No.20 Uターンをきっかけに自分と向き合い見えてきたもの

今回の移住者インタビューは2009年に鶴岡へUターンした小野寺紀允(のりまさ)さんにお話しを伺いました。

 紀允さんと奥様横

小野寺さんは、鶴岡市京田生まれ。鶴岡工業高等専門学校を卒業後、20歳で三菱重工の横浜研究所に就職し、その後27歳で仕事を辞めUターンし実家の農業を手伝いながら、4年前から農家レストランの調理を担当、現在に至ります。

都会の生活に憧れがありましたか?

小野寺さん:仕事の選択肢として、実家の農業は考えていませんでした。しかし就職はどうしたいかわからず、田舎者なので都会でやれる自信もなく、大企業以外の道ならと思っていました。学生時代にやっていたこといえば化学系の実験だったので、研究職ならできるかなと唯一見つけたのが三菱重工。その当時自分は無知で、三菱重工の名も知らず、しかも成績もそんなに良くなかったので先生からも止められたのですが、「落ちるなら試験ついでに都会へ遊びに行けるなぁ」と軽い気持ちで受けたところ、結果は運よく合格。なので、都会への憧れというより、逆に入社式へ向かう電車の中で「もう地元へ帰りたい」と本気で思っていました。

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(三菱重工時代の小野寺さん  写真提供:小野寺さん)

働いてみてどうでしたか?

小野寺さん:心配とは裏腹に重工時代の仕事は楽しく幸せでした。会社では自分のまわりが、東大卒や高学歴の人ばかりで、高専卒の人達は1割程度。学もなく世間知らずの自分でしたが、一つだけ大切にしたのが「挨拶」でした。それだけは負けずにやったところ、先輩や上司が面倒を見てくれるようになったり、関連会社の方が手伝ってくれたりして、自分に足りないものを埋めてくれるようになりました。このご縁には本当に感謝しています。

また今振り返ると、頼まれた仕事には、「品質」、「納期」、「予算」があり、これを相手の求める以上の仕事をすることで「ありがとう」と言ってもらえることを期待して、研究職なのに、サービス業のような感覚で仕事をしていましたので、とても充実していました。

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(横浜重工同期との送別会 写真提供:小野寺さん)

ただ、都会での暮らしの中で、ネオンや人ごみが自分にはとてもストレスでした。入社1年目から都会は自分には合わないとまわりには言っていましたね。結果的に7年間暮らしましたが、実をいうと連休や土日を利用して2か月に1度は鶴岡に帰っていました。実家に顔もださず、友達と遊んで充電して、また横浜での仕事を頑張るという感じでした。

辞めるきっかけは色々ありましたが、その一つとして26歳の頃に10年後の自分を想像したことでした。学歴重視の会社だったので、高専卒では昇格にも先が見え、また管理業など、自分がしたい事とのギャップが出てくる。そう思ったとき決心しましたね。

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(Uターンして間もない頃 写真提供:小野寺さん)

 小野寺さん:そして2009年8月にUターンしました。8月は農繁期。人手も必要になるので両親にもあてにされるだろうと思ったんです。そんな甘い考えだったので、夜は遊び、朝帰ってきてなんとなんとなく農業をして過ごしていたんです。ちょうどUターンしてきて2~3か月した頃両親に、「何しに帰ってきたんだ。そんなふらふらして。お前にとって農業とはなんなんだ。跡取りでもないし、出てってもいいんだぞ。」と本気で叱られました。今まで流されるように運よく生きてきた自分は、どん底に落ち、どうしたらいいかわからなくなりました。

自分を変えるきかっけとなったある1枚のCD

小野寺さん:「芯がない自分」と悲観していた頃、たまたま出勤途中に車にあった中村文昭さんの講演CDとの出会いました。その人は、人生やることがなくてふらふらして上京し、そこで凄い人と出会ったことで人生が変わり今、幸せに生きているという人で、その体験を糧に「生きるとは何ぞや」という講演を日本各地でしてる方でした。落ち込んでいた自分の中にその人の一つ一つがすっと入ってきて、車を停めてぼろ泣きしながら聞きました。「やることがないやつは人を喜ばせることをすればいい。」「頼まれごとは試されごと。」「返事は0.2秒。」これだっ!これしかない!!と自分を変えるきっかけをこれに頼りました。

