしました。

(写真3. 温海かぶ)

五十嵐さん:このままでは子供たちに「地域に残れ」と言えなかったんです。何回も皆で集まり話し合いをし、平成24~26年の3年間は年間50万円の鶴岡市過疎地域集落対策事業の補助金を受けて、視察へ行き、村の水路の整備をしました。最終年度は将来の投資になるようなことをやってみようということで、なめこの菌を原木へ注入したり、かぶを洗う専用の機械を買いました。ちょうどその3年後に、福栄地区(※)に地域おこし協力隊が入ってきたという訳です。(※福栄地区は、菅野代、温海川、木野俣、越沢、関川の5集落からなる)

(写真4. なめこの菌打ちの様子)

地域おこし協力隊が来るまでは、全然知らない人がヨソから入って来て何かするという感覚はなかったのでしょうか?

五十嵐さん:なかったです。制度を知って、地元の皆は「すぐ受けよう!」ということになりました。地域おこし協力隊には、先に作った「集落ビジョン策定」に沿ってやってもらおうと。これがあったから、来てもらってすぐ動いてもらえたという訳です。例えば地域おこし協力隊の石井くんは、グリーンツーリズムや、わらびなどの山菜やかぶの収穫体験、なめこ作りなど、「集落ビジョン策定」に沿った仕事があったので、すぐに取り掛かることができました。

(写真5.  赤こごみの天日干しの様子)

地域おこし協力隊の受け皿ができていたということでしょうか?

五十嵐さん:福祉関係でも、あの頃から介護が大変だとか、一人暮らしのお年寄りをどうするかとか、診療所が欲しいという声が地域にあり、協力隊が入ってきたその年から、そういう要望についても取り組んでもらえました。これは、地域の全員が集まって、話し合ったから課題が見えてきていて、そこに地域おこし協力隊が来たからやってもらうことが出来たんだと思います。

(写真6. 採ってきたわらびの出荷の準備)

地域おこし協力隊が来てからと来る前とでは、地域の人の意識は変わりましたか?

 五十嵐さん:がらりと変わりました。「こうやったらいいだろうな」という、希望がでてきました。今までは、「誰がやるんだ?」と言い、自分からやる人はなかなかいなかったんです。でも協力隊が来てからは、グリーンツーリズムをやったり、かぶの体験させたり、わらびを収穫して塩蔵して販売したり、診療所の先生に来てもらったり、個人ではなかなかできなかったことが現実的なものになりました。平成23年に作った「地域ビジョン」の具体化を協力隊が後押ししてくれたんです。

 五十嵐さん:秋なればジョロ(カメムシ)は沢山でるし、冬は雪は多いし、「よくこんなところに来てくれた」と皆言いますが、ここが良くて来てくれる人もいるんだということになれば、地域の自信にもなる訳です。

(写真7. 地域おこし協力隊の二人と五十嵐さん)

地域起こし協力隊の人に対してヨソ者って意識はありますか?協力隊との関係は、とてもいい感じのようですが。

五十嵐さん:今はもう地元の人以上に地元の人です(笑)。彼らの人柄もあるけれど、石井くんの場合は、春先にわらび採りに来てくれたことで、顔も人柄もわかり、地域に慣れていった。亀森くんの場合は、買い物ツアーに一緒に行ったり、診療所の手伝いをしてもらったり、福祉関係で歩いているうちに顔が広がりました。協力隊との関係はとてもいい関係でいると思います。ただ今年度で任期が終わりで、これからも残ってもらいたいと思っているんですが、どのように生活をしていくのかが非常に難しいところです。住まいだけ木野俣で、鶴岡の会社に通勤するなら面白くないし、ここで地域の人と関わりながら仕事、生業を作っていけるのが一番いいが、それには、集落のどこかの家の婿になれば一番いいのだが(笑)。

 

(写真8. 温海かぶの焼き畑の様子)

今この土地で暮らす人たちはどんな職業の人たちですか?

