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No.31 東京生まれ・東京育ち→鶴岡へ 通ったからこそ繋がりができたIターンへのみちのり

もしあなたが「住んだことのない土地で暮らしたい」と思った時、どんなアプローチでその土地と関わっていきますか?今回は、東京下町生まれ・下町育ちの風間重美さんが、縁もゆかりもなかった鶴岡に移住するまでのエピソードやアドバイスを伺いました。

風間さんは現在42歳。フリーランスのデザイナー・イラストレーターとして活動。また、現在も『洋服ポスト さんごほぜん+清澄白河プチマルシェ』という、沖縄の珊瑚礁を保全する活動を月に1回東京で開催しています。

初めての訪問で鶴岡の虜に。旧友が繋いだご縁のスタート

風間さんの最初の鶴岡との接点は、2014年の夏に行われた羽黒山の宿坊大聖坊の山伏修業体験でした。元々神仏のことに興味があり、日本の古事記のイラストを描いたこともあったそうです。偶然Facebookで友人が体験修行をしている記事を見て気になっていたところ、友達との集まりで大聖坊の山伏体験修行に参加した女性と出会います。そこからとんとん拍子に話がすすみ、翌年の修行体験に行く事を約束しました。

(写真提供:風間さん 大聖坊の体験修業)

風間さん:Facebookを見て気になってから体験までの期間は1年位ですね。それまで東北に来たのは、中学・高校のスキー教室で蔵王に来ていたくらいです。それで2014年に大聖坊で修業体験をして、修行もすごく楽しかったのですけど、月山と鳥海山に挟まれた庄内平野の景色に感動しました。それに、これもご縁だと思うのですが、昔からの知りあいで料理研究家のマツーラユタカさん(№42移住者インタビューでご紹介しています。)と偶然修行で一緒になり。なんでこんな所で!って(笑)。

(写真提供:風間さん 羽黒山松例祭)

そんな偶然の再会を果たしたマツーラさんが鶴岡出身ということもあり、修行後に鶴岡を案内してくれました。「『修行に来て帰る』じゃなくて、たまたま鶴岡を見てまわれて。海もあって、山もあって、景色もすごいし、ご飯も美味しい。最初に来た時に大好きになってしまったのです。そうしたら、東京に帰るバスの中で涙が止まらなくなって。ご縁がある土地なのかなって思いました。」そう嬉しそうに語る風間さん。東京に帰ってきてからもその思いは変わらず、その年の羽黒山松例祭にも母親と訪れました。体験修行に来た夏とは景色もガラっと変わり、厳しい寒さだったにも関わらず、冬もとても綺麗だなと感じたそうです。

(写真提供:風間さん 五十嵐さん(右)らと)

東京では、マツーラさんたちがでお料理を振る舞うことになった「おらいの柿食う会」というイベントに参加し、主催者で鶴岡市朝日地域に住む五十嵐大輔さんと知り合います。

風間さん:「洋服ポスト さんごほぜん+清澄白河プチマルシェ」のマルシェに五十嵐さんの野菜を卸してもらうようになりました。それがきっかけで、柿もぎや茄子を植えたりするなどの手伝いで鶴岡にも行くようになりました。宿泊もさせて頂いた時に五十嵐さんが人を呼んで紹介してくれたことで段々知りあいが増えていきました。

(写真提供:風間さん マルシェの野菜)

最後の方は2か月に1回のペースで鶴岡に通っていたという風間さん。それでも毎回東京に帰る時に寂しくなってしまい、だんだん鶴岡に住みたいという気持ちに変化していきました。

友達ができて住むイメージが湧いてきた

以前、仕事で10年ほど新潟に通っていた風間さん。その頃から『東京以外に住む選択もあるのかもしれない』と思っていたそうです。しかし、新潟に移住することはありませんでした。鶴岡との違いは何だったのでしょうか。

(写真提供:風間さん 山形食べる通信)