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(農家レストラン )

価値を理解していなかった農家レストランや有機農業。始めたきっかけはただ親がやっていたからなだけ。それが自分にとってどういうものなのか、地域的な役割はなんなのか、真剣に考えてみました。答えは意外と簡単で、人に「ありがとう」ってより言ってもらいやすい仕事(=サービス業)なんだと理解した瞬間、これでいいんだ、なにも特別なことをしなくてもいいんだとホッとしました。

とことん自分をさらけ出し話すことで見えてきたぶれない軸

小野寺さん:ようやく糸みたいな細い「芯」。これをどう太くしてくか、そして「人間力」を高めるか。次の行動は、「積極的にいろいろな人に会おう」でした。その最初の方が、知人のご縁で紹介してもらった、「食や農で地方を楽しくしたい」というパワーある一人の大学生でした。東京池袋で一日中、今までの悩みや有機農業、地方と東京を繋ぎたいというお互いの夢を熱く熱く語り、やりたいことをびっしりノートに書き込んでいきました。初めて自分をさらけだした時間で、アドレナリン全開でしたね。自分が解放された瞬間だったと思います。彼との出会いは、縁から縁を呼び、今でもかけがえのない人脈の原点を作ってくれた方だと「人生の師」と勝手に呼んでいます。ちなみに今はジャーナリストととして世界で活躍されてます。

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(仙台異業種交流会の庄内ツアー 写真提供:小野寺さん)

小野寺さん:「池袋会議」の一か月後、彼から食と農を語る大学生イベントに呼んでもらい、農業ビジネスで起業したての方(のちに都内に八百屋さんを店舗展開して3億円売上。だだちゃ豆も取引)や、東映の課長さんとも出会わせてくれました。東映の課長さんは仙台で異業種交流会を開催されている方で、30~40代の電力、銀行、公務員、個人経営者などなどバリバリ活躍されてる人たちが100人集まる会でした。幸いにもその会には僕以外に農業者はいなく、「農業に興味あるからら農業体験ツアーつくってよ」と声をかけていただきました。そこで、中村文昭さんの「頼まれごと・喜ばせる」だっ!と思い、3か月後に庄内で異業種交流会さん向けの農ツアーを開催しました。都会の人だけが楽しいじゃつまらないと思い、地元の人にも一緒に参加してもらい、実践的な経験を重ねることができたと感謝しております。

 

「庄内朝ミュージアム」に始まった地域活動を通した地域への思い

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(庄内朝ミュージアムにて 写真提供:小野寺さん)

小野寺さん:仙台で参加した異業種交流会みたいなのは鶴岡にはなかったので、そういう交流の場があればいいなと思っていました。ちょうどその頃、自身が属していた庄内農文化交流推進協議会と湯田川温泉の若い青年部を中心に、「庄内朝ミュージアム」をやろうとなりました。この「庄内朝ミュージアム」とは、朝市×エコミュージアムの造語で、庄内の食材をピックアップしたその場が庄内のゲートウェイになれば、そして観光のためのイベントではなく、地元の人たちの遊び場になればとスタートしました。

「だだちゃ豆」、「庄内米」「そば」「在来かぶ」「お酒」など様々なテーマを、「知る、食する、体感する」という三位一体をイベントの軸として開催しました。自分は農業者だったので、「知る」を語り表現する担当で、大学の先生、生産者、知見者から熱量の高い面白いお話を受け、それを人に伝える役割でした。先人、先達の思いを知ることができたのは、農業者の自分にとっても大きな意味があり、また農家も、地元の人も知らないことがまだまだたくさんあると感じました。そしてこれも価値であり、長く地域が幸せに存続していくためには必要不可欠と感じました。

イベントが終了した今では、「鶴岡ふうどガイド」が地元の食や農の楽しさを説明してくれ、ここを訪れる人や地域の方に魅力を感じてもらえる仕組みができてることは良いことで、自分もそのピースになれればと思っています。