五十嵐さん:専業農家の人はほとんどいない。勤め人や職人です。以前であれば、ここに住む意味っていうのがあった。例えば、米をつくったり、杉を育てたり、山の手入れをしたり、山菜を育てたり、薪や炭を出荷したりすることで、ここに住んでいるという意味があったんです。しかし、今はここに住まなければならないものがない。つまり現金収入を求めてどこかに勤めるとか、鶴岡の会社に行くとか。職人で大工になった人は仕事であちこち行くけれど、そうすると、最初のうちはここから通ったりするけども、冬になると雪で通勤が大変になるから、職場の近くに住むことになり、転出してしまう。若い人たちが出て行って、じいさんばあさんだけになり、畑仕事や趣味の仕事をしています。それもどちらかが亡くなると、ここに一人でいる意味もなくなっていく訳です。

五十嵐さん:だから今、ここに住まなければならないということを、この中で見出そうとしているます。つまりここにいることが楽しいと、ここでの暮らしに生きがいを見つけることです。利便性を求めるのでは、こういう山の中は不適切で、それを求めない極少数の人が楽しむ方法はないのかと。UターンIターン含めて、自然が好きであくせくしないで、時間もゆっくり流れて、天気が悪ければ休むし、天気が良ければ働くとか、そういうようなことを求めるような人だといいんでないでしょうか。

 

 

(写真9. 木野俣地区の山あいの様子)

これから地域でどういったことに取り組みたいですか。またどんな課題がありますか。

五十嵐さん:一人暮らしの安否確認ができるように、隣近所や新聞配達の人に、なんか変わったようなことあったら教えてと声かけを願いしているのですが、一番いいのは集落センターに集まってもらって、いちいち確認しに行かなくても、「あの人来ないけど、大丈夫かな」と、そういう話題になって、ここで安否確認できれば一番いいと考えています。

(写真10. 集落センターで行う「しな織りの糸つむぎ」の仕事)

 

五十嵐さん:少し大げさに言うと、村の中に「婆ぁ会社」を作ろうとしています。しな織の糸つむぎ(しな積み)を月2~3回やってみたら、藁細工もやってくれと外部からお願いされんたんです。そこで他にも、お年寄りにできる軽作業でお金になるようなことないかと相談したら、弁当箱を組み立てる仕事があるので、やってみないかという話をいただきました。村にいるお年寄りが集落センターに来て、そういった作業をして一日千円でもいいから小遣いを稼ぐ。お金を稼げるとお年寄りは元気になるんです。

五十嵐さん:提唱しているのが、年金プラス千円で、軽作業をして楽しみながら生活するとこと。もっと極端に言えば都会に家があって、住んでいる人の2箇所拠点でもいいと思います。春から秋はこっちにいて、そういう人でもOKです。やっぱり狙い目はリタイアした人。若い人でなくてもいいかな。実際は若い人や、子供がいれば一番いいのだけど、「じゃ生活費どうやって稼ぐ?」って言われれば大変な訳ですから。

(写真11. あつみ温泉から集落センターに医師の往診)

五十嵐さん:この地域に医者はなく、現在あつみ温泉から月2回来てもらっていますが、その他に隣町の病院のバスが週に2度この地域まで来てくれています。でも、そこでは往診には来てくれないので、あつみ温泉にいる医者と連携しながら最終的に往診にもきてもらえるような体制を作りたいと思っています。急に具合悪くなって、救急車で市内の総合病院に行ったとして、そこを退院した後、どこへ行くかが問題です。本当は家に帰って、家で往診を頼みながら自宅で様子をみるのが一番ですが、それも大変になってくると、どこかの施設に行かなくてはいけない訳です。

(写真12. 五十嵐さん)

ここにはその地域おこし協力隊が来ましたが、そういうのがない地域にヨソから人を受け入れるために、アドバイスはありますか?

 五十嵐さん:まず、集落ビジョンを作った方がいいと思います。ビジョンの中には、実現できないこともあるかもしれないけれど、(ビジョンづくりのために)まず、地域で話し合いをすることが、いろいろなきっかけづくりになります。また地域に話し合いをまとめる人や方向付けをしてくれる人など、ある程度慣れている事務屋がいた方がいいと思います。

受け入れる側が課題を持って、入ってくる人と一緒にやっていこうという意識がないといけないと思います。

(平成28年9月28日 インタビュー)

(写真協力:木野俣地域おこし協力隊)

 

 

 

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