風間さん:これだけ友達ができたらやっていける、寂しい思いをしないでやっていけるかなと思いました。新潟に10年間通っていた時は、仕事の知り合いしかできなくて。お友達が出来なかったから、住むイメージが湧きませんでした。鶴岡で友達ができた理由は、大輔さんが人を繋いでくれたり、マツーラさんが『農的暮らし研究所』など色々な活動をされている小松夫妻や『山形食べる通信』の編集長・松本典子さんを紹介してくれたりしたことが大きかったです。そういうことがあって、東京にいる時から山形食べる通信のデザインにも関わるようになりました。

何度も足を運んだことで、お友達だけでなく仕事にも繋がった風間さん。移住後の自分の居場所をイメージできることが、移住をより現実的にしてくれるのかもしれません。

長期滞在したことで移住を決意

定期的に鶴岡に通っていた風間さん。体験修行の年から2年目の2016年秋、羽黒山正善院の「黄金堂」と「於竹大日堂」の御開帳のお手伝いで2週間滞在することに。この体験が移住しようと決意したきっかけになりました。

(写真提供:風間さん 羽黒山正善院ご開帳)

風間さん:長期滞在してみて、やっぱりここに居たいと思ってしまいました。年齢も年齢なので、今動かないともう動けないだろうなと思ったんです。迷いは最終的にはなかったです。ただ、東京で母が一人暮らしなので。それだけが未だに心配で、寂しい思いをさせているかなと申し訳ない気持ちもありますが、母が元気なうちでないと移住できなくなるなと。また、鶴岡でお世話になっている所の人手が足りないので、移住したら手伝いやすくなるというのも理由の一つではありました。

東京の生活と全く違う鶴岡

生まれてからずっと過ごしてきた東京を離れて鶴岡に移住してきた風間さん。やはりギャップや不満を感じたことでしょう。と思いきや!

(写真提供:風間さん 月山9合目の山小屋)

風間さん:ギャップはあまりないですね。小さな不満は、海が好きで庄内の海の美しさにも惹かれて移住したのに、夏の間は月山9合目の山小屋での女将修業のため、山に上がってしまうので泳ぎに行けないことくらいです。あとはなんだか変な話ですけど、未だに鶴岡駅に行くと、ちょっと思議な気分になります。自分がテレポーテーションする場所のような。乗って降りると東京という別世界になっているので。移住したての頃は鶴岡・東京間を移動する度、1〜2日はどちらにいても気持ちがどっちつかずで、少し不安定になりましたが、今はやっと移動にも慣れ大丈夫になりました。そしてやっぱり、こちらの方が確実に居心地がいいようで、東京に帰ると結構ダメです。人が多すぎて。人にぶつかられて舌打ちされたり。こっちに居たらそういうことはないじゃないですか。

フリーランス 東京の仕事×鶴岡の仕事

フリーランスとして活動している風間さん。東京での仕事も継続しています。移住2年目にして鶴岡と東京の仕事の割合は半々位。それは、やはり何年か通ったからできたこと。全く知りあいも居ないところに引っ越したら、鶴岡で仕事は貰えなかっただろうと言います。しかし、仕事の自由度はあるといえ、東京を離れる際不安はなかったのでしょうか。

   

(写真提供:風間さん お試し住宅にて)

風間さん:私が移住してきた前年だけで、知り合いのデザイナーが3人地方に移住しています。地元に戻った人もいれば、東京での子育てに限界を感じて地方に行った人、どこかの島に移住した人もいて。東京の仕事も引き続きしている人も多くいます。クライアントさん側も移住ということに慣れ始めているようです。今はメールでのやり取りも多いので、『必要な時だけ打ち合わせに来てくれれば』というところがほとんどですし、長くお仕事をさせていただいているところですとメールと電話だけでいいという場合もあります。離れる側の方がおびえていましたね。やっぱり東京離れたら仕事来なくなるかなって思いましたが、「今結構地方に移住する人が多いから、遠方の人とも仕事していますよ」と言われて。なので必要以上におびえることはないのかと思います。移住に伴い就職活動をしなくてはならなかったなら年齢的に不安だったと思います。それがなかったことも移住するにあたり気持ちが楽でした。