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(庄内農文協にて山伏修行 写真提供:小野寺さん)

誰かのキーパーソンになること

 小野寺さん:自分にとって一人の大学生がキーパーソンとなったように、自分が誰かのキーパーソンになれたらと思っています。いろいろな人やUターンしたい人たちと話す機会が多いのですが、帰ろうかどうか悩んでいるとき、第三者と話すことで自分の考えがまとまり、見えてくることがあります。人と会って話をすることによって自分と向き合うのでしょうね。「自分をさらけだす」というのは大事なキーワード。自分のことを話す機会は大切だと思います。自分のやりたいことはその都度、変わってくるじゃないですか。話すことでそれが自分でもわかってくるんです。話すことは非常に大事だと思うし、話す場に積極的に参加しないとなかなか機会がないのも事実です。この地域をどうしていこうかと、いろいろな話ができる人と人の出会いの場は大切だと思います。全員と仲良しにならなくても、誰かキーパーソンと繋がるとその先に広がります。

これから先、どうしていきたいと考えていますか?

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小野寺さん:まず仕事としてー。今では、母親と代替わりし農家レストランの調理・経営もやっておりますが、農業者でもあり、自分で畑からつくったものをお客さんが「喜んでもらう」にはどうするかを考えています。農家レストランも有機農業もその手段だと思っており、他にも地域や食材の事を語れたり、庄内平野を眺められたりと、来てくれた方がより喜んでもらえる空間をプロデュースできたらと考えてます。色々な価値観にあわせて仕事ができたとき(笑顔がもらえたとき)がやっぱり自分の幸せになりますからね。

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小野寺さん:次に地域としてー。色々な他地域とのご縁を頂いてきた中で、最終的な活動フィールドは、地元の京田エリアくらいがちょうどいいと思っています。理想的なのは、子供たちがここ京田にいてよかったなといって帰ってくるような場所になっていることです。幸いにも、UIターンの人は今鶴岡には増えていて、郊外の京田地区にも徐々に増えてきているので、この地で食と農を通じ、地域交流や豊かさが感じることができれば、たぶん地域はなくならないと感じています。

UIターンを考えている人たちにむけてメッセージがあればお願いします。

小野寺さん:自分も同じ経験をしているので、是非相談にのりたいと思います。受け入れ側としては一方通行にならないようにしないといけないと思います。移住=正解でもないと思っていますし、何よりも「自分を見つめる時間」が一番大事なので、そこに寄り添えたらと思います。

 奥様はこちらに来てどうでしたか?

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小野寺さん:嫁はそもそも農業も嫌い、山形は嫌いでした。子供の頃、内陸地方で過ごしたことがあり、田舎にはあまり行きたくないと思っていたようです。自分と話すようになり、農業への価値観が変わったと感じています。結婚して移住してきたことに関しては、子供が生まれて、子供を育てる環境にしても最高だと思っているようです。実家で暮らしている立場としてはどうかな、いろいろあるかもしれません(笑)。地域との繋がりは、子供ができる前は大変だったが、子供を介しての繋がりができていのでよかったと思います。

受け入れ側の立ち位置として地域の受け入れ体制についてどうお考えでしょうか。

小野寺さん:地域にもよりますが、移住に関しては地域コミュニティーが大事なので、個人的には、まとめ役となる地域の方も必要かと思います。今行政でもUIターンの入口サポートは充実していますし、そこをきっかけに「仕事」や「住む場所」を地域の人に触れ合って深めていってはと思います。

例えば、UIターンの方が空き家を利活用したいとなっても、よそ者には簡単には貸さない風習なので、やはり地域のつながりが重要となると思います。
そういうことを一つ一つ解決していくことで、色々な人が交わり、よりよい方向へ地域が変わっていくと思っています。

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(平成28年11月15日 インタビュー)



No.20 Uターンをきっかけに自分と向き合い見えてきたもの」への1件のフィードバック

  1. この記事を読んで羨ましいです。私は調理師ですが、自分で育てた食材を使い、料理が出来るのは幸せだろうと思いました。頑張ってください。

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