移住直前、住むはずだった家に突然住めなくなった

ここまで、順調に鶴岡生活を過ごしている風間さん。移住に関して大変だったのは初期費用。東京‐鶴岡の長距離で輸送代と免許取得の合宿代。それに加えて、なんと引っ越し直前に住む予定だった家に住めなくなってしまったのです。そんな時、友人に紹介されたのが「移住者向けお試し住宅」でした。

風間さん:その時すでに荷物を送り出し、東京を出て免許合宿中だったので、他に住める所がないか必死に探して、鶴岡に移住したお友達に相談したところ移住者お試し住宅っていうのがありますよって教えてくれて。しかも申し込みが丁度今だから、風間さんそれどうですかって。ここであきらめたら二度とはチャンスはないだろうなって思ったので。皆にも言って出てきた後だったので、なんとかしようと。試験勉強どころではなくなり、学科試験は一度落ちましたが(笑)。免許とって、車買って、引っ越しして、結構な費用がかかりましたから、最初のお試し住宅がとてもありがたかったです。お試し期間を過ぎたらそのまま住める家と住めない家があるのですが、私の場合大丈夫だったので、継続して住んでいます。

厳しい寒さも、工夫して楽しむ!

風間さんの初めての鶴岡の冬はどのように過ごしたのでしょう。去年は例年より積雪と寒さが一段と厳しかった年。苦労したのかと思いきや、さすが風間さん。色んなアイディアで冬をも楽しんでいました。

(写真提供:風間さん 移住して最初の冬)

風間さん:寒かったんですが、どれだけ省エネできるか工夫するのが楽しくなってきて(笑)。1日中デスクワークなので、胸元から下に寝袋を着て作業していました(笑)。最初は暖房器具を買わないでやってみようと思ったのですが、さすがに石油ストーブ、ヒーターは買いました。寝袋は持っていて良かったです(笑)。庄内独特の冬のグレーの空も大丈夫でした。東京にいた時の方が秋冬落ち込むタイプで。なぜかというと、東京の秋冬って何もない。青空はあるんですが、ただ寒くなるだけなので。鶴岡は秋に実りがあるじゃないですか。きのこ採ったり。それで秋が楽しいものになって。冬は、雪がまだまだ珍しくて(笑)。すっごい降ってきた!ってウキウキして楽しい状態です(笑)。「移住者あるある」だと思います。

雪かきもいい運動だと前向きに思える風間さん。ただ、それは雪がひどい日は出かけなくても済む職業なのでマイペースにやれたというのが大きいと言います。

デザイン×地域 / 庄内らしい自然とかかわる仕事を

改めて、鶴岡の一番好きなところを聞いたところ、やはり自然が近くて自然の中で暮らせていけることだそう。それは鶴岡に来たことで初めて気づいたこと。都会の中で暮らすよりも自然の中の方が合っていたと感じます。今後は今の仕事だけでなく、庄内にいるからこそできる仕事もしていきたいと言います。

(   写真提供:風間さん 美大時代の同級生が遊びに来てくれた)

風間さん:デザイン業だけだと、ずっとパソコンの前にしかいない状況は、結局東京にいるのと同じになってしまうので。プラスしてこの土地らしい仕事もしたいです。夏は月山9合目にある山小屋での仕事がありますが、夏以外にもできる事を今模索中です。地元の事に関われる出羽三山精進料理プロジェクトメンバーにも入れていただいたので、こちらも頑張りたいです。年齢があがってくると、以前だったら勢いでできた事ができないというか、やっぱり周りの様子を見て躊躇してしまうところも出てきています。プロジェクトメンバーの一人で、やはり移住してきた若い方が、積極的に企画を提案したり頑張っているのを見ると、「私も頑張るぞー!」、とっても励みになります。移住者同士でもお互い地元の為に高めあっていければ何よりですね。

(写真提供:風間さん 月山9合目付近から鳥海山を眺める))

(平成30年5月24日 インタビュー 文:草島侑子)

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